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語り継ぐ都響|楽譜で読む都響の50年

都響マエストロ列伝
小泉 和裕

小泉 和裕
©Prague Spring-Ivan Malý
チェコ&スロヴァキア・ツアーで「プラハの春」音楽祭に参加
(2013年5月23日/プラハ・スメタナホール)

2016年に都響デビュー40周年、都響「指揮者」就任から30周年を迎える小泉和裕。長きにわたって都響との関係を深めてきたマエストロに、若き日の思い出や都響との絆について伺いました。

小泉和裕
KOIZUMI Kazuhiro (1949.10.16 ~)

1976年11月3日 都響へ初登壇(第87回ファミリーコンサート)
1983年3月18日 都響の定期演奏会へ初登壇(第173回定期演奏会)
1986年4月~ 90年3月 指揮者を務める
1995年4月~ 98年3月 首席指揮者を務める
1998年4月~ 2008年3月 首席客演指揮者を務める
2005年1月21日 第600回定期演奏会へ登壇
2008年4月~ 14年3月 レジデント・コンダクターを務める
2009年4月16 ~ 19日 ソウル&シンガポール公演を指揮
2013年5月23 ~ 26日 チェコ&スロヴァキア・ツアーを指揮
2014年4月~ 終身名誉指揮者 就任
2016年1月12日 第800回定期演奏会へ登壇

ベルリン時代

 1969年、東京藝術大学指揮科へ入学。早くも翌年(70年)の民音指揮者コンクールで第1位となり、注目を集める。1972年秋、大学4年時にベルリン芸術大学へ留学。
 「自分の音楽の源泉はベルリン時代にあります。当時の日本では、指揮の勉強をする環境があまりなかった。ベートーヴェンの交響曲でさえ、生演奏を体験できる機会は少なかったですから。ベルリンでようやく、ベートーヴェンの交響曲全曲を聴いて、オーケストラとはこういう響きがするものだ、と体感することができた。その印象はいまだに強烈です」
 ベルリンへ渡った翌年(73年)、ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908 ~ 89)が開催したカラヤン国際指揮者コンクールで第1位を得て、指揮者としての道を拓く。
 「第1位をいただいたあと、カラヤンさんからベルリン・フィルのリハーサルを聴いて勉強するようにと指示されました。カラヤンさんをはじめ、客演指揮者たちのリハーサルも全部。指揮を学ぶ者にとって、出来上がった演奏をCDで聴くだけでは本当の勉強にはなりません。リハーサルでオーケストラがどういう音を出し、それに対して指揮者が何を要求し、オーケストラがどう反応するのか。その経過を見ることが一番の勉強です。
 カラヤンさんには“オペラも勉強しなさい”と言われてザルツブルクへも招かれました。復活祭音楽祭の時には現地に1ヵ月ほど滞在して、照明のセットから始まり演技指導まで、カラヤンさんが1人で作りあげるオペラ制作のすべてを体験できたのです。世界最高峰の音楽祭で多くの“現場”を目の当たりにできたことは、今なお自分の中に宝物のような経験として生きています」
 カラヤンの指揮法とは。
 「いわゆる“打点”を一切出さない方でした。腕が美しく弧を描いて、しかしその中に明確な重心があり、オーケストラには出るべき“点”が見える。だからこそ、演奏に柔らかさと滑らかさが生まれたのですね」

※ザルツブルク復活祭音楽祭は1967年開始。カラヤンが自らを最高責任者として設立、公的な補助を一切受けない“プライヴェート音楽祭”であり、周囲の思惑に左右されずカラヤンが理想とする上演を実現した場であった(後年、政府補助を受けるようになったが)。個人のフェスティヴァルとしては史上空前の規模を誇る音楽祭(カラヤン没後の同音楽祭は様相が全く異なる)。

リヒャルト・シュトラウス直伝

都響「首席指揮者」時代 写真

都響「首席指揮者」時代

 作曲家リヒャルト・シュトラウス(1864 ~ 1949)から連なる伝統にも触れた。
 「カラヤンさんは若き日に、ウィーンでシュトラウスの指揮に接しています。シュトラウスは指揮者としても有名で、彼の指揮はコンパクトな動きで最大限の効果を発揮するタイプ。モーツァルトなどは非常に上手だったそうです。カラヤンさんはとても影響を受けていますね。
 《ツァラトゥストラはかく語りき》の冒頭、トランペットのファンファーレにオケ全体が16分音符で呼応しますが、カラヤンさんは32分音符のように短く演奏させる。これはシュトラウス自身に尋ねてOKをもらったやり方だ、と彼はベルリン・フィルに説明していました。作曲家直伝の解釈がカラヤンさんの中に生きていて、だから強い説得力があった」
 カラヤン&ベルリン・フィルのコンサートで最も印象的だったのが《家庭交響曲》。
 「本当に素晴らしい演奏でした。客席が総立ちになり、ベルリン・フィルハーモニー全体が何ともいえない雰囲気で満たされた。カラヤンさんは、《家庭交響曲》の最後の2小節に急激なリタルダンドをかける。これがすごい迫力でした。スコアはイン・テンポで書かれていて、このリタルダンドもシュトラウス直伝かどうかは聞いてないのですが、オーケストラの能力を最大限に引き出した華麗な響きに圧倒されました。
 シュトラウスのスコアは、オーケストラに休むスキを与えない。楽器に対してその魅力のベストを要求し、全てのパートに緊張感が一貫して続くように書かれている。音の一つひとつが美しく、そこから旋律が生まれ、さらに旋律が絡み合い、その変化がとても面白い。オーケストラが優秀であればあるほど良い音がする。そんな体験が焼き付いているものですから、いつかは自分もシュトラウスの理想的な響きを実現したい、それが指揮者としての目標の一つとなりました」
 小泉和裕は、カラヤンを介してリヒャルト・シュトラウス直伝の解釈を伝えられたマエストロなのだ。

都響との絆

チェコ&スロヴァキア・ツアーにて 写真

チェコ&スロヴァキア・ツアーにて
(2013年5月26日/コシツェ・芸術の家)
©堀田力丸

 都響での定期演奏会デビュー(1983年3月18日/第173回)では《家庭交響曲》を選んだ。
 「編成が大きく、オーケストラにとって技術的にも難しい曲ですから、当時はなかなか採り上げる機会がなかった。指揮者にとって、挑戦的な曲をやれるのはとても幸福なことなのです」
 都響とはその後、《家庭交響曲》を1991年3月9日(第326回定期)、2005年1月21日( 第600回定期)にも演奏、2016年1月12日(第800回定期)が4回目の機会となる。
 「第600回定期の際、“都響と長年にわたって共同作業をしてきたけれど、今回はオーケストラを一つのファミリーだと見立て、自分もその中に参加する気持ちで演奏したい”、そんな話を今村晃さん(都響楽団参事/当時)としました。“今から10年くらい経って、機会があればファミリーとして奏でる《家庭交響曲》をまたやりたい”と。それが今回実現することになりました。とても嬉しいですね」
 2016年に都響デビュー40周年、都響「指揮者」就任から30周年を迎えた。
 「この30 ~ 40年の変化はとても大きい。オーケストラの技術が上がって、シュトラウスもマーラーも、“チャレンジ”ではなく自分たちの“レパートリー”として演奏できるようになりました。
 都響はモチベーションが高く、メンバーの一人ひとりに音楽への熱意を感じます。自分の音を活かすのはもちろん、相手も活かして、優れたアンサンブルを作ろうという意識が強い。指揮者に対しても、ともに協力して良い音楽をやりたい、という気持ちが純粋に伝わってきます。
 とはいえ、納得できない点についてはガンガン言ってくるオーケストラでもある(笑)。でもそういうやりとりは必要ですから。指揮者とオーケストラは、葛藤を抱える時期があり、互いに信頼感を作れる時期もある。それが普通です。都響とは、そういう葛藤はどんどん解消されてきていると思います。リハーサルでうまくいかないところがあっても、この部分は指揮者が言わなくてもオーケストラが自分たちで修正できるだろう、と読める。そんな時はオーケストラに任せて大丈夫。ですから、指揮することが良い意味でラクになってきて、音楽することに集中できる。それはこのごろ本当に感じます」

これから

第767回定期演奏会におけるブルックナーの交響曲第1番 写真

第767回定期演奏会におけるブルックナーの交響曲第1番
(2014年3月24日/東京文化会館)
©堀田力丸

 「20世紀以降の作品で、演奏したいと思いながら手がけてない曲がありますから、まだまだレパートリーを開拓していきたい。一方で、オーケストラの王道であるベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー、チャイコフスキーといった作品を大切にしていきたい。指揮者にとってもオーケストラにとっても、自らの能力が一番分かる曲ですから。特にベートーヴェンの交響曲。何回やっても違うことができますし、やればやるほど自分を成長させることができる。バイブルのような作品です」  現在、都響終身名誉指揮者をはじめ、九響音楽監督、仙台フィル首席客演指揮者、神奈川フィル特別客演指揮者を務め、2016年4月には名古屋フィル音楽監督にも就任する。日本で最も活躍が期待されているマエストロに違いない。
 「指揮者は、このオーケストラを振りたい、この曲を演奏したい、と言っても意味がなくて、オーケストラから招かれなければ仕事になりません。指揮者の宿命ですね。これまで勉強を続けてきて、認めてくれるオーケストラがあるということは、自分のやり方は間違ってはいなかったのだろうと。 今後も変わらず音楽を追求していきたい。 その思いだけですね」

(取材・文/友部衆樹 月刊都響2016年1月号より転載)