第868回 定期演奏会Bシリーズ

都響スペシャル

メンデルスゾーン:序曲《フィンガルの洞窟》 op.26

 裕福な銀行経営者の長男として、ドイツのハンブルクに生まれたフェリックス・メンデルスゾーン(1809 ~ 47)。自宅のサロンに芸術家や学者が日常的に出入りする環境のもとで深い教養を身につけながら育ち、音楽の分野では神童の才を認められた。そんな彼を“我々の世のモーツァルト” と呼んだのは誰あろう、ローベルト・シューマン(1810 ~ 56)である。

 1829年の4月、メンデルスゾーンはイギリスに初訪問を果たした。彼の名が既に“若き大家” として知れわたっていたロンドンでは、自作を交えた演奏会を指揮して大喝采を受ける。

 7月中旬にロンドンを離れた後、友人とスコットランド旅行に出かけた。同地方の西海岸沖に広がるヘブリディーズ諸島の玄関口となるマル島まで足をのばしたのが8月7日。その夜、姉ファニー(1805 ~ 47)宛にしたためた手紙の中で「僕がどれほど感銘を受けているか、頭に浮かんだものをお目にかけましょう」という言葉とともに、現在の《フィンガルの洞窟》の冒頭部分にあたる楽想が書き記されている(通説とは異なり、洞窟そのものを見る前に楽想を得ていたらしい)。マル島から約10キロ西方のスタファ島で、フィンガルの洞窟として名高き景勝地に降り立ったのは翌日のことである。高さ十数メートルの壁を埋め尽くす六角柱状の玄武岩。洞窟内にこだまする波や風の音……。

 こうした印象も霊感の源泉としながら、翌年の秋以降にメンデルスゾーンは演奏会用序曲の筆を進めていく。作品は1830年12月16日に完成したが、その後の改訂を経て初演を迎える過程でタイトルは二転三転。1835年の出版時には《ヘブリディーズ諸島(Die Hebriden)》に落ち着き、しかしそれはなぜかパート譜にのみ印刷され、スコアは《フィンガルの洞窟(Fingals-Höhle)》と題名を掲げていた。後者が通称として用いられることも多く、日本では古くからその形で定着を見ている。

 ソナタ形式で書かれた曲は、序奏などを伴わずにいきなり第1主題から始まる。そのどこか荒涼とした空気感に対して、温もりを備えた動機群に導かれる第2主題が実に鮮やかなコントラストをおりなす。そしてほぼ全曲を一貫して、旋律声部の背後で長い持続音や起伏の細かい伴奏音形が鳴り響き、それが潮風や波のうねりを連想させずにはおかない。メンデルスゾーンの作風に批判的だったリヒャルト・ワーグナー(1813 ~ 83)ですら、「音による風景画として第一級」と讃辞を呈したほどである。

(木幡一誠)

作曲年代 1830年 1832年改訂
初  演 1832年5月14日 ロンドン
楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦楽5部




シューマン:交響曲第1番 変ロ長調 op.38《春》

 ローベルト・シューマン(1810 ~ 56)の創作活動には大きな特徴があった。それはある一定の時期に一定のジャンルの作品を集中的に書くことである。例えば1840年は歌曲の年、1842年は室内楽の年というように。そしてそこに挟まれた1841年は交響曲の年と呼ばれ、この第1番と第4番(初稿)、《序曲、スケルツォとフィナーレ》などが書かれた。

 もっともシューマン自身の交響曲への関心はそれ以前からもあったようだが、彼自らが発見し、その初演をメンデルスゾーンに託したシューベルト最後の交響曲《ザ・グレート》を聴くことによって、一気に交響曲の創作意欲に火が点いたようである。その勢いを裏づけるかのように、スケッチはわずか4日で完了し、オーケストレーションを含め作曲は1ヵ月弱で終了している。また友人であるアドルフ・ベットガー(1815 ~ 70)の詩「汝、雲の精よ」の最終部分、「谷間には春が萌え上がる」にも啓発されたとのことである。それゆえ当初は、各楽章へ「春の始まり」「夕べ」「楽しい遊び」「春たけなわ」といった標題を与えていた。

 第1楽章 アンダンテ・ウン・ポーコ・マエストーソ 、変ロ長調、4分の4拍子の序奏と、同じ調性でアレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ、4分の2拍子の主部から成る。主部はソナタ形式。金管による冒頭のファンファーレは、短縮されて主部の第1主題前半となる。第2主題は陰影深い和声がいかにもシューマンらしいが、それほど重要な役割は持たず、むしろその後に現れる結尾素材の方が活用される。またこの楽章のみ、トライアングルが登場する。

 第2楽章 ラルゲット 変ホ長調 8分の3拍子 3部形式 実にロマンティックな美しさを持った楽章で、中ほどにはリズミックな素材も現れる。終結部ではトロンボーンが次の楽章を予告する。

 第3楽章 モルト・ヴィヴァーチェ ニ短調 2つのトリオを持つスケルツォ。最初のトリオのみ4分の2という珍しい拍子だが、それ以外の部分は4分の3拍子である。最後にコーダがある。

 第4楽章 アレグロ・アニマート・エ・グラツィオーソ 変ロ長調 2分の2拍子 ソナタ形式 短いが重要な動機を含んだ序奏の後、優雅な第1主題が現れる。これは少しユーモラスな感触もあわせ持ち、明らかにピアノ曲的な音型である。そしてピアノ曲といえば、第2主題の前半には《クライスレリアーナ》op.16第8曲(フィナーレ)の主題が出現する。またこの主題の後半は序奏で聴かれたものである。再現部直前には、ホルンとフルートによる美しく詩的なカデンツァが置かれている。

(石原立教)

作曲年代 1841年1月23日~2月20日
初  演 1841年3月31日 ライプツィヒ フェリックス・メンデルスゾーン指揮
楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、トライアングル、弦楽5部




ストラヴィンスキー:バレエ音楽《春の祭典》

 20世紀音楽の展開に多大な影響を与えたイーゴリ・ストラヴィンスキー(1882 ~ 1971)の全作品の中で特に親しまれているものといえば、初期に書かれたいわゆる3大バレエ、すなわち《火の鳥》《ペトルーシュカ》《春の祭典》が挙げられよう。これらは3作とも、ロシアの名興行師セルゲイ・ディアギレフ(1872~ 1929)率いるロシア・バレエ団(バレエ・リュス)のパリ公演のために書かれたものである。

 ロシア芸術を西欧に紹介すべく様々な企画をパリで企てていたディアギレフは、1909年にロシアの優れた舞踏家を集めてロシア・バレエ団を結成、以後毎年パリでこのバレエ団の公演を開催するようになる。自身きわめて革命的な考えを持っていたディアギレフは新しい総合芸術としてのバレエをめざし、音楽面においても美術面においても前衛的な才能を求めた。そして1910年の《火の鳥》の作曲家として新進のストラヴィンスキーを抜擢(当初指名したアナトーリ・リャードフの仕事ぶりが気に入らなかったという経緯があったが)、その成功により2人は固い信頼関係で結ばれ、引き続き《ペトルーシュカ》《春の祭典》が生まれることとなったのである。

 これら3大バレエはストラヴィンスキー初期のいわゆる原始主義時代を代表する作で、ロシア的題材をもとに、原色的な音色と強烈なリズムによって根源的なエネルギーを前面に打ち出した作風を示している。特に3作中最も遅く書かれた《春の祭典》(ロシア語の原題の意は「聖なる春」)は、斬新な楽器法、印象主義の書法を発展的に応用した大胆な和声法、そして古典的な拍節構造を破壊するような複雑精緻な前衛的リズム法といった点で、伝統的な音楽のあり方を根本から覆してしまうような革命的作品となった。

 1913年5月29日パリのシャンゼリゼ劇場における初演(振付ヴァーツラフ・ニジンスキー、指揮ピエール・モントゥー)で会場が騒然となって一大事件となったのも、そうした革新性のゆえである。ヨーロッパを根底から揺るがすこととなる第1次世界大戦(1914 ~ 18)勃発のまさに前年、ヨーロッパ音楽の伝統を土台から打ち崩すこの作品は、こうしてスキャンダラスに登場したのだった。

 ストラヴィンスキーがこの作品の作曲を思いついたのは《火の鳥》作曲中の1910年のことであった。自伝によると、車座になった長老たちが見守る中で春の神をなだめるべく生贄として差し出された一人の処女が死ぬまで踊る、といった太古ロシアの異教の儀式の光景が彼の脳裏に幻影として現れたのだという。彼は異教の研究家でもあった画家ニコライ・レーリヒ(1874 ~ 1947)とともに1911年夏に台本を作り上げ、引き続き作曲に着手、先に書き上げた《ペトルーシュカ》の上演を挟んで、1913年春にこの作品を完成させた。

 なおストラヴィンスキーはこの《春の祭典》の後に作風を急転回させて新古典主義へと向かうこととなる。その意味で、前衛的手法によって強烈な律動的な生命感を力強く表現することで音楽史に新しい一時代を開いたこの原始主義の極点というべき作品は、彼自身にとっては一つの時代の終わりを意味する作となったのである。

 全体は2部からなる。

 第1部 大地礼賛(時は昼) 「序奏」は高音域のファゴットで始まる自然の神秘的な目覚めの描写。「春のきざしと乙女たちの踊り」では、不規則なアクセントと大胆な不協和音によって春を待つ乙女たちが強烈に踊る。そのエネルギーは、若い男たちが乙女を掠奪する「誘拐の遊戯」において頂点に達する。次の「春のロンド」は、重々しい土俗的な舞曲。「敵対する町の遊戯」は、2つの町の部族の争いが2つの主題によって表現される戦闘的な音楽。その最中に儀式を司る賢者が一同を引き連れて登場し(「賢者の行列」)、ひざまずいて大地に口づけする(「大地への接吻」)。そして熱狂的な「大地の踊り」で激しく第1部を閉じる。

 第2部 生贄(時は夜)  「序奏」は夜の情景で、生贄の儀式を感じさせるような重苦しい雰囲気を持っている。続く「乙女たちの神秘的な集い」では、民謡的な主題を持つ神秘的な踊りのうちに生贄となる乙女を選び、次の「選ばれた乙女の賛美」でその生贄の娘を激しく賛美する。「祖先の呼び出し」で金管の強烈な響きにより祖先の霊が呼び出された後、呪術的な「祖先の儀式」によって儀式的な雰囲気を不気味に盛り上げていき、そして複雑なリズムの上に生贄の乙女が死ぬまで踊り狂う「生贄の踊り」で最後のクライマックスが築き上げられる。

(寺西基之)

作曲年代 1911 ~ 13年
初  演 1913年5月29日 パリ ピエール・モントゥー指揮
楽器編成 ピッコロ、フルート3(第3は第2ピッコロ持替)、アルトフルート、オーボエ4(第4は第2イングリッシュホルン持替)、イングリッシュホルン、小クラリネット、クラリネット3(第3は第2バスクラリネット持替)、バスクラリネット、ファゴット4(第4は第2コントラファゴット持替)、コントラファゴット、ホルン8(第7、8はテナーテューバ持替)、トランペット4、小トランペット、バストランペット、トロンボーン3、テューバ2、ティンパニ2、大太鼓、シンバル、アンティークシンバル、トライアングル、タンブリン、タムタム、ギロ、弦楽5部