楽員紹介 - 都響について
第2ヴァイオリン
上田慶子 (うえだけいこ) Keiko UEDA
(2009年4月入団)
東京音楽大学卒業。アメリカ、エール大学大学院で修士号を得た後、アーティスト・ディプロマを終了。シュレスヴィヒ・ホルスタイン音楽祭、タングルウッド音楽祭に参加。藤原浜雄、安芸晶子、ジョナサン・カーニーの各氏に師事。2004年にアメリカ、テネシー州ナッシュビル交響楽団に入団。2009年東京都交響楽団団員。
私の音楽はじめて物語
ちょうどそのころ、テレビでオーケストラを見て「これ(ヴァイオリン)をやりたい」と言ったらしいです。あまり憶えていないのですが。ただ母としては、ピアノもやっているしと少し考えたようで、8歳の誕生日プレゼントとしてヴァイオリンを買ってもらいました。
当時は広島に住んでいて、中島睦先生に師事したのですが、先日、久しぶりにご連絡したところ、中島先生は広島にいらっしゃる前に都響の楽員だったことを知って、都響とは最初からご縁があったのだな、とびっくりしました。
小5で東京へ引越して、都響ヴァイオリン奏者だった江口貴志子先生に替わりました。レッスンで東京文化会館にはよく来ていましたし、生まれて初めて聴いたオーケストラも都響です。
プロを目指そうという自信を持てなくて悩んだ時期もあったのですが、やはり音楽は好きだし、やれるところまでやってみよう、と音大の受験を決めたのが高2の時。江口先生にジェラルド・ジャーヴィス先生(都響コンマス/当時)を紹介いただき、2年間レッスンを受けました。音楽もお人柄も素晴らしい先生で、ジャーヴィス先生に出会わなければ、今の自分はないと思います。
東京音大へ進学、藤原浜雄先生に師事しました。ジャーヴィス先生には迷った時に時々お話を聞いていただいたりしていたのですが、ある時「ケイコは海外へ出た方がいいよ」と勧められて。大学2年の夏にカナダの音楽祭へ参加、安芸晶子(あきしょうこ)先生のレッスンを受けました。
ところが翌年、ジャーヴィス先生が急逝。そこまで病状が進んでいたとは知らなかったので、すごくショックでした。ただ、亡くなる前に「安芸先生のところに留学しなさい」と言ってくださったのを思い出しまして。遺言をいただいた気がして、大学卒業後、安芸先生が教えていらしたエール大学へ留学しました。
安芸先生のレッスンは本当に厳しかった。自分では仕上げたつもりでも、「全然できてない」と叱られる。強弱やアーティキュレーションはもちろん、楽譜に書かれている情報を全て読みとった上で音楽を作ること。自分なりの解釈を聴き手に明確に伝えなくてはいけない。エール大学での3年間は、とても勉強になりました。
その後はワシントン・ナショナル・オペラとボルティモア響で常連エキストラのような形で弾かせていただきながら、フリーの生活を3年。2004年にナッシュヴィル響へ入団して5年間活動、都響への移籍が決まって帰国したのが2009年です。
アメリカのオケは皆が個性を全開にする面白さがあり、都響は響きの作り方が丁寧でアンサンブルが緻密。私はとにかくオーケストラが好きですし、今、この場で弾けることを本当に感謝しています。皆様に音楽を楽しんでいただけるよう、今後も頑張っていきたいと思います。
(『月刊都響』2014年7・8月号 取材・文/友部衆樹)