安藤芳広

ティンパニ&打楽器 首席奏者

安藤芳広 (あんどうよしひろ) Yoshihiro ANDO

(1993年4月1日入団)

1987年 東京芸術大学音楽学部器楽科卒業。
在学中よりオーケストラを中心に様々なエリアで活動開始。
1993年 東京都交響楽団入団。95年より首席ティンパニ&打楽器奏者に就任、現在に至る。
1997〜1998年 アフィニス文化振興財団の派遣によりドイツ・ベルリンへ留学。ベルリン・フィルのソロ・ティンパニスト ライナー・ゼーガース氏のもとで研鑽を積んだ。

武蔵野音楽大学専任講師、沖縄県立芸術大学非常勤講師。

私の音楽はじめて物語

幼稚園のころ
幼稚園のころ
 幼いころから音楽は好きだったようで、聴き覚えた童謡などを家にあった電子オルガンで弾くことがとても楽しかった記憶があります。近所にあった従姉妹の家にはピアノがあり、遊びに行くたび自己流に弾いては親戚にほめられるのが嬉しかったのですが、小3のころ行き始めたレッスンは、厳しさに耐えられず、あっという間に辞めてしまいました(笑)。
 小学校が6年生全員で鼓笛隊を編成する珍しい学校で、選抜メンバーが指揮、バトン、打楽器、残り大勢がリコーダーを担当するのですが、その指揮をどうしてもやりたかった。小6になる時に小太鼓の試験があって選抜メンバーを決めるらしいと聞き、先輩に頼んで事前に課題の楽譜を入手。こっそり猛練習して念願の指揮者になったのですが、今思えばその時のコソ練(笑)が自分にとっての太鼓の原体験かもしれません。
 中学では器楽クラブに入りました。学校行事で何か演奏する程度の活動でしたが、メンバーが7~8人しかおらず、一人で太鼓や木琴、トランペットも吹きました。当時はフォークソング全盛でもあったので、ご多分に漏れずバンドを組んでドラムやギター、ベースをやった思い出もあります。
 高校進学と同時に吹奏楽部へ入部。トランペットを希望しましたが、既に人数が一杯で、仕方なく(?)打楽器へ。都立の普通高校ですが、不思議なことに音大進学者が多く、卒業生がよく指導に来ていたりして、「音楽の道」の存在を意識したのもこの頃です。高2から、OBで打楽器奏者として活躍していた谷田部敬一先生にレッスンを受け始め、1年浪人して東京藝大へ入学しました。
 ありがたいことに2年生になるころには、昼はオーケストラやスタジオ、夜はミュージカルと、エキストラの仕事が舞い込むようになり、いきなりプロの演奏現場へ飛び込んだので、否応なしに鍛えられました。特にミュージカルは、ティンパニをはじめオケの打楽器全般を扱うので、とても勉強になりましたね。お陰で卒業までに少し時間はかかりましたが(笑)、卒業後のフリー期間も含め、忙しくも充実した20代でした。
 都響へは1993年に入団、95年から首席奏者としてティンパニを担当させていただいています。97年にはベルリンへ留学、ライナー・ゼーガース先生(ベルリン・フィル首席ティンパニ奏者)に師事しました。最初のレッスンで、「ちょっと貸して」と私のバチでなにげなく楽器を叩いてくれたのですが、その音に心からぶったまげた(笑)。音程が明瞭、響きが豊かでフォルテシモを出しても全然うるさくない。基本的にあまり言葉で説明する人ではなく、“良い音”がどれだけ大事か、どういうサウンドがオーケストラに馴染むのかを、圧倒的な説得力のある「演奏」そのものから教わったという感じ。正に言葉では説明し難い貴重な体験でした。
 オーケストラで現役を務められるのは普通に考えてあと6~7年。例えばブラームスの交響曲第1番をあと何回やれるのかな、とふと考えることがあります。コンサートはそもそも1回限りのものですが、これからもその一つ一つを大切に、演奏を続けていきたいと思います。

(『月刊都響』2015年3月号 取材・文/友部衆樹)

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