第869回 定期演奏会Cシリーズ

第870回 定期演奏会Aシリーズ

R.シュトラウス:交響詩《ドン・キホーテ》 op.35

 リヒャルト・シュトラウス(1864 ~ 1949)が《ドン・キホーテ》op.35を構想・作曲したのは1897年の4月から12月、次作となる《英雄の生涯》op.40の構想・作曲は1896年末から1898年にかけてである。シュトラウスがこの2つの作品を同時期に手がけたのは偶然ではなく、このような発言を遺していることからも明瞭だろう。

 「《ドン・キホーテ》と《英雄の生涯》は、いわば一対の作品として構想したので、《ドン・キホーテ》を聴いて初めて、《英雄の生涯》を完璧に理解できるだろう」

30代そこそこの作曲家が、それまでの音楽家としての人生を回顧するかのような《英雄の生涯》と、夢とうつつの間を彷徨うかのような「自称」英雄、ドン・キホーテを同時期に描くことで、シュトラウスは何を伝えようとしたのか。

 17世紀初頭に執筆された、スペインの作家ミゲル・デ・セルバンテス(1547~ 1616)の名作『ドン・キホーテ』。スペインの小さな村ラ・マンチャに住む郷士アロンゾ・キハーナ(「キハーノ」とも表記される)は、古いにしえの騎士が活躍した、ありとあらゆる騎士道物語を渉猟するうちに、精神の平衡を徐々に失い、物語と現実世界との区別がつかなくなっていく。やがて、自身に「ドン・キホーテ」という騎士名を、痩せ衰えた愛馬に「ロシナンテ」(スペイン語で「最高の駄馬」の意)という名を与え、騎士としての冒険の旅へと旅立っていく。

シュトラウスは、ドン・キホーテに独奏チェロ、従者サンチョ・パンサに独奏ヴィオラやバスクラリネットなど管楽器をあてがい、協奏曲的な要素を併せ持つ変奏曲、という、あまり類を見ない形式を生み出した。以下、その枠組みに沿って作品の各場面を紹介し、原作に対応する箇所を示す。

 序奏 冒頭、快活な主人公のモティーフが、フルートとオーボエで、ニ長調で描かれる。物語に登場する騎士や貴婦人を思い浮かべ、その姿と自分を重ね合わせるキハーナ。様々なモティーフが複雑に重ねられつつ、徐々に精神の明晰さを失っていく。やがて、鋭い不協和音による、曲最初のクライマックスの後、独奏チェロが描くキハーナ改めドン・キホーテの主題は、曲冒頭の主題がニ長調からニ短調へと変化したもので、狂気に沈んだ人間の哀れさと滑稽さが巧みに表現されている。主人に付き従う農夫サンチョ・パンサは、独奏ヴィオラで、ところ構わず喋りまくる愛嬌ある姿が描かれる。

 第1変奏(前編・第8章) 独奏チェロで開始。ドン・キホーテは眼前にそびえる風車を巨人の群れと思い込み、果敢に突撃する(独奏チェロの上昇音型)が、風車の羽が回転しはじめるとあえなく落馬(ハープの下降グリッサンド)。

 第2変奏(前編・第13章) 砂ぼこり(分割されたヴィオラ・パートのトレモロとトリル)の中、羊の大群(金管とクラリネットのフラッタータンギング※1)を発見する主従。この羊の群れを、ドン・キホーテは大軍勢同士の会戦と考え、一方の軍隊に戦いを挑む。暴れ回る羊たち。クラスター書法とも呼ぶべき大胆な音楽での描写ぶりに、初演当時は批判が相次いだという。

 第3変奏(対応エピソードなし) 曲冒頭のモティーフがフルートとオーボエで再現される。サンチョがあまりに饒舌に語るため、無口こそ美徳と考えるドン・キホーテが、自身の理想を説いてきかせる。だがサンチョの反応は「え、何ですって?」(バスクラリネットの短いソロ)。

 第4変奏(前編・第52章) 懺悔(ざんげ)の行列(金管とファゴットのコラール)が押しいただく聖母像を、囚われの身にある貴婦人と思い込んだドン・キホーテは救出に向かうが、あえなく返り討ちに遭い、殴られて気を失ってしまう(弦合奏の下降音型)。サンチョは主人が死んでしまったと嘆くが、その声をきいて意識を取り戻す。

 第5変奏(前編・第3章) ドン・キホーテは貴族の城塞へ赴き(実際は村の宿屋)、ここで一日寝ずの番をして、貴族に騎士として認めてもらおうとする(独奏チェロ)。月明かりが降り注ぐ(ハープのグリッサンド)中、まだ見ぬ愛しの貴婦人に思いを馳せる。

 第6変奏(後編・第10章) ドン・キホーテはエル・トボーゾに住む愛しの貴婦人ドゥルシネアに会いに行く。彼女は実在しないと考えたサンチョは探そうとせず、機転を利かせ、おしゃべりをしながら歩いてくる3人の田舎娘を貴婦人とその侍女に仕立てる(主従2人と娘3人=5拍子/木管合奏)。娘たちの前に大仰に平伏するドン・キホーテ。彼女らは驚いて走り去る。

 第7変奏(後編・第41章) 主従の噂を聞いた公爵夫妻が2人をからかうべく、天を駆ける馬に乗って、囚われの娘を救ってほしいと請う。2人は目隠しをされ、木馬にまたがらされ、召使いたちが起こす風にもまれる(ウィンドマシーン)。実際に木馬が地に着いている様子は、コントラバスがD音のトレモロを常に保持し続けることで描かれる。

 第8変奏(後編・第29章) 川の岸辺にある小船に乗り(ファゴットとチェロに始まるさざ波の音型)、城塞(実際は水車小屋)に囚われたスペインの王子(実在しない)を救出しようとする。しかし水車に巻き込まれて大破し、川に投げ出される。ずぶ濡れになり、水しずくをはらう2人(弦楽器のピッツィカート)。

 第9変奏(前編・第13章) ベネディクト派の修道士2人(ファゴット二重奏)をいかがわしい魔術師と思い込んだドン・キホーテは襲いかかるが、その従者に殴られる。
※1 フラッタータンギング 管楽器の特殊奏法。舌を震わせながら吹き、弦楽器のトレモロのような効果を出す。

 第10変奏(後編・第50章) 隣に住む友人サムソン・カラスコは、ドン・キホーテを救い出すべく、自らも騎士に扮して決闘を申込み、勝利する(管楽器の勇壮な合奏)。ドン・キホーテはカラスコの求めに従い、故郷ラ・マンチャで、羊飼いとしての生活に戻る(イングリッシュホルンによる羊飼いの笛)。

 フィナーレ(後編・第64章) 再び自分を取り戻したキハーナ(ニ短調→ニ長調へ戻る独奏チェロ)。だが、旅の過酷さはその健康をむしばんでいた。死の床についたかつての騎士は、数々の冒険を回想しながら息を引き取る。

 この主人公は決して成長を見せることはなく、主人公その人を描く主題は、ただ形を変えて繰り返されるだけである。ニ長調の冒頭主題に始まり、様々な冒険を経験しながらも、結局、同じ調、同じ主題で終わるこの曲は、ベートーヴェン以来のソナタ形式が目指す発展とは無縁でもあり、だからこそ変奏曲という形式が選ばれたのだろう。《英雄の生涯》でも同じように、挫折した「英雄」の姿が描かれた。深い挫折感を抱えたドン・キホーテの姿に、作曲家として指揮者として、当時いまだ大きな成功を収めるに至らないシュトラウスが大きな共感を寄せ、自身のありようを投影し、それを表現してみせた作品ということになる。

(広瀬大介)

作曲年代 1897年4月~ 12月29日
初  演 1898年3月8日 ケルン
フランツ・ヴュルナー指揮 ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団
独奏チェロ/フリードリヒ・グリュッツマッヒャー
楽器編成 ピッコロ、フルート2、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット2(第2は小クラリネット持替)、バスクラリネット、ファゴット3、コントラファゴット、ホルン6、トランペット3、トロンボーン3、テナーテューバ、テューバ、ティンパニ、大太鼓、小太鼓、タンブリン、グロッケンシュピール、ウィンドマシーン、シンバル、トライアングル、ハープ、弦楽5部、独奏チェロ、独奏ヴィオラ




ビゼー:『カルメン』組曲より(アラン・ギルバート・セレクション)

 フランス・オペラの代表作『カルメン』はジョルジュ・ビゼー(1838 ~ 75)の最後のオペラである。1875年3月オペラ・コミック座での初演こそ不評だったが、その後急速にこの作品は認められ、このシーズンだけで数十回も上演された。オペラでの成功という彼にとっての長年の宿願がやっと遂げられたわけだが、初演後体調を崩した彼は同年6月3日、37歳で夭折する。

 作品はプロスペル・メリメ(1803 ~ 70)の小説をもとにリュドヴィク・アレヴィ(1834 ~ 1908)とアンリ・メイヤック(1831 ~ 97)が共同で作った台本によっている。物語の舞台はスペイン。竜騎兵ドン・ホセは純情な恋人ミカエラがいるにもかかわらず、情熱的なロマ(ジプシー)女カルメンに心を奪われ、彼女のそばにいたいがために密輸入団に加わってしまう。しかしカルメンは花形闘牛士のエスカミーリオに心を移し、怒ったドン・ホセはカルメンを刺し殺す。

 ビゼーの音楽は迫真的で、人物の性格と心理の描写、物語の状況の的確な表現法、スペインの雰囲気の描出、歌唱の表出力、雄弁な管弦楽の用法など、劇音楽作家としての彼の才能がいかんなく発揮された作品だ。本来オペラ・コミック(※2)の様式の作品で、作曲者死後に友人であるエルネスト・ギロー(1837~ 92)がグランド・オペラ(※3)用に改編したが、いずれにせよこのオペラのリアリスティックな特質は、ただ華麗なだけの効果を狙う傾向のあった当時のフランス・オペラに新風を吹き込んだばかりでなく、イタリアのヴェリズモ・オペラ(現実主義オペラ)にも影響を与えた。

 聴きどころを抜粋した管弦楽用の組曲は、1890年代にシューダン社から出た2つの組曲版(上述のギローの改訂版を元にしたと思われる)を皮切りに、1910年代にはブライトコプフ社からフリッツ・ホフマンの手による2つの組曲が出されたほか、ロベール・ディディオン編による近年のオイレンブルク新版まで、幾つか版が存在する。ビゼー自身が関わったものではないため構成も楽器法も異同があり、特に決定版というものはない。本日はアラン・ギルバートの選曲による以下の8曲が演奏される。

 前奏曲(闘牛士) オペラ全曲の前奏曲の前半部分で、オペラ本編では第4幕の闘牛士入場の行進曲。

 第1幕への序奏 前奏曲の最後の部分。オペラではカルメンの運命を示す主題として用いられる。

 アラゴネーズ 第4幕への間奏曲で、この幕の闘牛場の場を先取りする激しい曲調を持つ。アラゴネーズとはスペインのアラゴン地方の舞踏。

 ハバネラ 第1幕でカルメンが舞曲ハバネラのリズムに乗って「恋は自由だ」と歌う有名なアリア。

 闘牛士の歌 第2幕、酒場に闘牛士エスカミーリオが現れて颯爽と歌う勇ましいアリア。中間部の旋律は前奏曲にも用いられている。

 間奏曲 第3幕への間奏曲で、ビゼーの叙情的な側面を示す美しい音楽。

 密輸入者の行進 第3幕の幕開けで密輸入者たちが山中を忍びながら歩く場面の行進曲。

 ジプシーの踊り 第2幕の幕開け、酒場でカルメンが歌いながら仲間らと踊る場面の曲で、次第に熱狂を加えていく。

(寺西基之)

※2 オペラ・コミック 歌以外にセリフも用いるフランスのオペラ。喜劇的で軽い内容のものが 多かったが、後にシリアスな悲劇も作られた。

※3 グランド・オペラ 19世紀前半にフランスで流行した大規模なオペラ。スペクタクルな舞台 効果が特徴で、セリフはなくレチタティーヴォを用いる。

作曲年代 オペラ全曲/ 1873 ~ 74年
初  演 オペラ全曲/ 1875年3月3日 パリ
楽器編成 フルート2(第2はピッコロ持替)、オーボエ2(第2はイングリッシュホルン持替)、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、大太鼓、シンバル、トライアングル、タンブリン、ハープ、弦楽5部




リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲op.34

 ニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844 ~ 1908)は「力強い仲間(ロシア5人組)」の一員として活躍した。「奇想曲」は「カプリッチョ(capriccio)」の訳で、「気まぐれな曲」という意味。スペインの民謡や舞曲を素材にして、自由な形で書かれた管弦楽曲である。1887年に作曲され、作曲者自身の指揮で初演された。

 曲は、3つの舞曲が2つの民謡を挟んで並ぶ形になっていて、5つの部分は切れ目なく演奏される。ここで使われた素材は、スペインの民謡と舞曲を集めた曲集から採ったもので、リムスキー=コルサコフが創作したものではない。それらを巧みに並べた構成力と色彩感豊かなオーケストレーションによって、魅力的な名曲に仕立て上げられている。リムスキー=コルサコフは、海軍軍楽隊の監督官を務めた経験から、伝統に囚われない近代的な管弦楽法を考案し、「管弦楽法の大家」と呼ばれるまでに至った。この《スペイン奇想曲》でも、そんな彼の達者な楽器用法が遺憾なく発揮されており、総天然色の華やかな色遣いを存分に楽しむことができる。

 曲の内容は以下の通り。第1曲は「朝の歌」という意味の「アルボラーダ」。スペイン北部アストゥリア地方の踊りで、朝まで遊び通したかのような、いかにもスペインらしい陽気なダンスの様子が描かれている。第2曲は、同じアストゥリア地方の「夕べの踊り」という歌による「変奏曲」。ホルンの叙情的なメロディで開始し、様々な楽器の組み合わせで変奏されてゆく。第3曲は第1曲と同じ「アルボラーダ」。第1曲よりも調性は半音高く、楽器用法も異なる。

 第4曲はアンダルシア地方の情熱的なロマ(ジプシー)の歌による「シェーナとジプシーの歌」。ヴァイオリン、フルート、クラリネット、ハープなどいろいろな楽器の名人芸が聴きもの。第5曲「アストゥリア地方のファンダンゴ」。「ファンダンゴ」とは、フラメンコで男女で踊るダンスのこと。スペイン情緒たっぷりのカスタネットなどのリズムに乗って踊りが繰り広げられ、最後は華やかなクライマックスを迎えて終わる。

(佐伯茂樹)

作曲年代 1887年夏
初  演 1887年10月31日(ロシア旧暦10月19日) サンクトペテルブルク 作曲者指揮
楽器編成 ピッコロ、フルート2、オーボエ2(第2はイングリッシュホルン持替)、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、大太鼓、小太鼓、シンバル、トライアングル、カスタネット、タンブリン、ハープ、弦楽5部