楽員紹介 - 都響について
第1ヴァイオリン
沼田雅行 (ぬまたまさゆき) Masayuki NUMATA
(1985年11月1日入団)
鷲見三郎、海野義雄、天満敦子、久保陽子、原田幸一郎、トーマス・クリスチャンの各氏に師事。
東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て、東京藝術大学音楽学部に入学。
同大学二年在学中に東京都交響楽団のオーディションに合格し、入団する。
ウィーン市立音楽院に留学し、トーマス・クリスチャン氏に師事。
東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て、東京藝術大学音楽学部に入学。
同大学二年在学中に東京都交響楽団のオーディションに合格し、入団する。
ウィーン市立音楽院に留学し、トーマス・クリスチャン氏に師事。
私の音楽はじめて物語
鷲見先生は記憶力の凄い方で、全ての生徒のレッスンに対し今まで何を言ったか、指遣いをどう変えたかなど、全部憶えていました。テクニックと音楽性、両方の面でとても勉強になりました。
中1で海野義雄先生にレッスンを受けるようになり、その流れで東京藝大附属高校へ進学。小2のころから、1人で電車に乗り都響の演奏会を聴きに行ったりしていましたから、音楽の道に進むことは自然でした。
しかし、高校・大学時代は、それを職業とするべきかを悩みました。音楽は好きで一生懸命やっていましたけれど、音楽に一途になりきるということができずにいましたので。幼い時からの友人の影響で、バイクや車などの機械系にも興味がありましたし。
高校時代は海野先生に次いで天満敦子先生に師事。久保陽子先生にレッスンを受ける機会もあり、そのご縁で原田幸一郎先生にもお世話になりました。
東京藝大へ進み、大学2年の夏に都響のオーディションを受けました。まだ受けるには早いと思っていたのですが、当時はオーディションの機会がとても少なかったですし、都響の先輩の勧めもあったので、受けてみようと。
そして、運よく合格。これで道が定まりました。当時から大学3~4年の場合は、学生の籍を卒業まで残して採用する「研究員」という制度がありましたが、大学2年(20歳)での合格は前例がなかったため研究員としては認められず、直接楽員として入団しました。
入団が1985年秋で、翌年から若杉弘さんの時代に。マーラーやワーグナーなど大曲が続いたのは大変でしたけれど、非常に良い経験になりました。
28歳の時に1年休団してウィーンへ留学、トーマス・クリスチャン先生に師事。一つひとつの音に対して丁寧に集中するレッスンで、音楽に対するアプローチが変わった気がします。
最年少で入団して、いつの間にかベテランと呼ばれる歳になりました。思い出深いのはフルネさんですね。指揮姿がとても綺麗で、フランス音楽の独特の時間の流れをオケから引き出す。ちょっと不思議な、言葉で表現できない感覚が素晴らしかった。
私は都響の創立年に生まれ、人生が都響の歴史とそのまま重なっているので、思い入れは深いですね。今後、都響がもっと世の中で存在感を増して、自分もその一員として役割を果たしていけたら、と思っています。
(『月刊都響』2014年9月号 取材・文/友部衆樹)