楽員紹介 - 都響について
クラリネット
勝山大舗 (かつやまだいすけ) Daisuke KATSUYAMA
(2011年9月1日入団)
13歳より吹奏楽部にてクラリネットを始める。世田谷学園高等学校を経て東京音楽大学卒業。第84回日本音楽コンクール第1位を始め、日本管打楽器コンクール、日本木管コンクール、日本クラリネットコンクールで入賞。これまでにクラリネットを日向秀司、浜中浩一、亀井良信、加藤明久の各氏に師事。東京佼成ウインドオーケストラを経て、現在東京都交響楽団クラリネット奏者及び紀尾井ホール室内管弦楽団クラリネット奏者。国立音楽大学、桐朋学園大学、東京音楽大学各非常勤講師。「こどものためのクラシック」登録アーティスト(ソニー音楽財団)。
私の音楽はじめて物語
中学受験をして世田谷学園(中高一貫)へ入り、部活動紹介で吹奏楽部の演奏を聴いて、やってみたいと思いました。サックスを吹いていた先輩が格好良く見えて、それをやりたかったのですが、人数の都合でクラリネットに割り当てられてしまって。それなら入部を辞めようか一瞬考えたのですが、すぐに音を出せて、上手な先輩方もたくさんいたので、続けることにしました。
人数が少ない部でしたので、吹奏楽コンクールには不参加。しかしアンサンブルコンテストでは毎年全国大会に進出していました。顧問の加藤雅之先生と、奥様でクラリネットのコーチをしていた加藤純子先生にお世話になり、中学・高校時代は部活動中心の生活でした。
高2の夏に吹奏楽部を引退、理系の大学を目指して受験態勢に入ったのですが、音楽の先生になってアンサンブルの指導をしてみたいな、という気持ちが湧いてきて。音楽大学の受験を決めたのが高2の終わり。日向秀司(ひゅうがしゅうじ)先生にレッスンを受け、ピアノとソルフェージュもそれから始めたので大変でした。
東京音大へ進み、浜中浩一先生、次いで亀井良信先生に師事しました。大学1年から(山本直純さんが指導していた)ジュニア・フィルに参加、大学2年の時に《悲愴》の1番パートを吹いたのが思い出です。オーケストラの原体験はジュニア・フィルですね。また、1つ上の学年だった川瀬賢太郎さん(現・神奈川フィル常任指揮者/名古屋フィル指揮者)が学園祭の時にオーケストラを作り、そこでラフマニノフ2番やドヴォルザーク8番を演奏しました。
大学4年の時に初めてオーケストラからエキストラとして声をかけていただいたのですが、時期が教育実習と重なってしまって。結局、教育実習を断ってエキストラへ行きました。つまり教員免許を取れなかったのですが、既にオーケストラをやってみたい、という気持ちになっていましたし、それが転機になりました。
卒業後、東京佼成ウインドオーケストラのオーディションを受け、2010年3月に入団。クラリネット・セクションのトップを吹かせていただく機会が多くてとても勉強になりました。ヨーロッパ・ツアーでイタリア、ドイツ、スイス、トルコなどを訪れたのも印象に残っています。
東京佼成の在籍時から時々、都響にエキストラで参加させていただき、オーディションを受けて移籍したのは2011年9月です。吹奏楽とは指揮者との距離感が異なりますし、弦楽器との合わせ方も難しいので、まだまだ研鑽の日々です。入団して3年間で、インバルさんのマーラーを全曲体験できたのは得難い経験でした。
今後も世界に誇れるオーケストラを目指して、自分にできることを努力していきたいと思います。
(『月刊都響』2014年10月号 取材・文/友部衆樹)