大植圭太郎

オーボエ

大植圭太郎 (おおうえけいたろう) Keitaro OUE

(2006年5月12日入団)

私の音楽はじめて物語

ピアノの発表会で(小学1~2年ころ)
ピアノの発表会で(小学1~2年ころ)
 音楽との最初の出会いはピアノでした。3〜4歳頃ですね。通っていた保育所で、ふだんはオルガンで歌の伴奏をしている先生が、卒園式か何かの練習でピアノを弾いていた。その先生のそばへ1人で行って聴いていたのを覚えています。何か興味を惹かれたんでしょうね。それで「ピアノをやりたい」と言って、小学校に入る前くらいの時期に始めました。
 その後は発表会に出たり、学校の合唱の伴奏をしたり。中学ではテニス部でしたけれど、ピアノはずっと“細く長く”続けていたんです。中3の終わりころ、音楽大学に行きたいなと思ったんですが、どうも僕の能力ではピアノで行くのは難しいらしい。管楽器なら可能性があるんじゃないか、ということで、ピアノの先生に紹介していただいたのが呉山平煥先生(京都市響首席オーボエ奏者)でした。紹介された先生が違っていたら、別の楽器をやっていたかもしれません。ある意味、偶然の出会いだったんですが、自分にオーボエは合っていたと思います。
 初めて楽器を手にした時は、先生が組み立ててくれて、全てセッティングしたものを吹いたらすぐに音が出たので「簡単に鳴る楽器だな」と思った記憶があります。オーボエは難しい楽器だと言われますが、ちゃんと準備さえすれば音は出るんです。その「準備」が大変なんですが(笑)。
 僕の場合、最初からプロの先生に教えてもらえたのは良かったですね。練習で悩んだり迷ったりする苦労はなかったので。高校は地元(大阪)の公立に入り、部活もせずにレッスンに明け暮れました。音大に行くのが前提のレッスンでしたから、ついていくのに必死で。
 1年浪人して大阪音大へ進み、京都フランス音楽アカデミー(毎年3月に2週間開催されるマスタークラス)でカペツァリ先生(リヨン国立高等音楽院教授)に出会ったのが縁でフランスへ留学。パリで3年間勉強しました。
 帰国して1〜2年はフリーで、コンクールに参加したりオケのオーディションを受けたり。都響に入ったのは2006年です。
 プロの演奏現場は予想以上に大変で、自分の力不足を痛感しました。首席のお2人の存在が大きくて、広田智之さんにはレッスンを受けましたし、本間正史さん(2012年3月で退団)にも機会がある度に質問攻めにしていました。リードの発音からフレージング、ヴィブラート、楽器のコントロールまで丁寧に教えていただけて、留学時代よりも都響に入ってからの方が、自分が成長している実感があります。今後も、もっと良い演奏ができるよう焦らず努力していきたいと思います。

(『月刊都響』2012年4月号 取材・文/友部衆樹)

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