都響とティーンズのためのジョイントコンサート リハーサル風景
音楽鑑賞教室 ~都響創立時から続く情操教育~
初期の音楽鑑賞教室(1966年頃)
創立以来続けられている「音楽鑑賞教室」は、東京文化会館が主催する「小・中・高校生のための音楽鑑賞演奏会」としてスタートした。当初は文部省の学習指導要領の定めた鑑賞教材をベースとした曲目に、学校側の希望する曲目を加えたプログラミングで、都響の主導により進められた。その後、各区市教育委員会がその主導権を担うこととなり、学校側のリクエストに応じて体育館や講堂での演奏も行なわれるようになった。
日頃はラジオやLPレコードでしかオーケストラの音楽に触れることができない子どもたちにとって、実際に楽員が目の前で生演奏してくれる「鑑賞教室」は大きな反響を呼び、希望の公演数は右肩上がりに。ピーク時の希望回数は年間140 回をマークし、10 年間の平均で120 回を数えた。そこで、より多くの希望に応えるため、広い会場にいくつかの学校を集めた合同演奏会を実施するなどで対応した。1972 年度以降は東京都教育委員会の調整によって他の楽団にも業務委託される形へ。1984 年度、1993 年度にも他楽団への委託回数が増やされ、都響は約70 公演を担当することとなった。
また、1977 年度からは費用を東京都教育委員会のみならず、各区市町村教育委員会も負担する方針となった。さらに2003 年度からは東京都教育委員会は「音楽鑑賞教室」事業から一切の手を引くこととなったため、各区市教育委員会との個別の連携によって実施されることに決まった。
―工夫が凝らされたプログラム
音楽鑑賞教室での「指揮体験コーナー」
現在都響は年間約60 公演を行なっている。1 回のコンサートには、同じ市・区の複数の小学校や中学校の生徒たちが集まり、1 時間のコンサートを通じて生徒たちがたっぷりとフルオーケストラの響きを楽しむ。プログラムは、各学校の音楽教諭と打ち合わせて決められる。先生方の意向や生徒たちの傾向に沿って地区ごとのオリジナルのプログラムが組み上げられる。提案内容とは、教科書に載っている鑑賞教材を中心としたプログラム、序曲・協奏曲・メイン曲からなるコンサートスタイルプログラム、音楽史や楽典的な統一テーマを設けたプログラムなどだ。例えば、教材鑑賞プログラムでは、ビゼーの歌劇『カルメン』前奏曲、ベートーヴェンの交響曲第5 番《運命》第1 楽章、チャイコフスキーのバレエ音楽《くるみ割り人形》より「花のワルツ」など、コンサートスタイルでは序曲、協奏曲に続いてメインプロ(スメタナの交響詩《ヴルタヴァ(モルダウ)》など)が演奏される。プログラムによっては声楽が組み込まれることもあり、あるケースでは、男性歌手の華やかな歌声が思春期の変声期に差し掛かる男子生徒に強く訴えかけ、「鑑賞教室」後、生徒たちの合唱に対して取り組む姿勢が、まったく変わったというエピソードもある。
さらに「指揮体験コーナー」や「合唱での共演」などの参加型コーナーのオプションも用意。「楽器紹介コーナー」ではすぎやまこういちが鑑賞教室のために書き下ろした《都響・オーケストラクエスト》によって、楽器ごとの音色や役割などが紹介される。また、奏者が《ラデツキー行進曲》を演奏しながら客席から登場するオープニングのサプライズは、都響の音楽鑑賞教室の名物となっている。
コンサートは、クラシック音楽のコンサートの司会で定評のある朝岡聡または江原陽子によるナビゲートで進められる。解説を曲間にはさむことで、生徒たちにとって親しみやすくなるよう構成している。
また、子どもたちが本番の1 時間を集中して過ごせるように、授業で事前学習できるオリジナルDVDも作られている。学校に無料で貸し出しされるDVD「探検! 発見! オーケストラのヒ・ミ・ツ」は、オーケストラの楽器の紹介や、それぞれの奏法などが、子ども向けにわかりやすく解説されるため、「生徒たちに効率よく予習させることができる」と先生方から好評だ。
―企画から本番後まで、教育現場としっかり連携
奏者が《ラデツキー行進曲》を演奏しながら客席から登場
こうした工夫がなされた「鑑賞教室」に、柔軟な感性を持った子どもたちが参加するわけだが、日頃クラシック音楽に馴染みも関心も薄い生徒たちは、飽きてしまったり、ついおしゃべりをしてしまうのではないだろうか。筆者は2015 年5月に行なわれた教育委員会主催の「荒川区立中学校 オーケストラ鑑賞教室」(指揮:大井剛史、東京文化会館大ホール)を訪れたのだが、そうした心配は杞憂であった。子どもたちは華やかな『カルメン』前奏曲の歯切れ良い演奏に集中力を高め、司会の江原陽子の問いかけに元気に応えたり、ドヴォルザークの交響曲第9 番《新世界より》で盛大な拍手を贈ったり、アンコールの《ラデツキー行進曲》では元気な手拍子を贈るなど、1 時間を存分に楽しんでいる様子が窺えた。
子ども対象の1 時間という短いコンサートではあるが、都響の熱意と迫力に満ちた演奏は、通常の定期演奏会などの集中度と何一つ劣るところはない。どのようなコンサートであれ、都響の「真剣な取り組み」は変わらない。その迫力は、子どもたちの心に大きな印象を残すに違いない。その日会場に来た子どもたちと、その時一度限りの演奏会を共に作り上げる。それが「音楽鑑賞教室」の一番のねらいでもある。そして、都響からの生徒たちへの最大のメッセージは「音楽を一生の友達にしてほしい」ということ。どんな気持ちの時でも、音楽はいつもそばにある。時に助けてくれて、時に成長させてくれることもある。都響の楽員は、そうしたメッセージを込めて、高い意識でこの演奏会に臨んでいるのだ。
本番終演後には、各学校の音楽の先生、都響楽員、都響事務局の面々が集い、コンサートを振り返り、次年度に繋げるための意見やリクエストなどを出し合う「反省会」の時間も設けられている。例えば、中学校の鑑賞教室の教員側からは「わが校の子どもたちは、活発な子が多いので、オーケストラ音楽を飽きずに聴いていられるか心配だったが、有名曲やわかりやすい曲目がプログラミングされていてよかった」「DVD で事前学習ができていたので効果的だった」「おしゃべりする生徒もいたので、きちんと指導していきたい」などといった声があげられる。楽団側からは「元気の良い中学生の皆さんに対し、あまり『静かに』としばりつけてしまって、クラシック音楽のコンサートが嫌になってしまうのは残念。音楽に反応して感想を言い合ったりしてくれるのは歓迎だ」といったメッセージが伝えられていた。
企画段階から本番後まで、しっかりと教育現場との連携を図る。それが現在の都響「音楽鑑賞教室」だ。
「マエストロ・ビジット」 ~音楽家の人生を知る・地元から発信する~
「マエストロ・ビジット」にて ジェイムズ・デプリースト(2007年4月)
都響独自の教育プログラムとしては、「都響マエストロ・ビジット」がある。これは、都響の指揮者が都内の小・中・高校を訪問して開かれる特別授業。2004 年、翌年から都響の常任指揮者に就任するジェイムズ・デプリーストから紹介されたアメリカの教育プログラムを参考に組み立てられた、青少年のための教育活動だ。
「マエストロ・ビジット」がユニークなのは、指揮者の「語り」に主眼が置かれてきた点である。一人の音楽家の人生、その過程にあった努力や葛藤、喜びや感動、人々との関わりなどが、指揮者本人の言葉で若者たちにダイレクトに伝えられる。自らの想いを遂げた指揮者という「人」に触れることで、夢を持つ子どもたち、あるいは進路について悩める青少年たちに、希望や、生き方を考えるきっかけを与えてきた。
過去15 回のうち6 回の「ビジット」を行なったデプリーストは、小児麻痺を乗り越えて指揮者になった過程を、7 回行なった小泉和裕は、野球から音楽の道へと転向したプロセスや心の移り変わりを、それぞれの言葉で語ってきた。さらに指揮者という仕事、そしてオーケストラ・メンバーとの人間的な関わりなどについても話が及んだ。「人」について知ることは、若い好奇心を大いに刺激する。「指揮者のお給料はいくらですか?」といった屈託のない質問が飛び出すことも。デプリーストが「ビジット」で出会った子どもたち100 名をコンサートに招待したところ、実に70 名が演奏会に足を運んだこともあった。
過去にはエリアフ・インバルが東京大学の管弦楽団50 名を前に講演し、学生からの熱烈な要望に応えて急遽モーツァルトを指揮した回もあった。
2014 年12 月には、次期音楽監督に就任が決定していた大野和士が台東区立金竜小学校を訪問。大野は、「マエストロ・ビジット」を子どもたちが能動的に音楽に参加する・体験する場として位置付け、本拠地である台東区を中心に、未来の聴衆を育てる活動として展開していきたいと考えている。初回は楽員4 名と訪問し、フルート、ホルン、トロンボーン、打楽器についての説明の他、指揮者体験や5 年生の生徒とのセッションなども行なった。プロの演奏を間近に体験した子どもたちからは、「音楽はそんなに興味はなかったけれどすごく好きになった」「指揮者になってみたい」「打楽器をたたくのが速くてすごい」「『仲間といっしょにやる』ということをずっと心に残しておきたい」といった感想が寄せられた。
小泉和裕(2005年)
大野和士(2014年) ©堀田力丸
都響はまた、「都響とティーンズのためのジョイントコンサート」(1999 年度~ 2013 年度)において、公募で集まった小・中・高校生対象にオーケストラでの演奏の指導・合同練習・本番を行なう教育プログラムを15 年にわたって実施してきた。そして、現在は台東区と豊島区の小学校に都響メンバーや都響OB が赴き、楽器指導のクリニックを行なう「音楽アーティスト交流教室」(2006 年度~)も進めるなど、若い才能の実技支援にも尽力している。
音楽の楽しさを子どもたちと共有すること、子どもたちがオーケストラを身近に感じる環境を作ること、そして音楽を通じて人と人との繋がりを大切にする平和な社会へと子どもたちを導くこと。都響の教育プログラムへの挑戦は、次の50 年へと続く。
都響とティーンズのためのジョイントコンサート ©スタッフテス
(飯田有抄/音楽ライター)