楽員紹介 - 都響について
第2ヴァイオリン 首席奏者
遠藤香奈子 (えんどうかなこ) Kanako ENDO
(1999年9月1日入団)
桐朋女子高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学音楽学部を卒業。在学中、ヴァイオリンを鷲見健彰、原田幸一郎の両氏に師事。
2009年アフィニス文化財団の助成による海外派遣研修員としてニューヨークへ留学し、研鑽を積む。
第1回東京室内楽コンクール優勝。第2回大阪国際室内楽コンクール弦楽四重奏部門第2位。第5回パオロ・ボルチアーニ国際弦楽四重奏コンクールにて最高位ならびにサルバトーレ・シャリーノ特別賞を受賞。霧島国際音楽祭特別奨励賞、青山音楽賞バロックザール賞等受賞する他、国内外の音楽祭へ招待されるなど、アンサンブル奏者としての能力を高く評価され、室内楽からオーケストラの客演首席奏者まで幅広く活動している。
現在、東京都交響楽団第2ヴァイオリン 首席奏者、The 4 Players Tokyo(弦楽四重奏団)第2ヴァイオリン奏者を務める他、横浜シンフォニエッタのメンバーとしても活躍するなか、ソロリサイタルや施設へのボランティア出張演奏も定期的に行い、幅広い世代と環境へのクラシック音楽の普及に意欲的に取り組んでいる。
2009年アフィニス文化財団の助成による海外派遣研修員としてニューヨークへ留学し、研鑽を積む。
第1回東京室内楽コンクール優勝。第2回大阪国際室内楽コンクール弦楽四重奏部門第2位。第5回パオロ・ボルチアーニ国際弦楽四重奏コンクールにて最高位ならびにサルバトーレ・シャリーノ特別賞を受賞。霧島国際音楽祭特別奨励賞、青山音楽賞バロックザール賞等受賞する他、国内外の音楽祭へ招待されるなど、アンサンブル奏者としての能力を高く評価され、室内楽からオーケストラの客演首席奏者まで幅広く活動している。
現在、東京都交響楽団第2ヴァイオリン 首席奏者、The 4 Players Tokyo(弦楽四重奏団)第2ヴァイオリン奏者を務める他、横浜シンフォニエッタのメンバーとしても活躍するなか、ソロリサイタルや施設へのボランティア出張演奏も定期的に行い、幅広い世代と環境へのクラシック音楽の普及に意欲的に取り組んでいる。
私の音楽はじめて物語
小1のころ、両親の仲間に入れてもらい初めて一緒に演奏したら、すごく楽しくて。もっと上手になったらたくさんの曲をいろいろな人と弾けるんだ、と。大人たちも誉めてくれるし、すっかり良い気分になった(笑)。泣いてばかりで幼稚園もほとんど行けなかった私が、自分の居場所を見つけられた瞬間でした。
小2から桐朋の子供のための音楽教室(鎌倉)へ通い始め、加藤治男先生に師事。ご高齢だった加藤先生が鷲見健彰先生をご紹介くださり、小4から師事。最初の数ヶ月は開放弦しか弾かせてもらえずでしたが、小6の時《ツィゴイネルワイゼン》を弾くことになり、祖父が大好きな曲だったこともあり、ものすごく練習しました。その時、演奏者としての音楽提供の仕方など、音楽は自己満足ではなくて弾く人聴く人みなのものなんだと実感しました。
当時、小学校から続く中高一貫の学校へ通っていたのですが、中2の時、鷲見先生が「これからどうしたいの」と聞いてくださって。間髪入れずに「ヴァイオリニストになります」と答えた。自分の言葉にびっくり。その日レッスンの付き添いに来ていた母はもっとびっくり。逆に先生は「ああそうだね、香奈ちゃんはそう言うと思ったよ」と。
それで急に話が動き始めたのですが、他の人よりリスタートで手間取っているから音高から7年間かけて勉強するべきだと、いきなり高校受験生活に。肝心の実技受験日に39度近い高熱を出し、どう弾いたか全く記憶にないのですが、無事に桐朋女子高校に合格。
高校入学後は、鷲見先生の他に原田幸一郎先生にも師事。大学で室内楽に夢中になり、友人たちとクァルテット・エクセルシオ(弦楽四重奏団)を結成しました。この時期に出会った全ての人には、世界中まわって感謝の気持ちを伝えたい。ここではお話ししきれないほどのエピソードがあるから、本でも出したいくらい(笑)。
その後カルテットの活動も本格化する中、矢部達哉さん(都響ソロ・コンマス)に声をかけていただきオーディションを受け、1999年に都響へ入団しました。そして3年ほどカルテットと両立していたのですが、オケに在籍しているのは私だけでしたので、今後の方針など長い月日をかけて話し合い、結果脱退することに。都響では2004年から第2ヴァイオリン首席を弾かせていただいています。
今は家にいても容易に音楽を聴ける時代ですが、演奏会はナマもの。舞台にも客席にも人生の中の貴重な時間をやりくりして今日ここで共に過ごそうと集まった人々がいて、って、それってすごいエネルギー。私たち都響の演奏を通して、宇宙的確率の人との出逢いがあっての生きている音楽の素晴らしさを発信していけたら、と思っています。
(『月刊都響』2014年12月号 取材・文/友部衆樹)