楽員紹介 - 都響について
オーボエ
南方総子 (なんぽうふさこ) Fusako NAMPO
(2009年10月1日入団)
東京都生まれ。12歳よりオーボエを始める。東京都立芸術高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学音楽学部器楽科卒業。新人演奏会(読売新聞社主催)、東京文化会館新進音楽家デビューコンサート出演。卒業後、サイトウ・キネン・オーケストラ、水戸室内管弦楽団、東京のオペラの森、小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトに出演。
2003年、日本フィルハーモニー交響楽団入団。2009年より東京都交響楽団オーボエ奏者。これまでにオーボエを河野剛、佐藤順子、小畑善昭、鈴木清三、宮本文昭、室内楽を鈴木良昭、中川良平、各氏に師事。
2003年、日本フィルハーモニー交響楽団入団。2009年より東京都交響楽団オーボエ奏者。これまでにオーボエを河野剛、佐藤順子、小畑善昭、鈴木清三、宮本文昭、室内楽を鈴木良昭、中川良平、各氏に師事。
私の音楽はじめて物語
小3の時に授業でリコーダーに出会って、これはすごく好きになりました。私は子どもの時から「吹く楽器」が好きだったんですね。それで小4から吹奏楽部に入ったんですが、希望したのはなぜか打楽器(笑)。よく憶えてないんですが、友だちが先に打楽器に入っていたからだと思います。ただこの時は打楽器の人気が高くて、私はフルートに回されました。
フルートはすぐに好きになりました。当時、金昌国さんが出演していたNHK趣味講座を熱心に観たり、オーレル・ニコレのモーツァルト《フルート協奏曲第1番》に夢中になって練習したり。小5からピッコロ兼任になり、ピッコロはマーチでは花形なので、《星条旗よ永遠なれ》など大好きでした。
小6の時に、コンクールの課題曲でオーボエが必要な曲があって、私が吹くことに。フルートとピッコロを吹き分けていたので、オーボエもできるかな、と先生が思ったらしいです。小6ではピッコロ&オーボエ兼任で、そのころはピッコロの方が好きでした。
地元の中学校に進んで吹奏楽部へ入り、ここからオーボエ専門に。ピッコロは変わらず好きでしたけれど、あまりにアンブシュア(口の形)が違うので、さすがに無理があるなと。部活動は楽しくて、私の中学時代の青春は吹奏楽、という感じです。
オーボエのレッスンを受け始めたのは中1から。藝大オケの河野剛先生に就きました。美しい音色で、とても影響を受けました。音楽高校へ行きたいと考えていましたので、ピアノやソルフェージュなど、改めて準備を始めました。
東京都立芸術高校を経て桐朋学園大学へ進んだのですが、大学2年から宮本文昭先生に就いたことが転機になりました。リードの作り方から改めて教えていただいて、レッスンもかなり厳しかった。漫然と音を出すのではなくて、頭の中で音のイメージを作って、意志をもってその音を吹く、ということを鍛えられた気がします。
卒業後はフリーで数年活動し、日本フィルに6年ほど在籍して、都響への入団は2009年です。オーボエ・セクションは新たに4人のメンバーが揃い、「新・マーラー・ツィクルス」も始まりましたので、今後もとても楽しみです。
都響では大編成の曲が注目されますけれど、個人的にはハイドンやモーツァルトをもっとやってみたいですね。編成が小さいと、管楽器は1人の役割が大きく、2番オーボエが充実しているレパートリーも多くて、吹いていて楽しいです。
(『月刊都響』2012年10月号 取材・文/友部衆樹)