楽員紹介 - 都響について
トランペット 首席奏者
岡崎耕二 (おかざきこうじ) Kouji OKAZAKI
(2005年10月1日入団)
私の音楽はじめて物語
練習は土日も含めて毎日あり、途中からホルン、トロンボーン、テューバも加わって金管アンサンブルになりました。益田市の吹奏楽祭に出演したり、BSS(山陰放送)のコンクールに出たり。学校にはアコーディオンやピアニカなどの合奏部もあって、そこでシンバルを叩いたこともありました。
中学・高校は地元の公立で、その6年間は吹奏楽部にどっぷり浸りました。当時はオーケストラへの興味は全くなかったですね。中2の時、福井功先生(N響首席奏者)が益田市でクリニックを開いて、小中高生が40人くらい集まったんですが、1人ずつ吹いた時に「君は良い音をしているね」と言ってくださり、一言でしたけれど、励みになりました。
中学で指導をされていた陶山勝先生(武蔵野音大出身/オーボエ)に、卒業の際「音大へ進んでみないか」と勧められたのが一つのきっかけです。福井先生を改めて紹介いただいて高1からレッスンを受けるようになり、音大の受験準備を始めました。
当時は東京まで片道8~9時間もかかりましたので、レッスンと言っても高1〜2年の時は夏と冬の講習会だけ(年2回)。高3の受験直前の時期は月1回、夜行で朝に東京へ着いてレッスンを受け、当日また夜行で帰ったこともありました。
無事、武蔵野音大に入ったんですが、まわりは上手な人ばかりで、とにかく必死に練習しました。ただ、そのころはプロになる意識は全くなく、島根に帰って先生になるつもりで、せっかくなら楽器も上手くなろうと。それで4年生の時に教員採用試験を受けたんですが、落ちました。実は同じころ、なぜか大学に推薦されてNHKの「うたのおにいさん」オーディションも受けたんですが、これも落ちました(笑)。私の場合、トランペット以外のことをやると落ちる、ということがあって、それが転機になっています。
臨時採用など先生の仕事を探そうと思ったんですが、せっかくだからフリーで仕事をしてみないか、と大学の先輩にすごく勧められて。臨時編成のオケに参加したり、在京オケにエキストラで行ったり、オーケストラの魅力に目覚めたのはこの時期です。遅いんですけどね(笑)。
フリーの生活を5年ほどやり、そのあと新星日響〜東京フィルに15年在籍、都響へ入ったのは2005年です。まだ入団7年目なんですが、年齢的にはもうベテランになってしまったので、演奏できる幸せを感じつつ、役割と責任を果たしていければ、と思っています。
(『月刊都響』2013年1・2月号 取材・文/友部衆樹)