楽員紹介 - 都響について
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第2ヴァイオリン
海和伸子 (かいわのぶこ) Nobuko KAIWA
(1996年4月1日入団)
東京都青梅市出身。東京藝術大学附属音楽高等学校を経て、同大学器楽科卒業。東京文化会館新進音楽家デビューコンサート出演。
糀場富美子作曲、無伴奏ヴァイオリンのための「ルブリョフの扉」を初演。西村朗作曲、2台ヴァイオリンのための「ラティ」日本初演。
フランス、オランダ、エジプト、スペインなど各地の音楽祭に出演。
都響での演奏を軸にソロ、室内楽、録音などの活動を積極的に行う。
これまでに、足立佳代子、田中千香士、澤和樹、清水高師の各氏に師事。
現在東京都交響楽団団員。東京シンフォニエッタ、ローズタウントリオのメンバー。
糀場富美子作曲、無伴奏ヴァイオリンのための「ルブリョフの扉」を初演。西村朗作曲、2台ヴァイオリンのための「ラティ」日本初演。
フランス、オランダ、エジプト、スペインなど各地の音楽祭に出演。
都響での演奏を軸にソロ、室内楽、録音などの活動を積極的に行う。
これまでに、足立佳代子、田中千香士、澤和樹、清水高師の各氏に師事。
現在東京都交響楽団団員。東京シンフォニエッタ、ローズタウントリオのメンバー。
私の音楽はじめて物語
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10代前半でした。<br />
これは楽しみで弾いていたころ(6歳)"
10代前半でした。
これは楽しみで弾いていたころ(6歳)
通ったのは才能教育研究会(スズキ・メソード)で、初めて習ったのは足立佳代子先生。優しい先生で、私は練習は得意ではなかった(笑)ですけれど、楽器を弾くのは好きで、皆と一緒に演奏するのが楽しかった。それが今につながっている気がします。
最初に聴いたオーケストラは東京交響楽団で、小学3〜4年生のころ。先ほどの従姉が東響に入り、「第九と四季」を東京文化会館で何回か聴きました。《第九》がかっこいいなあ、と思って、でもなぜか《四季》はよく覚えてないんです。ヴァイオリンのソロがあるのに。そのころから、ソリストではなくオーケストラ志向だったのかもしれません。
小5の時に、従姉が「ヴァイオリンを本格的にやってみない?」と声をかけてくれて、田中千香士先生を紹介してくれた。ただ、当時の私は基本が身についてなくて、この世にスケール(音階)があることを知らなかった(笑)。そんな子がいきなり千香士先生のところへは行けないので、まずスケールや音程の取り方などを従姉に習い、それから千香士先生のところへ通うようになりました。
小学校の卒業文集に「オーケストラに入りたい」って書いているんです。これも従姉の影響かもしれませんね。東京藝大附属音楽高校を受験することを決めて、中2からソルフェージュや楽典も始めました。その年に音楽鑑賞教室で都響を聴いていて、《モルダウ》とかを覚えています。
高校時代は室内楽を初めてやったり、楽しいことが多かった。藝高ってわりと音楽一筋じゃなくて、別のことにも幅広く目を向けさせてくれたんです。テニスやスキーに出会って、今でも続けているのは高校の授業のおかげですし、そういう体験ができたのは良かったですね。
藝大4年生の時に、初めてエキストラとして都響で弾いて、すごく雰囲気が良いオケだなと思いました。若杉弘さんが音楽監督で、マーラーなどを盛んにやっていた時期です。それで同じ年にオーディションを受けたんですが、通ることができませんでした。大学卒業後、しばらくはフリーで活動しましたが、やっぱり都響で弾きたくて。96年に4年ぶりにオーディションがあり、今度は入ることができました。
私の場合、ヴァイオリンと出会った時の記憶は曖昧で、気がついたら弾いていた、という感じです。でも今、楽器のない生活は考えられないですね。
(『月刊都響』2012年4月号 取材・文/友部衆樹)