吉本萌慧

第2ヴァイオリン

吉本萌慧 (よしもともえ) Moe YOSHIMOTO

(2023年8月1日入団)

旭川出身。ドイツにて4歳よりバイオリンを始める。北海道毎日学生音楽コンクール中学、高校の部共に1位受賞。第69回全日本学生音楽コンクール東京大会本選入選。第18回日本演奏家コンクール大学生の部1位、併せて文部科学大臣賞、毎日新聞社賞を受賞。平成30年度札幌市民芸術祭新人音楽会にて大賞、併せて聴衆賞を受賞。これまでに東京フィルハーモニー交響楽団、藝大フィルハーモニア管弦楽団と共演。東京藝術大学音楽学部卒業。同大学院修士課程修了。在学中に同声会賞、大学院アカンサス賞を受賞。これまでに、大森潤子、野口千代光、景山誠治、清水髙師の各氏に師事。

私の音楽はじめて物語

ドイツ・シモンスヴァルトの公園で<br />
枝で模したヴァイオリンを弾く(5 歳)
ドイツ・シモンスヴァルトの公園で
枝で模したヴァイオリンを弾く(5 歳)
ドイツでヴァイオリンを始める

 生まれは札幌ですが、10代を主に旭川で過ごしたので「旭川出身」と言っています。父の仕事の都合で、3歳でドイツ・フライブルクへ。近所でフライブルク音大の留学生である徳田園先生(現・NDRエルプフィル団員)が教えている、という話を聞いて、日本人の先生がいらっしゃるなら行ってみよう、というのがヴァイオリンを始めたきっかけです。4歳でした。徳田先生に最初の手ほどきを受け、その後はスズキ・メソードの教室へ通い、ドイツ人のお兄さんお姉さんに交じって楽しく弾いた記憶があります。
 5歳で札幌へ戻り、同じくスズキの教室で立木里恵先生に習いました。子どもの個性に寄り添って、楽しく弾ける工夫をたくさんしてくださる先生で、私は人生で一番ヴァイオリンが好きだった時期かもしれません。
 小3で旭川へ移り、旭川にはスズキ系の教室がなかったので、中川正子先生に師事しました。スズキは耳で憶えて弾くやり方でしたので、ここで初めて楽譜を読む練習をして、この時期にピアノも始めました。小学時代は水泳、バレエ、テニスなども習いましたが、いずれも1~2年でやめてしまい、唯一続けられたのがヴァイオリンでしたね。
転機

 小5のころ、転機になることがいろいろあって。まず、もう少し本格的にやってみてはと勧められ、片山淑子先生のレッスンを受けるため札幌へ通い始めました。また、ミハエル・フリッシェンシュラーガー先生(ウィーン国立音大名誉学長)を招いて毎年夏に2週間ほど行われた旭川・ウィーン国際ヴァイオリンセミナーに参加し始めたこと。これには東京からも先生が何人もいらしていて、後に大学で師事する清水高師先生(東京藝大教授)ともそこで出会いました。
 そして、中川教室出身の佐藤まどか先生が旭川に帰ってきた時に時々レッスンを受け、リサイタルも聴きました。とても艶のある演奏をされる方で、ステージが輝いて見えた。まどか先生のように弾きたい、とすごく憧れました。豊頃町のセミナーに参加して大森潤子先生(現・富士山静岡響ゲストコンサートマスター)に出会ったのも小5のころ。中学時代は片山先生と大森先生、お二人に並行でレッスンを受けました。

大学受験

 小6の時、私が小3の時から一緒にヴァイオリンを習っていた3歳上の先輩が東京藝大附属音楽高校(藝高)に合格。自分も藝高の存在を意識し始めました。しかしその後、中学時代に自分の目標を見失ってしまい、ヴァイオリンから離れた時期があります。
 今にして思えば、思春期の反抗期的なものも交じっていた気がしますが、ヴァイオリンをあまり弾かなくなって、勉強の方を頑張ろうと塾にたくさん通いました。進学の際、音楽高校は考えず、英語が好きだったので旭川藤女子高校(現・旭川藤星高校)英語コースへ。私立で学費が高いので、授業料免除の特待生を目指して頑張り、合格しました。
 高1でニュージーランドへ短期留学。帰国後、改めてヴァイオリンと真剣に向き合い、再開することに。藝高には進まなかったけれど、東京藝大には絶対入るぞ、と気持ちを切り替えました。清水先生のレッスンを受けるため3ヶ月に1回東京へ通い始め(高3からは月1回)、高2からソルフェージュも本格的に始めました。父の転勤や妹の受験の都合もあって、高2の終わり(1月)に系列校の藤女子中学高等学校(札幌)へ転校。これで移動時間が減り、レッスンに通うのが楽になりました。

学生時代

 藝大の受験には全国から精鋭が集まるわけで、とても緊張しましたが、無事合格できました。学部では清水先生、大学院では野口千代光先生にお世話になりました。
 学部時代は周囲についていくのが大変で、必死でした。実技もさることながら、高校まで室内楽やオーケストラをやったことがなかったので。カルテットは初めて譜読みする曲ばかり。弦楽合奏で初めてコンサートマスターをさせていただいたのがマーラー《アダージェット》で、ブリテン《シンプル・シンフォニー》では持ち替えで初めてヴィオラを弾きました。授業は毎回新鮮で楽しかったのですが、同時にすごく焦っていました。
 大学4年の9月に、学生がソリストとして藝大フィルハーモニアと共演するモーニング・コンサート(大学3年の年度末試験がオーディションを兼ねる)に出演して、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を弾いたことが、一つの達成だったなと思います。この時、オーケストラっていいな、と改めて感じて、オーケストラ・スタディなどを勉強し始めました。
 大学院の2年間は2020〜21年度でしたので、コロナ禍の真っ只中。大学院1年生の前期の授業はほぼリモートでしたので、この時期は実家に帰省して札幌でレッスンを受けました。1人で閉じこもって気持ちが落ち込むことを避けられたので良かったと思います。
 大学院修了後は、桐朋オーケストラ・アカデミー(富山)へ。在籍は1年だけでしたが、コンサートマスターや首席奏者を現役で務めている方の隣で弾く機会が多く、とても刺激を受けました。

都響

 都響のオーディションを受けたのは2022年の冬。翌23年2月に合格をいただき、4月から試用期間、入団は8月です。都響は演奏にかけるエネルギーとパワーが素晴らしく、最初は圧倒されました。第2ヴァイオリンの弾き方次第で音楽の進む方向が変わってくる、という役割の大きさも実感する日々です。もっと研鑽を積んで、自分からもいろいろなことを発信できるよう頑張りたいと思います。 

(『月刊都響』2025年3月号 取材・文/友部衆樹)

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