小林明子

ヴィオラ

小林明子 (こばやしあきこ) Akiko KOBAYASHI

(1996年7月1日入団)

 東京芸術大学音楽学部卒業。同大学院音楽研究科修了。カール・フレッシュ音楽アカデミー、ライナソフィア王妃音楽アカデミーなど国内外で研鑽を積んだ。大泉町文化むら賞受賞。浅妻文樹、店村眞積、ジェラール・コセ、ジークフリート・フューリンガー、ハインリッヒ・コルの各氏に師事。オーケストラ、室内楽、ソロ演奏活動に限らず、都立日比谷高校、埼玉大学で、またマレーシア、イポーの音楽祭にマスタークラス講師として招かれるなど、後進の指導にも力を入れている。各方面の講師を招き楽器演奏における身体操作の研究をする勉強会、アキコズスタジオ主宰。

私の音楽はじめて物語

中西忠先生の門下生の合奏でヴァイオリンを<br />
弾く(2列目右/7歳ころ)
中西忠先生の門下生の合奏でヴァイオリンを
弾く(2列目右/7歳ころ)
 生まれは水戸市(茨城県)ですが、3歳から田辺市(和歌山県)で育ちました。父がアマチュアでヴァイオリンを弾いていましたので、最初の楽器の記憶は、父の練習風景です。そんなある日、父が私に「明子、ヴァイオリンやるか?」と。厳しい父だったので、怖くて「やる」と返事したのが運の尽き(笑)。5歳から中西忠先生に師事しました。
 中西先生は門下生と合奏をやるのが好きな方で、私も《おもちゃの交響曲》で打楽器を「ギイ!」と鳴らしたり、この時期がオーケストラの原体験ですね。小5で和歌山市へ引っ越し、そのころから学生音楽コンクールに参加するようになり、それなら大阪の先生にも習った方が良いだろう、と東儀祐二先生に替わりました。東儀先生にはボウイングやポジションなど基礎から改めて鍛えられ、当時はつらかったですけれど良い経験だったと思います。
 相愛大学附属音楽教室に子どものためのオーケストラがあり、私は教室には入らなかったのですが、オーケストラだけ中1から2年ほど通いました。高橋純子さん(現・都響チェロ奏者)たちと一緒で、《マ・メール・ロワ》などを弾いたのを憶えています。楽しかったですね。
 中2の時に東儀先生が亡くなり、澤和樹先生に少し見ていただいた後、林靖子先生(京都市立芸大)に師事。高1の時、澤先生にも林先生にも「あなたはヴィオラに向いていると思う」と言われまして。手が大きかったのと、わりと低音志向の音がしていたのだと思います。合奏の中のヴィオラは知っていましたけれど、ソロを聴いたことがなかったので、その年の冬にテレマンのヴィオラ協奏曲を大阪へ聴きに行ったところ、号泣するくらい感動しました。
 それで転向を決意。キリの良いところで高2の春から淺妻(あさづま)文樹先生に師事、東京まで月2回レッスンに通いました。淺妻先生は東京藝大で教えていらしたので、藝大を受験することになり、幸いにも合格。
 ただ淺妻先生は大学1年の時に亡くなり、大学2年からは店村眞積先生に師事、大学院までお世話になりました。その後、まさか店村先生と同じオケで弾くことになるとは、驚きとともに幸せを感じています。
 学生時代は学年オケで藝祭のみならず京都公演もやったり、盛んに活動。大学3年から在京オケのエキストラへ行くようになり、都響でも時々弾かせていただきました。大学院を修了してフリーの生活に入った年に、田浦康子さん(都響ヴィオラ奏者)からオーディションの情報をいただき、合格することができて、入団は1996年です。
 ヴィオラって鳴りにくい楽器ですし、アンサンブルの中ではメロディでもベースでもなく、立ち位置が難しいんです。でも内声がオーケストラをリードするのが理想だ、とよく言われますし、普通に弾いていると埋もれがちなので、そのくらいの気持ちでやると丁度良いのかもしれません。ヴィオラがもっと存在感を発揮して、更に都響を引っ張るようになる……のが私の野望です(笑)。

(『月刊都響』2014年6月号 取材・文/友部衆樹)

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