第871回 定期演奏会Bシリーズ

シェーンベルク:ヴァイオリン協奏曲 op.36

 かつてはアルノルト・シェーンベルク(1874 ~ 1951)の生涯を「後期ロマン派の調性音楽」に始まり、「表現主義的な無調音楽」、「12音技法の確立と発展」、そしてアメリカ亡命後に「再び調性へと回帰する」という流れで概観するのが一般的であった。

 しかし現在では、そうしたスタイルの変遷のなかに連続的な繋がりがあったと指摘される機会も増えている。いわく、シェーンベルクの作曲法は初期の調性音楽から一貫して、彼がモーツァルトやブラームスから学んだと主張する「発展的変奏」に基礎をおいてきたのだと。この手法は通常の変奏(装飾的変奏)と異なり、主題に含まれる「音と音の間隔(音程関係)」や「リズム」をもとに多様な変形を行うことで、新しい旋律線を生み出すという考え方なのだ。高度な作曲技法であることは間違いないが、その変形プロセスが耳だけでは聴き取れないため、響きが抽象的になるほど音楽自体も親しみづらくなってしまう。これが無調や12音技法の時代の作品がなかなか理解されない理由だといえるだろう。

 1933年、パリでユダヤ教に改宗した後、生まれたばかりの娘を連れてシェーンベルク夫妻はナチス政権から逃れてアメリカへと亡命。だがボストンやニューヨークでの仕事は「アインシュタインが中学で数学を教えるようなもの」と本人が喩えるほど内容的にも経済的にも満足のいくものではなく、翌年にはロサンゼルスへ移住。ここが終の棲家となり、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の教授をしながら、ほそぼそとではあるが作曲を続けた(余談だが、この時期の弟子のひとりがジョン・ケージ〔1912~ 92〕だ)。

 亡命以前から、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886 ~ 1954)指揮ベルリン・フィルによって初演された畢生の大作《管弦楽のための変奏曲》(1926 ~ 28)でさえ初演が失敗していたシェーンベルクであったから、アメリカで理解されるはずもなかった。パブロ・カザルス(1876 ~ 1973)から委嘱を受けてマティアス・ゲオルク・モン(オーストリアの作曲家/ 1717 ~ 50)のチェンバロ協奏曲を編曲したチェロ協奏曲や、学生の弦楽オーケストラ向けに書いた新古典主義風の《組曲 ト長調》など、調性寄りの作品しか需要がなかったのだ。

 そうした状況のなか、1934年に作曲が始められたのが本作である。12音技法に基づきながらも時に柔和な響きを用いたり、一部で明快なモティーフを登場させたり、反復性を強めたりすることによって「再び調性へと回帰」したかのように聴こえる作品に仕上げられている。

 第1楽章(ポーコ・アレグロ)は3つの部分から成る。独奏ヴァイオリンによる「付点リズム」と、それをオーケストラが模倣していくところから始まる。すぐさまヴァイオリンが伸びやかな旋律を奏で始めるのだが、これが全楽章を統べる12音技法に基づく「音列」だ。この音の並びを上下逆さまにしたり、順番を逆にしたりしたものを、垂直、水平方向に展開していくことで全曲が形作られているのだ。ただし、前述したように聴覚だけではそのプロセスが追えないため、冒頭に登場する「付点リズム」が、実質的な主要主題として、第1楽章の随所に現れる。次第に音数が増えていくと緊張感が増し、音楽が盛り上がっていく。その際、フレーズやセクションの変わり目はテンポのアゴーギクや、明快な音色の変化によって示される。

 弦楽器のピチカートがフォルテシモで印象的に奏でられた後、テンポが速くなり、ソナタ形式における「展開部」のようなセクションに突入。「発展的変奏」によって、音列に基づきながらも次々と音楽が変形していく。テンポが戻り、同音連打が印象的に響きわたるところからが再現風となるのだが、冒頭のセクションが回帰するわけではない。きちんとした回想は、カデンツァのあと、楽章終わりの数小節間だけ行われる。

 第2楽章(アンダンテ・グラツィオーソ)は、ほぼA-B-A-B-Aの形。冒頭から独奏ヴァイオリンによって登場する旋律は第1楽章の「音列」を完全5度上に移したものに基づいている。この楽章では音列を反復する規則が緩くなることで、調性音楽的な雰囲気を醸し出す(アルバン・ベルク〔1885 ~ 1935〕のヴァイオリン協奏曲《ある天使の思い出に》と似てくるのはそのためだ)。チェロのたゆたうような反復音型が現れるところからセクションが移り変わるようにも聴こえるが、作曲の観点からいえば独奏がしばらく休んだ後に木管楽器と絡みながら再登場、今度はなだらかな旋律線を描くところが次のセクション(B)となる。その後も、この2つの要素が交互に入れ替わっていくのだが、凝った変奏で区切りは明確にされない。

 第3楽章(フィナーレ/アレグロ)は自由なロンド形式で、A-B-A-C-B-A-コーダの形をとる。冒頭でヴァイオリンが奏する旋律がロンド主題で、これは第1楽章の「音列」の反行形を完全5度下に移したものから作られている。このロンド主題(A)が何度も回帰、その間に異なる要素(B)(C)が挟まれていく。3回目に主題が回帰したあとにカデンツァとなり、コーダでは全3楽章に登場した要素がすべて集結。ラストは、オーケストラも加わってクライマックスを築き上げる。

(小室敬幸)

※ この曲と同じ時期にベルクがヴァイオリン協奏曲《ある天使の思い出に》(1935)を作曲。翌1936年、委嘱者ルイス・クラスナー(1903 ~ 95)によって初演されると、再演が繰り返され、名曲として知られるようになった。対してシェーンベルク作品は演奏機会に恵まれず、完成から初演まで4年を要した。理由の一つは独奏パートがあまりに難しかったためで、20世紀の大ヴァイオリニスト、ヤッシャ・ハイフェッツ(1901 ~ 87)も研究の末に演奏するのをやめ、楽譜をシェーンベルクに返却したという。結局、ベルク作品を初演したクラスナーが独奏者に名乗り出たことで、1940年に初演が実現した。

作曲年代 1934 ~ 36年
初  演 1940年12月6日 フィラデルフィア
ルイス・クラスナー独奏 レオポルド・ストコフスキー指揮 フィラデルフィア管弦楽団
楽器編成 フルート3(第3はピッコロ持替)、オーボエ3、小クラリネット、クラリネット、バスクラリネット、ファゴット3(第3はコントラファゴット持替)、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、シロフォン、フィールドドラム、タンブリン、グロッケンシュピール、トライアングル、シンバル、タムタム、大太鼓、弦楽5部




ブルックナー:交響曲第6番 イ長調 WAB106(ノヴァーク版)

 アントン・ブルックナー(1824 ~ 96)の交響曲の中で、この第6番はとりわけ地味な一曲に数えられるものかもしれない。神秘的な壮大さと幽玄な響きのうちに大自然の広がりを感じさせる第4番変ホ長調《ロマンティック》や、ゴシックの大伽藍のごとき巨大な構築物を思わせる荘厳な第5番変ロ長調といった先立つ2作に比べると、規模の点ではやや小ぶりな交響曲となっており(演奏時間は約55分)、技法的にもたとえば第5番で駆使された高度な対位法などは第6番では後退している。

 その点でしばしば初期のスタイルに後戻りした交響曲として過小評価されることもある作品だが、実はブルックナー自身が大胆なスタイルで書いたと述べているように、第1楽章のいわゆるブルックナー開始に独自のリズミックな性格を持たせたり、第2楽章でソナタ形式を採用したり、終楽章では第1主題と見紛うような導入主題を置いたりなど(いずれも後述)、それまでの彼の交響曲とは違った新しい試みが様々になされているのだ。規模こそ小さめながらも、第4番や第5番で示された実験的な精神はこの第6番でも発揮されているのであり、初期への後戻りどころか常に進化しようとするブルックナーの姿勢が示された意欲作といえるだろう。

 作曲は1879年の9月に着手された。その2ヵ月半前にはブルックナーとしてはきわめて珍しい室内楽ジャンルの傑作、弦楽五重奏曲ヘ長調が完成されている。1878年初めに第5交響曲を完成して以後、ブルックナーは第4交響曲の大幅な改訂に乗り出していたが、まだその作業が終わらないうちに弦楽五重奏曲を書き上げ、続いてこの第6番の作曲に乗り出したのだった。第1楽章の最終的な完成は1880年9月となり、ちょうど丸々1年かかっているが、それは第4交響曲の終楽章の改訂作業と重なっていたことが一つの要因となっている。それに続く2つの楽章は比較的順調に筆が進み、第2楽章は同年11月に、第3楽章は翌年1月に完成、その後終楽章は約半年かけて作曲され、こうして全曲は1881年9月3日に完成をみている。

 初演は、1883年2月11日にウィーンにおいてヴィルヘルム・ヤーン(1835 ~ 1900)の指揮によって第2、3楽章だけが行われたが、全4楽章の初演は結局ブルックナーの生前には行われる機会がなく、やっと作曲者の死から約2年半後の1899年2月26日になってから、同じウィーンでなされた。この時の指揮はグスタフ・マーラー(1860 ~ 1911)で、マーラーの意図によりカットや手直しが施された形で演奏されている。出版は同年にウィーンのドブリンガー社からなされたが、それもまたブルックナーのオリジナルとは程遠い改変版だった。

 作品本来の姿は1935年に出版されたローベルト・ハース(1886 ~ 1960)校訂による原典版によって初めて明らかにされ、これに基づく初めての演奏は同年ライプツィヒでパウル・ヴァン・ケンペン(1893 ~ 1955)の指揮によって行われている。その後1952年にはレオポルト・ノヴァーク(1904 ~ 91)校訂の原典版が出されたが、この作品の場合は他の多くの交響曲とは違ってブルックナー自身による改訂がなされなかったため、基本的に(細部はいくつか違いがあるものの)原典版どうしの間で大きな異同はない。

 第1楽章 マエストーソ イ長調 2分の2拍子 ブルックナー独特のスタイルによる3つの主題を持つソナタ形式をとっている。ただ出だしのいわゆるブルックナー開始の背景が、彼の多くの交響曲のように弦のトレモロによる深い霧状のものではなく、「タッタ・タタタ・タッタ・タタタ」という明快なリズム(いわゆるブルックナー・リズムの変形といえるかもしれない)によっている点が特徴的で、このリズムがこの楽章全体に支配的な役割を果たす。このリズムをバックに第1主題が神秘的に示されるが、ほどなくこの主題は「タッタ・タタタ」のリズムとともに戦闘的な激しさを加えて繰り返される。対照的に第2主題は穏やかさのうちに寂しさを秘めたもの。展開部やコーダでは主として第1主題が扱われている。

 第2楽章 アダージョ きわめて荘厳に ヘ長調 4分の4拍子 ブルックナーの緩徐楽章は通常A-B-A-B-Aの形をとるが、この曲の場合はソナタ形式をとっている点が注目される。主題は彼のソナタ形式の通例として3つの主題を持ち、第1主題は自然の神秘とも内省的な祈りとも感じられる奥深いもの。第2主題(ホ長調)は明るさの中にも悲しみの情感を感じさせ、その美しさは格別だ。やがて葬送行進曲の性格を持った厳粛な第3主題(ハ短調)が現れる。渋い色調のうちに深い精神性を湛えた、きわめて内容の濃い緩徐楽章である。

 第3楽章 スケルツォ 速くなく イ短調 4分の3拍子 いかにもブルックナーらしい力強い野性的なスケルツォ。トリオはピッツィカートの付点リズムにホルン信号が応答して始まり、前作の第5交響曲の一節も引用される。

 第4楽章 フィナーレ 動きをもって、しかし速すぎず イ短調 2分の2拍子 ソナタ形式。ヴィオラのトレモロ上に奏されるヴァイオリンの主題に始まるが、これは実は正規の第1主題ではなくて導入部の主題。その後に本来の3つの主題が現れて、情熱的な運びのうちにも入念な展開が繰り広げられていく。最後に第1楽章第1主題が回帰して力強く閉じられる。

(寺西基之)

作曲年代 1879 ~ 81年
初  演 第2、3楽章のみ/ 1883年2月11日 ウィーン ヴィルヘルム・ヤーン指揮
全曲/ 1899年2月26日 ウィーン グスタフ・マーラー指揮
楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、弦楽5部