田口美里

第1ヴァイオリン

田口美里 (たぐちみさと) Misato TAGUCHI

(2004年12月16日入団)

桐朋学園大学音楽学部演奏学科卒業、同大学研究科修了。
日本クラシック音楽コンクール全国大会第1位など数々のコンクールに入賞。
読売新人演奏会、サイトウ・キネン・フェスティバル、北九州音楽祭など出演。
子ども達へのコンサートや“世界の子どもにワクチンを”チャリティーコンサートなど、
独自のコンサートも精力的に企画している。恵藤久美子、原田幸一郎、堀正文の各氏に師事。
2004年より東京都交響楽団ヴァイオリン奏者。

私の音楽はじめて物語

母の手作りドレスで母と弾いた発表会(小3ころ)
母の手作りドレスで母と弾いた発表会(小3ころ)
 父が調律師、母がピアノ教師という家庭に生まれたので、家にはいつも音楽がありましたね。記憶にないくらい幼いころから母にピアノを習っていました。
ただ父はどうしても私に弦楽器をやらせたくて、小1から始めることに。ある方の紹介で桐朋の恵藤久美子先生に師事することになったんですが、母が最初に恵藤先生にお電話した時、「お子さんを本気で音楽の世界に導くおつもりですか」といきなり聞かれて、さすがに「いいえ」とは言えなかったと(笑)。何かそういう運命だったのかもしれません。
でも私は最初、ヴァイオリンを好きになれず、練習が嫌いで楽器を隠したりしていました。先生には本当に迷惑な生徒だったと思います。ただ、母のピアノ伴奏で弾くことは楽しかったんです。このころから人と一緒に弾くことが好きだったのでしょうね。
 小4の時に、とても好きな曲に出会いました。《ホーム・スイート・ホーム》変奏曲。これは初めて自主的に練習した記憶があります。小2から桐朋「子供のための音楽教室」にも通っていて、そこではオーディションに合格した子だけが出演できる演奏会があり、まずはそれに出たい、と少しずつ頑張れるようになりました。
 小学校の終わりころに、諏訪内晶子さんがチャイコフスキー・コンクールで優勝して、すごく憧れて。諏訪内さんの写真をヴァイオリンのケースに入れたりしていました(笑)。この人と同じ学校に行きたい、と思ったのが、桐朋を改めて意識したきっかけですね。
 無事に桐朋女子高校へ入れたんですが、オケも室内楽も盛んで、もう楽しくて楽しくて。室内楽は学校で夜10時まで練習できたんです。横浜の自宅まで2時間かかったので、帰宅は12時。すると自分の練習をやる時間がない。なので朝4時に起きて、朝と昼のお弁当を2つ持って、親に車で学校へ送ってもらう。早朝、車だと40分で学校へ着くんです。それで1限が始まるまで練習して、授業を受けて、放課後はまた室内楽。毎日ではなかったですがほぼそういう生活で、今にして思えばすごいなと。そこまで協力してくれた両親には感謝しています。
 高校から20代前半まで、サイトウ・キネン室内楽勉強会(奥志賀)、小澤征爾音楽塾、チョン・ミョンフンさんの指揮で弾いた別府アルゲリッチ音楽祭、小澤征爾さんが桐朋オケを指揮した《英雄》《春の祭典》、小澤征爾さん&ロストロポーヴィチさんと地方行脚をした「コンサート・キャラバン」など、自分の音楽人生にとって大事な経験をたくさん積むことができました。
 大学卒業後は研究科に1年在籍、フリーの期間が1年ほどあって、都響入団は2004年です。
 オーケストラ・プレイヤーはあらゆるテクニックが必要だな、と痛感しています。ボウイングや音色や表現力など、様々な要求に瞬時に対応できないといけない。そういう表現の引き出しをたくさん持った音楽家になれたらいいな、と。目標ですね。

(『月刊都響』2013年7月号 取材・文/友部衆樹)

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