柴田乙雄

コントラバス

柴田乙雄 (しばたおとお) Otoo SHIBATA

(2002年11月1日入団)

私の音楽はじめて物語

2歳ころ
2歳ころ
 私は両親が音楽家(父は作曲家の柴田南雄)で、最初の音楽との出会いは母が教えてくれたピアノです。ただ、父は私がやっていることについてあまり関心がなかったようですね。ピアノのレッスンを4歳から受け、チェロを5歳で始めましたが、どちらも小5で辞めてしまい、中1で始めたフルートも高2で中断。何ひとつモノにならなかった(笑)。進学した地元の都立高校で音楽仲間に出会って、駒場高校バロック・アンサンブルでチェロを再開したのが、自分にとっての原点かもしれません。
 それで高校を卒業したんですが、大学を受験することもなく、その後の4年間は何というか、模索の時代でした。父宛てに届く招待状をもらって演奏会へ行ったり、レコードを聴いたり、遊びでピアノを弾いたり。
 22歳の冬、ふと桐朋学園大学の入試要項を目にしたところ、「管打楽器およびコントラバス科については、当該楽器を習得していなくても入学を認めることがある」と書いてある。それでコントラバス科へ願書を出して、皆がコントラバスを弾く中でチェロを弾いて受験しました。
 運良く受かり、桐朋で本当にイチから小野崎充先生に教えていただきました。チェロを弾いていたおかげで左手は押さえることはできましたが、指の間隔は違いますし、右手も弓の持ち方が違う。その後の4年間は、我ながらよく練習したと思います。桐朋にはオーケストラの授業がありますが、例えばリハーサル10回と本番1回をやると単位がもらえる。これが年間10本くらいあるんですが、ヴァイオリンの学生の場合は年に2本くらいのところ、コントラバスは人数が足りなかったのでほぼ全てのステージに乗ることができました。そこで秋山和慶さんや小澤征爾さんの指揮も体験できましたし、とても勉強になりましたね。
 桐朋では楽器ばかりやっていて、授業はさっぱり出ずに中退。その後の3年ほどはフリーの生活で、29歳で新日本フィルへ入りました。当時は小澤征爾さんの指揮でオペラをいろいろやっていて、面白い時期でしたね。
 新日本フィルには12年いました。水戸室内管弦楽団へエキストラで行った時に、やはりエキストラで来ていた山本修さん(都響首席)と一緒に弾いたことがあって、フィーリングが合ったんでしょうか。都響で欠員が出た時に声をかけていただいて、指名オーディションを受け、無事入団することができました。
 自分もいつの間にか50歳になりましたが、まだまだ若い人に負けず65歳まで頑張ります。ワーグナーが好きなので、元気なうちに《リング》(ニーベルングの指環)をやってみたいんですが……。都響はシンフォニー・オーケストラなので難しいのは分かっているんですが、これが私の密かな野望(?)です。

(『月刊都響』2012年5月号 取材・文/友部衆樹)

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