columns

語り継ぐ都響|楽譜で読む都響の50年

都響 マーラー演奏の軌跡(下)

「マーラー・オーケストラ」として注目を集める都響。その伝統を築くまでの軌跡を、音楽評論家・東条碩夫氏にお寄せいただいた演奏史とともに振り返ります。今回は1990年代後半から現在まで。

都響 マーラー主要演奏歴(1990年代後半~現在)

1994年4月7日~
96年11月23日
インバル=都響/マーラー・サイクル

〔主催:財団法人東京都交響楽団〕

2000年4月28日~
04年5月30日
ベルティーニ=都響/マーラー・シリーズ 2000 ~ 2004

〔主催:財団法人埼玉県芸術文化振興財団、横浜みなとみらいホール(財団法人横浜市芸術文化振興財団)〕

2012年9月15日~
14年3月17日
インバル=都響/新・マーラー・ツィクルス

〔主催:公益財団法人東京都交響楽団、東京芸術劇場(公益財団法人東京都歴史文化財団)、横浜みなとみらいホール(公益財団法人横浜市芸術文化振興財団)〕

前史

 1941年(太平洋戦争勃発の年)に初版が出た名著『樂聖物語』で、わが国のレコード評論の大先達あらえびす(1882 ~ 1963 /作家・野村胡堂の別名)は、マーラーについて「事大癖が災して甚だ親しまれ難いものを持ってゐる」と書き、第2交響曲のレコード(オーマンディ指揮)については「豊麗な曲で演奏も悪くないが、宏大に過ぎて盛り上がる焦点が無いから一般的にはどうであらう」と書いた(ただし、ワルターの指揮した第5交響曲の「アダージェット」と《大地の歌》のレコードは絶賛している)。――ほかならぬその第2番《復活》が、のちに祝賀的な演奏会の定番交響曲となり、マーラーも屈指の人気作曲家になる時代が訪れるなどとは、あらえびすならずとも、当時はだれも想像も出来なかったのではないか。
 『音楽の友』誌が数年ごとに実施している聴衆へのアンケート調査によれば、「あなたの好きな交響曲は」との問いに対し、マーラーの作品からは、たとえば1981年7月号での結果では、やっと第19位に《巨人》、22位に5番、25位に9番が入っていただけだが、96年11月号になると、第9位に9番、17位に5番、18位に《復活》、20位に《巨人》が登場するようになる。また最近の2014年4月号の調査でも、第9位に5番、11位に9番、13位に《復活》、17位に3番……という具合である。これは、なかなかの健闘ぶりではなかろうか。
 そして「あなたの好きな作曲家は」という投票でも、マーラーはそれぞれ第9位、第6位、第6位にランクされているから、これも立派なものである。ただその一方、「嫌いな作曲家」の順位でも近年は急激に上昇した。以前は5位か6位だったのが、2011年と2014年の調査では何と第2位を堅持(?)しているという状態で、――だがこれはあらゆる調査に共通している「好きと嫌いとは表裏一体」現象の表れであり、要するにそれだけ注目度の高い作曲家、という証拠なのである。
 さて、そうした中で都響は、マーラーの交響曲の演奏に、どの国内オーケストラよりも情熱を注いできた。1995年刊行の『都響30年』によれば、創設以来の最初の30年間における演奏の「作曲家頻度数」では、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスに続き、マーラーが第4位となっていたほどだった。これだけ歴代のシェフがマーラーを繁く取り上げてきたオーケストラは、都響の他にはロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(メンゲルベルク、ハイティンク、シャイーらの指揮)くらいなものではなかろうか。

インバルのマーラー

「インバル=都響/マーラー・サイクル」で演奏した交響曲第5番のライヴCD
(1995年4月15日/サントリーホール)
〔フォンテック FOCD-9244〕

 都響最初のマーラー・ツィクルスを実施した第3代音楽監督(兼首席指揮者)若杉弘がまだ在任中の時期に、早くも次のマーラー・ツィクルスがエリアフ・インバル(特別客演指揮者/ 1995年4月~2000年3月)の指揮で開催されるという発表があったことは、当時われわれを驚かせた。だが思えば、1990年11月にシノーポリとフィルハーモニア管が来日して、わずか2週間程度の間にマーラーの全交響曲を集中的に演奏したり、また同時期から91年にかけてベルティーニとケルン放送響も3シリーズに分けて日本でツィクルスを行ったりしたこともあって、聴衆のマーラーへの関心がいっそう高まっていたのは事実だった。
 まして、すでにフランクフルト放送響との交響曲全集のレコーディングを完成していたマーラーの権威インバルを迎えたからには、彼とのツィクルスを行わない手はない――都響がそう考えたのも不思議はない。それに、若杉のそれと異なって今回はマーラーの作品のみによるもので、しかも番号順に演奏していく形を採ると聞き、ファンは大きな期待を持ったのである。
 こうして、1994年4月7日の第1番《巨人》(10番の「アダージョ」との組み合わせ)を皮切りに、96年11月22、23日の第9番までの「マーラー・サイクル」が、都響創立30周年記念企画の一環として開催されたのであった。なおインバルは、97年5月にクック版の1976年版による第10番をも演奏している。
 「自分のマーラーの音楽、語法をみんなわかってくれた。あまり細かい注文を言わなくてもよくなった」とインバルは語っていたという(『月刊都響』1997年5月号)。当時のインバルはダイナミックな音楽構築をも得意としており、その演奏には、熱狂と美しさとが均衡を保たれていた。都響も熱演したが、ただ彼のうねりのような流動性に富む音楽とは、今ほどには合致していなかった、といえるかもしれない。

ベルティーニのマーラー

 都響のマーラー路線はさらに熱を帯びていく。インバルのあとに、マーラーの交響曲を繁く取り上げたのは、前出のガリー・ベルティーニ(第4代音楽監督/ 1998年4月~ 2005年3月)である。彼は、都響初登場(1981年9月)の際に第6番を、その後の客演でも1、2、5、7、9番などを指揮していたし、その一方でケルン放送響とのマーラー交響曲全集録音を完成させるなど、マーラー指揮者としても多大の人気を得ていた名匠であった。1998年6月の音楽監督就任披露定期および都響スペシャルで《復活》を指揮したベルティーニは、その後の定期でも3、5、6番、10番の「アダージョ」、《嘆きの歌》などを指揮したのち、2000年4月からは定期とは別に、埼玉会館と横浜みなとみらいホールとを会場とした交響曲全曲のツィクルスを華やかに展開していったのだった。2004年5月30日の横浜での第9番を以って成功裡に完結したこのツィクルスは、すべて熱っぽい、情感にあふれる真摯な演奏に彩られていた。それは、都響のマーラー演奏史における頂点の一つと言って過言ではないものであった。

ベルティーニが都響を指揮した最後の演奏会 写真

「ベルティーニ=都響/マーラー・シリーズ 2000 ~ 2004」の交響曲第9番。
ベルティーニが都響を指揮した最後の演奏会
(2004 年5月30 日/横浜みなとみらいホール)

バルシャイとデプリーストのマーラー

 この前後の時期、都響には二つの異色のマーラー演奏があった。一つは、ルドルフ・バルシャイが2003年2月定期で指揮した、自ら校訂編曲した第10番である。全く独自の色合いを持った版であったが、マニアの間では非常に喜ばれ、かつ論議を巻き起こした。またもう一つは、ジェイムズ・デプリースト(常任指揮者/ 2005年4月~ 08年3月)が2005年5月の就任披露定期で指揮した《復活》である。感情過多でも冷徹でもなく、むしろ理知的にがっちりと構築された演奏で、都響のマーラー演奏史にユニークな1ページを加えたものといえようか。

インバルの第2次ツィクルス

 そして、再びエリアフ・インバル(プリンシパル・コンダクター/ 2008年4月~ 14年3月)のマーラーが始まる。2007年12月に第7番と第6番を指揮した彼は、翌年4月の就任披露定期および都響スペシャルで第8番《千人の交響曲》を指揮、その後、定期等で4、3、2番、《亡き子をしのぶ歌》《大地の歌》などを指揮していった。特に2010年3月の定期および都響スペシャルで演奏した第3番は、聴衆の人気投票で年間第1位に輝いたほどの快演であった。
 かくていよいよ彼の第2次ツィクルス(新・マーラー・ツィクルス)が、定期を中心に展開されたわけだが、それは2012年9月の《巨人》と《さすらう若人の歌》をもって開始され、2014年3月の、シェフとしての任期の最後を飾る定期における第9番を以って完結をみたのである。なお、そのさなかに番外編のような形で《嘆きの歌》が、また桂冠指揮者となってからの2014年7月には第10番(クック版/ 1976年版)も演奏された。

「インバル=都響/新・マーラー・ツィクルス」の交響曲第9番 写真

「インバル=都響/新・マーラー・ツィクルス」の交響曲第9番
(2014 年3月17 日/サントリーホール)
©堀田力丸

 前回のツィクルスから20年近くを経て行われたこのプロジェクトは、その間におけるインバルの円熟と、都響の成長とを、鮮やかに証明したものではなかったろうか。スコアの隅々にまで神経を行き届かせ、作品全体を揺るぎなく、求道的とまで言えるほどに厳しく鋭く音楽を構築したインバル。そして彼のもと、完璧なアンサンブルを示し、過去最高の演奏水準に達した都響。この両者がつくり出した演奏は実に輝かしいものであった。それはベルティーニのそれとは全く性格の異なったスタイルの演奏として、都響のマーラー演奏史におけるもう一つの頂点をなすものだったのである。

(東条碩夫)