楽員紹介 - 都響について
トロンボーン 首席奏者
風早宏隆 (かぜはやひろたか) Hirotaka KAZEHAYA
(2023年4月1日入団)
第17回日本管打楽器コンクール第1位。
京都市立芸術大学を卒業。音楽学部賞ならびに京都音楽協会賞を受賞。讀賣新人演奏会に出演。
これまでに、東京交響楽団、京都市交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団と共演。
兵庫芸術文化センター管弦楽団トロンボーン奏者、関西フィルハーモニー管弦楽団首席トロンボーン奏者を経て現在に至る。
これまでにトロンボーンを呉信一、山本浩一郎、Joseph Alessiの各氏に師事。
京都市立芸術大学を卒業。音楽学部賞ならびに京都音楽協会賞を受賞。讀賣新人演奏会に出演。
これまでに、東京交響楽団、京都市交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団と共演。
兵庫芸術文化センター管弦楽団トロンボーン奏者、関西フィルハーモニー管弦楽団首席トロンボーン奏者を経て現在に至る。
これまでにトロンボーンを呉信一、山本浩一郎、Joseph Alessiの各氏に師事。
私の音楽はじめて物語
小さいころはあまり音楽との接点がなく、3歳の時に教育用のクラシック・レコードのシリーズを聴いたらしいのですが、あまり憶えていません。小学生時代は絵が好きでした。学校に漫画やアニメの絵を描くクラブがあり、当時は『ドラゴンボール』の全盛期でしたから、キャラクターの絵をたくさん描きました。それで集中力を養えた……かどうかは分からないのですが(笑)。
小6の時、地元の中学校の吹奏楽部が小学校へ来て演奏してくれて、友だちのお兄さんがユーフォニアムを吹いていて、とてもカッコよかった。それで中学では吹奏楽部に入り、ユーフォニアムを担当。厳しい部活で、毎日朝練があり放課後は6時まで練習、休みはお盆と正月だけ。最初の1ヶ月はマウスピースしか吹かせてもらえず、でもそのおかげで楽器を持った時はすぐに音を出せて、割とカンタンだなと思った記憶があります。
中1の終わりに、人数が足りないから、とバストロンボーンを吹くことに。それまではピストンで音程を決められたのに、スライドで音程を作るのはいい加減な感じがして、最初は好きになれませんでした。でも徐々に「いい加減」が「自在さ」に変わり、楽器にも吹奏楽にも夢中になりました。中3でテナートロンボーンに持ち替え、いきなり音域が上がりましたが、割と平気で吹いていました。
中学時代はエンパイア・ブラス(金管五重奏)の日本ツアーのライヴCDにハマり、盤面が擦り切れるくらい何回も聴きました。耳コピで楽譜を起こして、《聖者の行進》とかよく吹いてましたね。このCDには本当に育てられた気がします。
音楽の道へ
部活の先輩が何人も居て親しみがあった兵庫県立芦屋高校へ進学、もちろん吹奏楽部へ。入学したばかりのころ、同じ中学出身で、自分が勝手にライバル視していたフルートの同級生が「私は京都市立芸大(京芸)へ行く」と。僕は、この世には音楽大学というものがあるらしい、くらいの知識しかなかったので驚きました。京芸は国公立で学費が安いし、素晴らしい大学なんだ、などいろいろ話を聞いて。「じゃあ、オレも京芸へ行く」と決めました。
それまでは理系の大学へ行こうと思っていたのですが、高1の夏に音楽の道へ方向転換。ピアノの先生を探し、ソルフェージュの先生を探し……と、それまでトロンボーン以外何もやっていなかったので大変でした。トロンボーンは、伝手をたどって呉信一先生(京都市立芸大名誉教授)に師事。目の前で吹いていただいた音が本当に濃密で素晴らしく、衝撃を受けました。呉先生はサイトウ・キネンをはじめ様々なオーケストラで吹いておられましたから、追いかけて演奏会へ通うようになり、オーケストラにも興味をもちました。
高校時代はもう一つ、ジョセフ・アレッシ先生(ニューヨーク・フィル首席奏者)のファースト・アルバムを聴いて魅了され、このCDも擦り切れるくらい何回も聴きました。いつかこの人に習ってみたい、と憧れを募らせました。
高1の冬に阪神・淡路大震災に遭遇。幸い家族は無事でしたが、家が潰れてしまい、しばらくは何もできない時期がありました。やがて三田市へ家族で移住。高校にもレッスンにも通うのが遠くなり、移動に時間を取られた上に部活とトロンボーンとピアノとソルフェージュと、高校時代はかなり忙しい日々でした。
奇跡(!?)の合格
京芸の受験は、ソルフェージュが不安だったものの、トロンボーンはあまり上がらず楽しく吹けたので、何とかなるだろうと思ったのですが……落ちました。
京芸への思い込みが激しくて他の大学を1校も受けていなかったので、しばらくは放心状態。1週間ほどして呉先生から電話をいただき、「君は補欠リストの1番に居る。滅多に入学辞退者はいないけれど、もしも辞退者が出れば合格できる。期待せずに待ちなさい」と。
……そうしたら、辞退者が出たんですね(笑)。補欠ではありますが、めでたく現役合格となりました。
大学では、引き続き呉先生に師事。ある程度自分の思うようにやりなさい、という方針でいらしたので、大学2年の冬にニューヨークへ行き、ジョセフ・アレッシ先生のレッスンも受けました。アレッシ先生には「基礎」の大事さを思い知らされました。全てをシステマティックに、合理的に準備をする。リップスラーやロングトーンのルーティンを毎日やること。アレッシ先生の音はとても魅力的で、太くて力強く包容力がある。トロンボーンの理想ですね。
大学4年の時に日本管打楽器コンクールで第1位をいただき、大学を首席で卒業することができました。
オーケストラへ
卒業後の3~4年はフリーで活動しつつ、アメリカのオーケストラのオーディションをたくさん受けました。バッファロー・フィルやワシントン・ナショナル響、サンディエゴ響など。後の関西フィル時代に、ミュンヘン・フィルからの招待オーディションを受けたこともあります。ニューヨーク・フィル副首席のオーディションではセミ・ファイナルまで行くことができ、アレッシ先生には「君はもう僕の生徒じゃない、友人だから」と言っていただけて、何かを一つ達成できた気がしました。
2006年に26歳で兵庫芸術文化センター管へ入団。ここは3年契約ですから、契約終了後、2009年に関西フィルへ入りました。忙しいオーケストラで、首席は自分1人でしたから乗り番も多く、鍛えられました。レパートリーが広がったのと、関西フィルはバレエのピットに入ることが多かったので、舞台で起こることに臨機応変に対応する力が養われたと思います。
2022年夏に都響のオーディションを受け、11月末から試用期間、入団は2023年4月です。都響は重厚で美しい音色をもつオーケストラ。弦楽器に厚みがあり、管楽器も端正な音色を奏でる。金管楽器は通常、弦をかき消さないように音量を抑えることを求められますが、都響ではその心配がなく、演奏に集中できます。自分の演奏スタイルを変える必要があり、実際のところ入団してからだいぶ吹き方が変わりました。
ローブラス・セクションは、オーケストラを支え、充実した響きを作るのが仕事。今後ももっと良い演奏ができるよう、努力を続けたいと思います。
(『月刊都響』2024年10月号 取材・文/友部衆樹)