楽員紹介 - 都響について
コンサートマスター
山本友重 (やまもとともしげ) Tomoshige YAMAMOTO
(2000年1月1日入団)
1969年、名古屋生まれ。
4歳よりヴァイオリンを始める。名古屋市立菊里高等学校音楽科を経て東京藝術大学音楽学部卒業。
第39回全日本学生音楽コンクール名古屋大会第2位受賞。第10、11回沖縄ムーンビーチミュージックキャンプに参加。第10回霧島音楽祭に参加、特別奨励賞受賞。イタリアのレッジョ・エミリアで行われた、第2回パオロ・ボルチアーニ賞国際弦楽四重奏コンクールに、すばる弦楽四重奏団として参加、第3位及び特別賞受賞。副賞としてフランス、パリの国際クァルテット・フォーラムに招待され、シャンゼリゼ劇場で演奏し、好評を博す。松尾財団室内楽コンクールに第1位受賞。東京国際音楽(民音)コンクール室内楽部門で、第2位受賞。
大学在学中より、すばる弦楽四重奏団、アール・レスピラン、ジャパンチェンバーオーケストラ、フェスティバルソロイスツ、日本各地の音楽祭などで室内楽的な活動に意欲を燃やす傍ら、数多くのオーケストラのゲストコンサートマスターを務めた後、22歳で東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団のコンサートマスターに就任。8年間にわたり重責を担ってきた。99年、退団。2000年1月、東京都交響楽団のコンサートマスターに就任。2023年4月、名古屋フィルハーモニー交響楽団の特別客演コンサートマスターに就任。
4歳よりヴァイオリンを始める。名古屋市立菊里高等学校音楽科を経て東京藝術大学音楽学部卒業。
第39回全日本学生音楽コンクール名古屋大会第2位受賞。第10、11回沖縄ムーンビーチミュージックキャンプに参加。第10回霧島音楽祭に参加、特別奨励賞受賞。イタリアのレッジョ・エミリアで行われた、第2回パオロ・ボルチアーニ賞国際弦楽四重奏コンクールに、すばる弦楽四重奏団として参加、第3位及び特別賞受賞。副賞としてフランス、パリの国際クァルテット・フォーラムに招待され、シャンゼリゼ劇場で演奏し、好評を博す。松尾財団室内楽コンクールに第1位受賞。東京国際音楽(民音)コンクール室内楽部門で、第2位受賞。
大学在学中より、すばる弦楽四重奏団、アール・レスピラン、ジャパンチェンバーオーケストラ、フェスティバルソロイスツ、日本各地の音楽祭などで室内楽的な活動に意欲を燃やす傍ら、数多くのオーケストラのゲストコンサートマスターを務めた後、22歳で東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団のコンサートマスターに就任。8年間にわたり重責を担ってきた。99年、退団。2000年1月、東京都交響楽団のコンサートマスターに就任。2023年4月、名古屋フィルハーモニー交響楽団の特別客演コンサートマスターに就任。
私の音楽はじめて物語
大沢先生は1~2ヵ月に1回、門下生を集めて合奏レッスンをしていましたし、才能教育研究会全体でも松本の夏期学校や春の武道館など、合奏に参加する機会は多かったと思います。レコードも好きで、《新世界より》やミルシテインが弾いた《亜麻色の髪の乙女》などを擦り切れるくらい聴いていました。小学3~4年ころです。
才能教育のおかげで、海外への演奏ツアーに何度か行かせていただく機会がありました。最初は中2の6月。「10 Children(テン・チルドレン)」というものに選ばれて、1ヵ月ほどイギリス、スウェーデン、ベルギーなどを巡りました。内訳はヴァイオリン8人とピアノ2人で、ヴァイオリンだけで合奏したりソロを弾いたり。
この時は貴重な体験ができたな、という程度だったのですが、中3の10月に今度は80名ほどの弦楽合奏団で東ドイツ(当時)へ。バッハ《シャコンヌ》(弦楽合奏版)などを演奏、この旅で合奏(オーケストラ)の魅力にとりつかれてしまいました。それまでは趣味のつもりでいたのですが、帰国してすぐ、両親に「音楽高校に行きたい」と相談。ピアノは小6のころから少しは弾いていましたが、ソルフェージュはそれから始めたので大変でした。
名古屋市立菊里高校音楽科に何とか合格。高校2年の後半から月に1回ほど東京へ通い、田中千香士先生のレッスンを受けて、東京藝大へ進学しました。
大学3年の時、霧島国際音楽祭で豊嶋泰嗣さん(新日本フィル・コンマス)と出会い、「卒業後はオケをやりたい」と話したところ、「じゃ、うち(新日本フィル)においでよ」と誘っていただいて。1ヵ月ほど後に彼の隣(トップサイド)で《巨人》を弾きました。これが初めてのエキストラ体験です。
それがきっかけとなって、いくつかのオーケストラからゲスト・コンマスとして呼んでいただけるようになり、やがて大谷康子さん(当時は東京シティ・フィル、現在は東響のコンマス)からオファーをいただいて、東京シティ・フィルのコンマスに就任。大学4年の1月でした。
東京シティ・フィルには8年間在籍、バレエやオペラをたくさん経験できたのは財産になっています。2000年に都響へ移籍。音色が豊かで、ダイナミック・レンジが広いオケだな、とびっくりした記憶があります。それから14年。都響のクオリティの上がり方は驚異的ですね。細部に至るまでスキがなくなってきました。かといってこれが完成形ではないですし、さらに上を目指して微力ながら頑張りたいと思います。
(『月刊都響』2014年1・2月合併号 取材・文/友部衆樹)