髙橋洋太

コントラバス

髙橋洋太 (たかはしようた) Yota TAKAHASHI

(2006年4月14日入団)

青森市出身。青森山田高等学校、桐朋学園大学卒業後、2006年同研究科修了と同時に東京都交響楽団に入団。2005年青森市民文化顕彰受賞。セイジ・オザワ松本フェスティバル、東京・春・音楽祭など各地の音楽祭に毎年出演している。現在、東京都交響楽団奏者として活動するほか、バンドネオン奏者三浦一馬氏率いる五重奏団、東京グランド・ソロイスツ、久石譲氏プロデュース、FutureOrchestraClassics等に参加する他、雑誌「Tarzan」にて、音楽家としての身体のメンテナンスを紹介するなど、その活動は多岐に渡る。2022年3月にはコントラバスでは初録音となるピアソラ作曲の「タンゴの歴史」を収録した自身初のアルバムをリリースする。 2025年6月より青森県で開催される「青い海と森の音楽祭」では芸術総監督補佐・音楽主幹補佐を務める。

私の音楽はじめて物語

左:発表会で(小3)右:吹奏楽部の学習発表会(小4)
左:発表会で(小3)右:吹奏楽部の学習発表会(小4)
 祖母が音楽教師でした(私が生まれる前に引退していましたが)ので家にピアノがあり、両親もクラシック好き、という環境で育ちました。ヤマハ音楽教室でピアノを始めたのが3~4歳の時。5歳のころ安永徹さんのリサイタルを聴いて、帰宅したら布団叩きを持って弾く真似をして、「ヴァイオリンをやりたい」とずっと言っていたらしいです。6歳ころに海野義雄さんのリサイタルを聴いて、ロビーで売っていた《スプリング・ソナタ》のCDを祖母におねだりして買ってもらい、よく聴いていたのを憶えています。
 ただ、青森は弦の人口が少なくて、なかなか良い先生に巡り会えなかった。ようやく清水江里子先生にヴァイオリンを習い始めたのは小3からです。発表会ではアマチュアの大人の方たちも参加して合奏をする機会があり、《調和の霊感》などを弾いて、本当に楽しかった。
 小学校に吹奏楽部があって、小4から入ったんですが、「君はヴァイオリンをやっているから(同じ弦楽器の)コントラバスだね」と振り分けられてしまって。全然違う楽器なのに(笑)。コントラバスで最初に弾いたのは《こうもり》序曲だったので、カラヤン&ウィーン・フィルのニューイヤーの映像を何回も観て、オーケストラって格好いいなあ、と思っていました。
 中学校でも、レッスンではヴァイオリン、吹奏楽部ではコントラバスを弾く、という生活。その後、吹奏楽の特待生(コントラバス)で青森山田高校へ進学しました。将来の志望はまだ漠然としていましたけれど、とにかく音楽を続けたかった。高1の4月、進路希望調査があって、ヴァイオリンで桐朋へ行きたい、と書くにあたって清水先生に相談したところ、「あなたのヴァイオリンじゃ、無理かな。コントラバスをやっているんだから、そちらで頑張ってみたら」と言われてしまって。どうしようかと思いましたけれど、今となっては先生の判断は正しかった(笑)。
 高1の7月から月1回くらい東京へ通い、池松宏先生(N響首席奏者)に師事しました。先生は厳しくて、高2の終わりに「このままじゃ受験させられない。受験を諦めるか、部活をやめて受験に専念するか、どちらかにしなさい」と叱られて。ただ、自分は特待生で高校へ入ったので、部活をやめる=高校をやめる、こと。なので「部活も受験も諦めません、頑張ります」と言って、何とか桐朋に合格しました。
 学生時代は本当に練習しました。高校までは周囲に競争相手がいなかったので、自分のレベルが分からなかった。大学で上手な先輩方にたくさん出会って、このままじゃダメだ、と必死になりました。
 卒業後、研究科に1年在籍。その年度の終わりに都響のオーディションを受け、2006年に入団しました。都響は弾き方が素晴らしく統一されていて、ボウイングも伝統があります。入団後数年間は、それを叩き込まれましたね。最近、ようやく自分の音が都響の一員になりつつあるという感じはするんですが、今後も室内楽など新しいことにチャレンジしつつ、自分を高めていければ、と思っています。

(『月刊都響』2013年4・5月号 取材・文/友部衆樹)

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