日本フィル創設(1956年)に当たって音楽監督・常任指揮者に就任、以降3期にわたり日本フィルのシェフを務め、京響、広響の音楽監督・常任指揮者も歴任した。都響へは1972年4月に第2代音楽監督・常任指揮者に就任。マーラーの交響曲やストラヴィンスキー《春の祭典》などレパートリーとして欠かせない作品や大曲を果敢に採り上げ、初の海外ツアー「ソ連・東欧演奏旅行」(1977年)を実施。都響をメジャー・オーケストラへステップアップさせた。