東京都交響楽団

対 談

吉松 隆 × 国塩哲紀
《鳥たちの時代》と同時代音楽

まとめ・構成/国塩哲紀

右から吉松隆(作曲家)、国塩哲紀(都響芸術主幹)
 9月23日プロムナードで《鳥たちの時代》が演奏されるのを機に、吉松隆(作曲家)と国塩哲紀(都響芸術主幹)との対談が実現。20世紀末からの日本の作曲・演奏史の流れを振り返りました。
(2024年7月19日/ジャパン・アーツにて)

《鳥たちの時代》の時代

国塩 私が岡山シンフォニーホール勤務時代、新作委嘱(※1)のために吉松さんに初めてお目にかかってから30年以上経ちました。
吉松 そんなになるかなぁ。
国塩 このたび都響がプロムナードコンサートで《鳥たちの時代》を演奏します。指揮者の藤岡幸夫さんからご提案があった時、私も長年の吉松ファンの一人としてうれしく思いました。日本フィル・シリーズ(※2)第31作として1986年初演。当時の吉松さんは日本のいわゆる現代音楽界からは異端児扱いで(笑)、そんな中で日本フィルの英断と言えます。今振り返ってみて、この曲はご自身の中でどのような位置づけになっていますか?
吉松 今でも異端ですよ(笑)。デビューした頃は現代音楽界とはまだつきあいがありましたが、ある時僕が“現代音楽撲滅”とか言い出した途端、潮が引くようにまわりが離れていって、そこからはもう吉松のことは言わないようにしようという空気が業界に一気に広まってね(笑)。まったく相手にされず、なかったことにされてばかりで、特に交響曲を書き始めてからは、無視の連鎖が続きました。ただ、演奏家たちは当時から好意的で、けっこう委嘱してくれましてね。日本フィルもこの曲の次にトロンボーン協奏曲(《オリオン・マシーン》/1993)を依頼してくれました。《鳥たちの時代》は、それでも現代音楽的な要素と調性的な要素がギリギリな感じ(笑)で配合されていますしね。
国塩 そのバランスは狙ったのですか?
吉松 そうですね。まだ現代音楽界にちょっと気持ちが残っていたので(笑)。オーケストレーションは武満さんやベリオやペンデレツキらの影響を受けつつ、音の選び方だけ旋法的にするという……まだ現代音楽を引きずっていた時代ですよね。それにプラスして、鳥を表現する部分の書法は調性とかリズムとかを含めてプログレッシヴ・ロック的なところがあるのですが、そういうものを隠さず全部出していこうと思ったんです。無視されましたが。
国塩 すると《鳥たちの時代》は初演時は評判にならなかった?
吉松 評なし賞なし(笑)。オーケストラは気に入ってくれてヨーロッパ公演でも演奏してくれたりしたのですが、現代音楽界からは何の反応もなく。第1楽章の途中、トゥッティでメロディが出てくるんですが、それすら「こんなことやっていいんですか?」って非難された。そういう時代だったんですよね。ただ、自分としては《朱鷺によせる哀歌》《チカプ》《鳥たちの時代》の三部作で、鳥の鳴き声、翼をひろげるような響き、群れをなして飛んでいくような表現といった書法、いわば“鳥のオーケストレーション”を確立できたと思っていて、それはその後の展開にとって大きかったですね。

《鳥たちの時代》スコア表紙
レタリングは作曲家自身

朱鷺によせる哀歌

国塩 その《朱鷺によせる哀歌》も、コンクールで落ちたところを別宮貞雄(※3)さんが拾い上げたと聞きました。
吉松 《朱鷺によせる哀歌》(1980)は最初に室内楽編成で応募した時は最下位で落ちたんですよ。その時の演奏を聴いた別宮さんが、あれをオーケストラ編成に書き直して日本現代音楽協会の演奏会(※4)でやらないか? と言ってくれて世に出たのですが、ヨーロッパの現代音楽祭で演奏された時も「この人は気が狂っているのか?」などと言われました。つまり、当時の現代音楽の作曲家たちにとっては、調性で曲を書くということは“後退する”という感覚で「絶対やっちゃいけないこと」だったんです。もちろん当時もいわゆる新ロマン派と呼ばれた作曲家たちはいましたが、彼らもやはり退嬰的とみなされていたし、ショスタコーヴィチですら笑われていましたからね。現代音楽界は前進あるのみだと。でも、僕自身は後戻りしている感覚は全然なく、現代音楽の手法を全部入れた上に調性をプラスするという、むしろ“前衛”だと思っていた。
国塩 隔世の感がありますね。この数十年、ご自身の作品をめぐる環境の変化を感じることはありますか?
吉松 好意的な人は好意的、でもまだ正当に評価するわけにはいかない、という点は今も変わらないですね(笑)。

交響曲第5番

国塩 しかしまわりの見る目は変わりましたよね。交響曲第5番の初演(※5)に伺った時、サントリー芸術財団が吉松さんに委嘱する時代になったかと感慨深かったです。
吉松 あれは、細川俊夫とか西村朗とか取り上げたのに同世代の吉松を避けるわけにはいかないか、となっただけだろうなと感じましたけどね(笑)。
国塩 それで、「ジャジャジャジャーン」で始まる交響曲第5番を書いた。
吉松 あの頃は本当にやけくそで、何書いても賞もくれなければちゃんとした評価もしてくれないんだから、やりたいことをやってやる、と。そう思っていたら、シャンドス(※6)が、好きなことをやっていいよ、書いた曲をCDにすると言ってくれて、それがとてもありがたくてね。もともと交響曲を書きたくて作曲家になったのですが、オーケストラから委嘱されても通常は15分以内の曲、プログラムの1曲目想定なんですよ。それが45分50分の交響曲を書いてもいいとなったらこんなにうれしいことはありませんでしたね。それで振り切れたのが交響曲第3番以降です。
国塩 交響曲という形式についてはどのような思いでいらしたのでしょうか。
吉松 自分の中では、交響曲は三管編成のオーケストラだけを使って書く、という縛りを設けてきました。バンダや合唱を使えば派手にはなるし、現代作品としては和楽器を使ったりすればサウンドを作りやすいという面はありますが、自分は交響曲ではそういうことはしないという決まりを持って書いてきました。
国塩 好きなように書いてやるとおっしゃっていた割には、その点はずいぶんストイックですね。
吉松 伊福部昭さんから間接的に「交響曲の第1楽章はソナタ形式でなければいけない」と言われて、それが頭にあったこともありますね。要するに対立する2つのものをぶつけてそれが展開していくことが交響曲の基本なんだと。だから伊福部さん自身も例えば《シンフォニア・タプカーラ》を「交響曲第何番」とは名付けませんでしたよね。《鳥たちの時代》を交響曲としなかったのも同じ理由。もっとも、ソナタ形式とは何ぞやということ自体、人によっていろいろ見解があるのですが、僕の場合は、第2番(1991)、第3番(1998)を書いていた頃に、黒澤明の『七人の侍』を見返す機会があって、あの映画では侍と農民が対立項としてぶつかりあいますよね。でも侍の中にも農民の味方をする奴がいて、農民の中にも侍のふりをする奴がいて、それで話が展開されていく。あれを見て、ああこれはソナタ形式だと(笑)。時代劇と言いながら、完全に西洋的な構造を持っている。これが日本の交響曲の在り方ではないか、この方法なら日本の音楽として交響曲を書くことは可能だと思い至ったんです。
国塩 そうして第6番(2013)まで作曲された。
吉松 自分としては交響曲は第5番(2001)までだったんですよ。中学生の時に「ジャジャジャジャーン」で始まる交響曲を書きたいとバカなことを考えて、本当にやっちゃったわけで(笑)。しかも第5番は決して冗談なんかではなく、本気かつ本格的に書いていますからね。いずれにせよ、独学で音楽大学とも賞ともアカデミズムとも現代音楽界とも無縁なアウェーな状況でやってきて、サントリーホールで第5交響曲を発表するところまで行けたというのは本当にありがたいことで、まさに虚仮の一念、恐ろしいと言うか、面白いものですよね。
国塩 ご自分の中ではやり切ったと。
《鳥と虹によせる雅歌》初演時プレトークにおける吉松隆氏(左)と国塩哲紀。吉松氏は当時トレードマークだったベレー帽姿。(1994年9月25日 岡山シンフォニーホール「岡山フィルハーモニック管弦楽団第4回定期演奏会」)

日本の交響曲をメインに

吉松 そうですね。最近になって若い世代の指揮者、原田慶太楼君がありがたいことに自ら望んで交響曲を全部演奏してくれて(2021年8月~2024年1月/オーケストラは東響、日本フィル、関西フィル、読響、大阪響)、自分自身でも自分の交響曲を見直しましたし(笑)。
国塩 久しぶりの実演、いかがでしたか。
吉松 かつて藤岡君がやってくれた時と、曲の聴こえ方が違ったのが新鮮でした。それぞれ面白い。指揮者の解釈もあるでしょうが、時が経ち、聴衆も変わり、オーケストラも進化し、未知の作品に向き合う態度や考え方が変わってきたのかもしれませんね。とにかく日本のオーケストラは上手だし、本当に真面目に、精密に演奏してくれます。
国塩 お話を伺っていると、吉松さん含め、多くの日本の作曲家が勇気を持って交響曲を書いてきたのだから、日本のプロフェッショナルオーケストラも日本の交響曲を後半に据えて、興行面でも成功を目指す演奏会をやる知恵と勇気をもっと持つべきかもしれないなという気になります。
吉松 ぜひ。埋もれている作品もたくさんあるはずですから。
国塩 最後に、辟易なさっている質問かもしれないのですが、還暦過ぎてからは委嘱はすべて断り、作曲自体ほとんどなさっていないと伺いました。
吉松 もともと人生50年と思っていて、交響曲第5番を書いたのが50歳直前で、いい巡り合わせだなと思ったし、50代は舘野泉さんのために曲を書いたり、アニメ『ASTRO BOY/鉄腕アトム』(2003)の音楽のお話をいただいたり、EL&P(※7)の《タルカス》のオーケストラ編曲(2010)もやったし、映画音楽(『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ』)(2009)もやったし、大河ドラマ『平清盛』(2012)の音楽もやったし、もういいんじゃないか。あまりにも恵まれすぎていて、これ以上望んだら罰が当たるんじゃないかなと。
でも、まあ、ひょっとしたらボケたはずみで突然「交響曲第12番」とか書くかもしれないですが(笑)、藤岡君や原田君には「もし書いたら死ぬ時枕元に置いておくから、やりたきゃやって」と言ってあります(笑)。
国塩 私も彼らと一緒に探しに参ります(笑)。

※1 《鳥と虹によせる雅歌》 1994年9月25日 田中良和指揮岡山フィルハーモニック管弦楽団により初演。
※2 日本フィルハーモニー交響楽団創立期より始められた邦人作品の委嘱シリーズ。現在までに42作。
※3 べっくさだお 作曲家(1922~2012)
※4 1981年2月19日「現代の音楽展81」山田一雄指揮日本フィル
※5 2001年10月6日 サントリーホール「作曲家の個展〈吉松隆〉」藤岡幸夫指揮東京都交響楽団
※6 CHANDOS 英国のレコード会社
※7 エマーソン・レイク・アンド・パーマー Emerson, Lake & Palmer 英国のプログレッシヴ・ロック・バンド

Photo: ©Naoki Hashimoto

吉松 隆 Takashi Yoshimastu
 1953年(昭和28年)東京生まれ。作曲家。慶應義塾大学工学部を中退後、一時松村禎三に師事したほかはロックやジャズのグループに参加しながら独学で作曲を学ぶ。
 1981年に《朱鷺によせる哀歌》でデビュー。以後、現代のクラシック系音楽創作界(いわゆる「現代音楽」)の非音楽的な傾向に異を唱え、調性やメロディを全面的に復活させた独自かつ異端の路線を貫き、作曲活動を展開する。作品は、交響曲6曲や協奏曲10曲をはじめとするオーケストラ作品を中心に、「鳥のシリーズ」などの室内楽作品、《プレイアデス舞曲集》などのピアノ作品のほか、ギター作品、邦楽作品、舞台作品など多数。
 1998年からはイギリスのシャンドス(Chandos)とレジデント・コンポーザーの契約を結び全7枚におよぶオーケストラ作品集を録音。また、プログレッシヴ・ロックの名作『タルカス』のオーケストラ・アレンジ、NHK大河ドラマ『平清盛』の音楽なども担当。クラシックというジャンルを超えた幅広いファンの支持を得ている。
 評論・エッセイなどの執筆活動のほか、FM音楽番組の解説者やイラストレイターとしても活動し、著書に『調性で読み解くクラシック』(ヤマハ)、自伝『作曲は鳥のごとく』(春秋社)などがある。