竹芝から父島に向けて出航
父島にて横断幕で出迎えを受ける
ヴィオラ奏者 林 康夫
2014年度小笠原公演メンバー ヴァイオリン:横山和加子、塩田 脩、ヴィオラ:小林明子、チェロ:松岡陽平
都響事務局スタッフ(演奏事業チーム)
太平洋に浮かぶ東京の島々へ
定期演奏会などに加えて、小中学生への音楽鑑賞教室、青少年への音楽普及プログラム、ハンディキャップを持つ方のための「ふれあいコンサート」や福祉施設での出張演奏など、多彩なアウトリーチ(訪問支援)活動を展開している東京都交響楽団。東京都が民間に委託している島しょ芸術文化振興事業の一環として、都心から離れた島しょ地域の方々にも本格的な音楽を楽しんでもらいたいと、都響では伊豆諸島および小笠原諸島への訪問演奏を継続的に行なっている。
伊豆半島の南東、太平洋に連なる伊豆諸島、小笠原諸島からなる東京都の島しょ地域。100 あまりの島々から構成される伊豆諸島では大島、利(と)島、新島、式根(しきね)島、神津(こうづ)島、三宅島、御蔵(みくら)島、八丈島、青ヶ島の9 島に、小笠原諸島では父島、母島の2 島に人々が暮らす。
これまで、大島や八丈島ではオーケストラ公演があったが、ヘリコプターを乗り継いで向かう島もあるため、現在は弦楽四重奏や木管五重奏など小さなアンサンブルと歌を組み合わせた編成が中心である。
大海原を越え、都心から遠く離れた島々に行くまでは船が大きく揺れたり、雨風などの天候の影響を受けることもあるが、毎年、数カ所の島々を訪れて、演奏活動を行なう。演奏の会場は、学校の体育館や小さな公会堂など。小さな子どもからお年寄りまで、幅広い年齢層に本格的な音楽を楽しんでもらう貴重な機会として、島民に喜ばれている。
自然豊かな島々と音楽を通じた島民との交流
ヴィオラ奏者の林康夫は、利島、三宅島、御蔵島、小笠原諸島と何度も島しょ公演を経験している楽員の一人だ。
「良い演奏で音楽の素晴らしさを伝えようという気持ちはどの公演でも同じですが、島しょ公演の時は自然とその思いが強くなりますね」と林。「どの島も海も山もあって自然が豊か。都会にはない空気があるからか演奏者も開放的な気持ちになる」と笑顔を見せた。
島での演奏は雨の音が強かったり、湿気が多かったり、気温が思いのほか低かったりと、演奏環境としてはそれほど恵まれてはいない。しかし「都心での暮らしと違い、どの島も演奏会に気軽に行けるような場所ではないので、島の方たちは1 年または数年に1 回の公演を非常に楽しみにしてくださっています。島しょ公演では基本的に小さなお子さんも来ていただける演奏会であることをアナウンスしていますが、どの年代の方も非常に集中して真剣に聴いてくれています。小さなお子さんがいる方はぐずっても大丈夫なように入口近くに座り、すぐに対応できるようにしていたりと、とても気を遣ってくれますね。本格的なホールのような環境ではありませんが、その分、聴衆と演奏者の距離が近くアットホームな雰囲気があります」と話してくれた。
島しょ公演での一番の楽しみは現地の人たちとの交流だ。
「最初のうちは緊張しているのだけれど、演奏を聴いた後だとリラックスするのか『質問があれば控え室までどうぞ』と声をかけると、子どもたちが楽屋へ訪ねにきてくれます。小笠原の子どもたちは積極的に来てくれましたし、利島の子どもたちにも質問攻めにあいました。以前、御蔵島では演奏会前に楽器の体験なども行ないましたが、楽器自体が珍しいため子どもたちはもちろん、その親御さんも興味を持ってくれました」と林。今も公演を通じて仲良くなった島民からいただいたハカラメというめずらしい植物を育てているという。島しょ公演のメンバーは毎回変わるが、一部のメンバーが再度訪れることで、音楽を通じた島の人々との絆は一層深まっていく。
2014年度の小笠原公演の軌跡
父島での夕日
船上から望む母島
島しょ公演のなかでも特に小笠原諸島での演奏会は、島民にとって貴重な音楽鑑賞の機会となる。小笠原諸島は東京から約1,000km 離れた亜熱帯の島々だ。初めての公演は2001 年の11 月。ここ6 年間で5 回公演を行なっており、島の人々にとっては年に1 度の楽しみとなっている。
2014 年度の小笠原公演は2015 年2 月9 日に父島、翌10 日に母島で行なわれた。今回の出演者はヴァイオリンの横山和加子、塩田脩、ヴィオラの小林明子、チェロの松岡陽平の都響メンバーに、ソプラノの三宅理恵を加えた5 名と事務局2 名の計7 名。片道25 時間超の長い船旅を経て同地にたどり着いた。
小笠原の土地柄について、ヴァイオリンの横山和加子は「父島の港に着いた時、『ようこそ東京都交響楽団のみなさん』と書かれた横断幕を掲げて歓迎してくださり、長旅の疲れも吹き飛ぶほど嬉しくワクワクしました。皆さん、年に1 回のこのコンサートをとても楽しみにしてくださっていたことが伝わってきました」と話す。
到着後は小笠原村教育委員会の担当者による島内の案内があり、その後、メンバーは入念なリハーサルを行なった。どんな環境でも本格的で高いクオリティの演奏を楽しんでもらいたいという都響メンバーの熱意は、島しょ公演でも存分に活かされている。今回初めて島しょ公演に参加した同じくヴァイオリンの塩田脩は「横断幕を用意して歓迎してくださり、その後も島のさまざまな名所に案内していただきました。交流を深めようとしてくれた感謝の気持ちを演奏で返そうと必死になりましたね」と当時の心境を語ってくれた。
親しみやすさと本格派を織り交ぜたプログラム編成
父島でのコンサートから
プログラムについては毎回公演後に集めたアンケートを参考に、子どもから大人まで楽しめるようなものを構成する。本格的なクラシック音楽の楽器の音色に加え、歌の響きも楽しんでもらおうと、弦楽四重奏などのアンサンブルを軸に必ず歌を入れるという。今回のプログラムはエルガー《愛のあいさつ》やモーツァルトの《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》より第1 楽章など誰もが知っている名曲から、《ふるさと》などの日本の歌謡、大ヒットした『アナと雪の女王』のテーマ曲《LET IT GO》やジャズのメドレーなど親しみやすい音楽に加え、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8 番といった本格派まで、意欲的な内容となった。「1 時間という限られた時間でどれだけ充実した内容にできるかを常に意識してプログラムを考えています」と事務局は語る。
コンサートがスタートすると島の人々は真剣に音楽に向き合う。大きなホールとは違い、聴衆と演奏家の距離も近いため、演奏の熱が、そして聴衆の反応がダイレクトに伝わる。「住民の方々は純朴で、アニメソングからショスタコーヴィチまで、しっかり受け止めてくれました」と話すのはチェロの松岡陽平。
新たな試みとして、母島では地元の合唱団の方々とコラボレーションし、現地で歌われている『レモン林』という島唄を一緒に演奏した。塩田は「曲の和声がとても綺麗で島にいた数日間を音にした感じでした。合唱の皆さんもこちらと聴き合って、すごく良い時間を過ごしました」と感慨深げだ。子どもたちの反応について、「特に《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》と《アナと雪の女王》になると、顔を輝かせてニコニコして聴いてくれました」と横山。
母島のコンサート会場
似顔絵のプレゼント
演奏会が終わると子どもたちが演奏家の元へ駆けつけてくれる。「折り紙作品の贈り物も感激したのですが、後日、さらに私たちの似顔絵をプレゼントしてくれたことには胸がいっぱいになりました。子どもたちの心に今回の演奏の光景が焼き付いて、それが幸せな記憶として残ってくれるとうれしい」とヴィオラの小林明子は振り返った。
演奏後は、島の人々との交流を兼ねた打ち上げに参加。新鮮な刺し身や海亀を使った料理、ラム酒など、島の人たちの温かいもてなしを受けた。
音楽で多くの人を笑顔に双方の心に残る演奏会
演奏後に配布するアンケートでは「演奏が素晴らしかった」「歌の響きに震えた」「歌と演奏の組み合わせに癒やされる」「感動して涙が出た」「演奏中の表情が豊かで楽しい」「子どもと一緒に聴けてよかった」「もっと本格的に聴いてみたくなった」など、たくさんの感想が寄せられた。「意外に反応が良かったのがショスタコーヴィチです。アンケートを見てみると小さな子どもからも評判でした。父島は今回、小さなホールだったためドライな響きがショスタコーヴィチの音と合ったのかもしれません」と事務局。
父島の港から見送りをしてくださる小笠原村教育委員会の皆さん
子どもたちから折り紙作品の贈り物
小笠原村の教育委員会の担当者は、「島ならではのリラックスした雰囲気のなかで、年代を超えて素晴らしい演奏を楽しませてもらっています。東京都と小笠原村の共催事業として、村民の心を豊かにする機会を提供でき、とても有意義に感じております。演奏者の皆さんの、舞台へ上がる時の集中力、本番までに何度も努力を積み重ね音を高めていく姿勢には心を打たれ、こちらが励まされるような気持ちになります」と寄せてくれた。
船が出港する際には、子どもたちを含め多くの島の人たちが手を振って見送ってくれる。「島の美しい自然と、島民の方々との交流を通じて私たちも普段と違う大切な何かを得た気がします」と松岡が締めくくった。
都会のような便利さはないが、豊かな自然と島民の心づくしの温かみが感じられる島しょ公演。この得がたい経験は、都響の演奏活動にさらなる深みを与えていくことだろう。
(石山真紀/ライター)