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語り継ぐ都響|楽譜で読む都響の50年

都響マエストロ列伝
ジャン・フルネ

ジャン・フルネ

1978年の初登壇以来、30年近くにわたって都響にフランス音楽の神髄を伝えたジャン・フルネ。マエストロの業績を振り返り、また沼田雅行(第1ヴァイオリン)と山口直美(第2ヴァイオリン)の2人に思い出を聞きました。

ジャン・フルネ
Jean FOURNET(1913.4.14~2008.11.3)

1978年1月11、12日 都響に初登壇
1983年4月~86年3月 定期招聘指揮者
1989年12月~2008年10月 名誉指揮者
2005年12月20、21日 ラストコンサート
2008年11月~ 永久名誉指揮者
 1913年4月14日、フランス・ルーアン生まれ。パリ国立高等音楽院でフルートと指揮をフィリップ・ゴーベール(1879~1941/伝説的なフルート奏者&作曲家)に学ぶ。1936年に指揮デビュー。パリ・オペラ・コミック、オランダ放送フィル、ロッテルダム・フィル、イル・ド・フランス管弦楽団などのシェフを歴任。パリ・エコール・ノルマルで指揮を教え、長年にわたりブザンソン国際指揮者コンクールの審査委員長を務めた。
 1965年にシカゴ・リリック・オペラにデビュー、以後メトロポリタン・オペラをはじめ北米の主要都市でもオペラやコンサートで活躍した。  日本との関わりも深く、初来日は1958年の『ペレアスとメリザンド』日本初演(日本フィル)。以来、在京オーケストラをはじめ大阪フィル、群響、名古屋フィルなど国内の実に13楽団を指揮、日本との交流は2005年まで47年の長きにわたった。
 都響へは1978年に初登壇。以後、ほぼ毎年指揮台に立ち、第300回(1989年)、第400回(1994年)、第600回(2005年)の節目となる定期演奏会に登場。依頼公演を含め、フルネ&都響のコンサートは150回以上に及んだ。
バースデーコンサート 写真

バースデーコンサート
(2003年4月14日/東京文化会館)
©野口賢一郎

 フルネと言えば、ゆったりとした指揮姿が記憶に残る。「大きなアクションよりオーケストラが集中するんです。空気が凝縮していく。すると皆、自分で音の出し方を吟味するようになる。結果的に棒に“振られて”いるのですが、自発的に音を出す。そういう、指揮というものに対する集中を教えていただいた」(本間正史/元・都響首席オーボエ奏者)
 音楽は端正で、余計な虚飾やルバートがない。全体をしっかりと構築しながら、なおかつ音に香りが漂う。「フルネさんは、19世紀以来続いた巨匠時代の、最後の世代じゃないでしょうか。旧き良き時代に薫陶を受けて、自分の音楽を開花させて、それを次世代へ伝えた。自分の持っている全てを都響に注ぎ込んでくれた」(井上順平/元・都響バストロンボーン奏者)
 リハーサルは厳しかった。リズムやテンポ、ニュアンスを機械のように正確に、できるまで何度でも繰り返す。それでいて本番では高貴な響きと色彩が引き出される。「本番がいつも素晴らしいから、練習のときどんなに厳しくされても、フルネさんにはもうかなわない、という感じ。みんな尊敬していましたし、都響にとってはたぶんお祖父さんみたいな存在でしたね」(矢部達哉/都響ソロ・コンサートマスター)
 マエストロも都響を深く信頼し、ラストコンサート(引退演奏会)のオーケストラとして(ヨーロッパの楽団ではなく)都響を選んだことは話題を呼んだ。
 ラストコンサートを前に、フルネは都響メンバーへ向けて以下のメッセージを贈っている。「私は世界中のオーケストラを指揮しました。しかし、都響はその献身と人間性で、すべてのオーケストラを凌駕しています。世界には多くの偉大なオーケストラがありますが、人間性において偉大なオーケストラは本当に稀です」  2008年11月3日、オランダ・ヒルヴェルサムで没。享年95歳。

(引用は『月刊都響』2006年3月号、および2008年12月号から)

ラストコンサート 写真

ラストコンサートでスタンディング・オベーションに応える
(2005年12月21日/東京文化会館)
©林 喜代種

ジャン・フルネの思い出 精妙で独特な時間の流れ

沼田 雅行 写真

©堀田力丸

沼田 雅行
NUMATA Masayuki
第1ヴァイオリン(入団/1985年11月1日)

 沼田雅行の都響入団は1985年秋。ズデニェック・コシュラー、ペーター・マーク、ジャン・フルネの3氏が定期招聘指揮者を務めたトロイカ体制(1983年4月~86年3月)の最終年度で、翌年から若杉弘が音楽監督に就任(在任1986年4月~95年3月)する、という時期だった。
 「マーラーやブルックナー、R.シュトラウスなど大曲の演奏が増えたころです。そういうドイツ・オーストリアものの大作の中で、フルネさんが来てフランス音楽を演奏する。とても新鮮でした。フルネさんの身体の動きはすごく綺麗で、指揮台に立っただけで、オーケストラに微妙なニュアンスが伝わる。透明な響きの中で、精妙で独特な時間が流れる。そんな不思議な、言葉にできない感覚が大好きでしたね」
 リハーサルは厳しかった。
 「あのころ、フルネさんはもう70代でしたけれど、とてもお元気で、完璧になるまで何度でも同じところを繰り返しました。有名な“ダ・カーポ(最初から)”ですね。ある曲のハバネラのリズムのところで、一部のパートを“正確に”“もう一度”と延々とやり直したこともありました。そのセクションは大変でしたが、やはりそれだけトレーニングした成果は出てきます。周囲で聴いている我々にも、リズムが身体に入ってくるのはもちろん、フルネさんの妥協を許さない姿勢が浸透しますから」
 今なお印象的なのは、2005年1月26日の第601回定期演奏会(サントリーホール)。この時、フルネはリハーサルを2日間終えたところで体調を崩し、本番は指揮者なしで行われた。
 「メインはデュカスの交響曲。オーケストラが弾き慣れていないレパートリーで、テンポが頻繁に変わる難曲でしたが、フルネさんが行ったリハーサルを皆で思い起こしながら演奏しました。フルネさんのエッセンスを表現できたのではないかと思います。指揮者とオーケストラが積み重ねてきた時間と信頼の大きさを実感しました」

ジャン・フルネの思い出 気品に満ちた《ファランドール》

山口 直美 写真

©堀田力丸

山口 直美
YAMAGUCHI Naomi
第2ヴァイオリン(入団/1989年5月1日)

 山口直美の都響入団は1989年春。若杉弘=都響「マーラー・シリーズ」が2年目に入ったシーズンで、この年フルネは12月に登壇、第300回記念定期演奏会でベルリオーズ《ロミオとジュリエット》を指揮。さらにサン=サーンス《オルガン付》、ベートーヴェン《第九》などを演奏している。
 「フルネさんは本当に格好良かった。お歳を召してからも、内なるエネルギーが素晴らしくて。リハーサルで多くを語る方ではありませんでしたが、オーケストラの前に立って、手を挙げただけで、フルネさんの曲に対するイメージが伝わってくる。醸し出される空気があまりにも素敵でした。
 記憶に残るのは《アルルの女》の〈ファランドール〉。曲の後半は大きく盛り上がるため、スコアに指示がないのにもかかわらず、ほとんどの指揮者がアッチェレランド(次第に速く)します。それが自然だとも言えますが、フルネさんは絶対にオーケストラを煽らない。厳格なテンポの中で奏者のテンションを上げていき、気品に満ちたクライマックスを築いていく。こんなことができるのはフルネさんだけです(編集部注:フルネ&都響の〈ファランドール〉はCD『ボレロ』〔FONTEC/FOCD-9293〕で聴くことができます)」
 フルネと言えば“ダ・カーポ”。
 「リハーサルで“ダ・カーポ(最初から)”の指示が多かったのは確かですけれど、それはフルネさんならではの職人気質で、理想を求めてのこと。美意識が強く、納得するまでゆずらないので密かに“神々しい駄々っ子”と呼んでいました。
 逆に、どんな音が欲しいのか、何をしたいのかがよく分からない練習は疲れてしまいますが、フルネさんは目指すところがハッキリしていました。全身全霊を音楽に捧げていらしたマエストロの姿を思うと、“ダ・カーポ”も懐かしいです。指揮者になるべくしてなった方だな、と思います」

(取材・文/友部衆樹 月刊都響2015年6月号より転載)