山口直美

第2ヴァイオリン

山口直美 (やまぐちなおみ) Naomi YAMAGUCHI

(1989年5月1日入団)

 8歳よりヴァイオリンを始める。東京藝術大学附属高校を経て、同大学、同大学院修了。
 スイス国際メニューインアカデミーで研鑽を積む。
 1987年より2年間、ラインドイツ歌劇場管弦楽団(デュッセルドルフ)に在籍。1989年、東京都交響楽団入団。
 佐々木茂生、久保田良作、多久興、田中千香士、原田幸一郎、岡山潔、A・Lysy、Ana Chumachenco、Rosa Feinの各氏に師事。

私の音楽はじめて物語

発表会で(8歳ころ)
発表会で(8歳ころ)
 最初に出会った楽器はピアノで、小1から近所の先生に習いました。小2から武蔵野の音楽教室に通ったんですが、曲が進んでオクターヴが出てくると、指が届かなくてアルペジオで弾かなければならない。それが子ども心にも悔しくて。
 ある時、教室の発表会があって、そこには様々な楽器の子が参加していたんですが、自分と同い年くらいの女の子がヴァイオリンでベリオの《バレエの情景》を弾いたんですね。こんなに小さな楽器なのに、いろんなことをやれるんだ、とすごく感動して、ヴァイオリンをやりたい! と。それで始めたのが8歳の夏です。武蔵野音大の佐々木茂生先生に師事しました。
 始めてすぐ、まだ開放弦のラの音しか弾けなかった時期に、弦楽合奏のコンサートに出ることに。《インディアン・プリンセス》という初心者向けの曲があって、これは第1ヴァイオリンがメロディ、第2ヴァイオリンはラの音だけ。それを皆で弾いて、自分はラしか弾いてないのに曲になってる!(笑)。これが私にとっての合奏の原体験です。
 小5のころ、家にあったオイストラフのレコードに夢中になり、ハチャトゥリャンの協奏曲をはじめ、ブラームスのソナタなどをよく聴いていました。オイストラフを勝手に自分の師と決めて、どうやったらこんな音色を出せるんだろう、と彼の録音なら手当り次第に聴いていましたね。
 同じく小5から桐朋の子供のための音楽教室に通い始め、久保田良作先生に替わりました。ヴァイオリンに対する憧れはずっと変わらず、たぶん一生弾いていくだろうな、と思いが定まったのはそのころです。まだ全然弾けてなかったのに(笑)。
 桐朋の音楽教室に通ったのは中2までで、縁あって方向を変え、東京藝大附属高校の受験を決めたのが中2の秋。
 運良くすべりこんだ藝高、そして藝大、大学院時代は仲間と一緒に、室内楽に打ち込みました。
 大学院修了後に行ったのが、スイス国際メニューインアカデミー。これは世界中から集まった音楽学生が、メニューインの愛弟子たちのレッスンを受けながら、20名ほどの弦楽合奏団を組んで世界各地で演奏するもの。メニューイン自身も時々、指揮や演奏で参加してくださいましたが、彼がまとっている静かな空気は独特でした。
 アカデミーに2年在籍、オーディションを受ける機会があって、1987年からデュッセルドルフのライン・ドイツ・オペラ団員として2年ほど弾きました。《ラインの黄金》や《ワルキューレ》、モーツァルトもたくさんやる機会があって、やはり音楽の基礎は「歌うこと」にあるな、と痛感しましたね。1988年秋に都響のオーディションを受け、翌年帰国・入団しました。
 都響の良さの一つは、柔軟性だと思います。指揮者から、あるいは楽員同士で刺激を受けながら変わっていき、スタンダードをどんどん上げていこうとしている。そういう変化についていける、柔らかな奏者でありたいな、と思っています。

(『月刊都響』2013年11月号 取材・文/友部衆樹)

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