第864回 定期演奏会Aシリーズ

シュレーカー:室内交響曲

 交響曲が曲がり角に差し掛かった時代の交響曲――フランツ・シュレーカー(1878~1934)の室内交響曲を一言でまとめると、このようになるかもしれない。

 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770 ~1827)を嚆矢として、19 世紀を通じ、西洋音楽のメイン・ジャンルに躍り出た交響曲。それは例えば、ソナタ形式や4楽章形式をはじめとする「骨」のまわりに、様々な動機やメロディがついた「肉」によって構成される「魚」のようなものだった。そして、「骨」や「肉」という前提があってこそ、オーケストラによって醸し出される響きという名の「鱗」が煌めく、という構造を持っていた。

 ところが、交響曲――さらにはそれを生み出した西洋音楽――は、進歩進化や巨大化を目指した歩みの末に、20 世紀初頭には曲がり角に差し掛かってしまう。

 そこへ登場したのが、「交響曲」を謳いながらも、新たな地平を目指そうとした「室内交響曲」。その先駆的存在となったのが、アルノルト・シェーンベルク(1874 ~1951)が1906 年に作った室内交響曲第1番だ。西洋音楽の基本を成してきた調性を意図的に逸脱し、弦楽器よりも管楽器のほうが多いという異質な響きを特徴とするこの作品は、初演当時、激しい賛否両論を巻き起こした。このようなシェーンベルクに共感し、20 世紀初頭のウィーンの新たな音楽界を形成していったシュレーカーも、そのちょうど10 年後に室内交響曲を書く。

 といってもシュレーカーの場合、シェーンベルクの室内交響曲――19 世紀から連綿と続くロマン派音楽の残り香を宿すいっぽう、そうした音楽時代の破壊と刷新を目指した――とは、立場を異にする。それは先ほどの「魚」のたとえを用いるならば、各パートの動きが細かく指定された小オーケストラが作り出す「鱗」の煌めきを最優先し、その上で肉付きや骨格を決めてゆく――といった具合に、交響曲の基本構造を逆転させた試みだった。シュレーカーが教授を務めていたウィーン音楽アカデミー(前身は、彼自身が若き日に学んだウィーン楽友協会音楽院)の創設100 年を記念し、そこに教授として勤める名うての演奏家たち(一部はウィーン・フィル団員)から成る臨時のオーケストラによる初演が念頭に置かれていたという事情も、こうした作曲姿勢に少なからぬ影響を与えたのだろう。

 全体は、約30 分弱の演奏時間を要する単一楽章から成っている。となると、4楽章構成を基本としてきた伝統的な交響曲への挑戦のようにも思えるが、決してそうではない。

 「ゆっくりと、たゆたうように(Langsam, Schwebend)」と指示された〈導入部〉に続き、徐々にテンポや楽想が盛り上がってアレグロ・ヴィヴァーチェの〈主部〉(伝統的な交響曲では第1楽章に相当)となり、再び〈導入部〉を仲立ちとして、アダージョ(第2楽章/緩徐楽章に相当)に入ってゆく。そして全体の後半をほぼ占めるのが、活発かつ狂騒的な性格も具えたスケルツォ(第3楽章に相当)。このスケルツォが異様なまでに長く巨大な点が伝統的な交響曲とは異なる点だが、最後は再び〈導入部〉が変形された形で戻り(第4楽章に相当)、全ては静寂の中に消えてゆく。

 つまり、従来の交響曲のあり方を転覆するのではなく、そこに新たな可能性を接ぎ木しようということだ。となるとメロディや和声も、シェーンベルクのようにそれらの破壊を目指して無調へと突き進むのではなく、あくまで調性に基づいた音楽の可能性を極限まで突き進めたがゆえに、結果として無調ぎりぎりの瞬間がそこかしこで生まれてゆく。そして、この「調性に基づいた音楽の可能性を極限まで突き進める」姿勢こそが、千変万化の楽器の響きを最優先する当作品のあり方を生み出したかもしれない。

 つまり、行き詰まりを見せ始めた西洋音楽において、交響曲の王道と考えられてきた「骨」や「肉」ではなく、「鱗」の部分でしかなかった要素を通じ、新たな息を吹き込む試み。「響き」に人一倍敏感な感覚を持ち、それを終生にわたって自らの創作の糧としていったシュレーカーならではの足跡。

(小宮正安)

作曲年代 1916年
初  演 1917年3月12日 ウィーン 作曲者指揮
ウィーン音楽アカデミー教授およびウィーン・フィル団員から成るオーケストラ
楽器編成 フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット、トロンボーン、ティンパニ、トライアングル、シンバル、タムタム、シロフォン、グロッケンシュピール、ハープ、ピアノ、チェレスタ、ハルモニウム、弦楽(第1・2・3・4ヴァイオリン、第1・2ヴィオラ、第1・2・3チェロ、コントラバス)




ツェムリンスキー:抒情交響曲〜ラビンドラナート・タゴールの詩による7つの歌 op.18

 まず、この作品のタイトルにも冠されている「抒情(ドイツ語の形容詞ではlyrisch、名詞は Lyric)」とは何だろう? 語源的には、リラ(Lira)つまりは竪琴を伴奏とした歌という意味合いで、その多くは、たとえばヨーロッパ中世の吟遊詩人の多くの歌のように、男女の愛、しかもその半分は実ることのない男女の愛を扱ったものになるだろう(なお、中世世界への憧れを強烈に宿した19 世紀以降のロマン派は、文学の世界において数多の「抒情詩 Lyric」を生み出し、それにまつわるたくさんの曲が書かれた)。

 ロマン派最後の光芒の中に生きたアレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー(1871~1942)も、例外ではない。彼が手がけた《抒情交響曲》は、バリトン独唱とソプラノ独唱が、交互にそれぞれの愛を歌い上げながらも、男女の愛の交流を表現する二重唱に発展することはついぞなく、最後は愛の破綻に終わるからである。ちなみにテキストは、インドの文学者であるラビンドラナート・タゴール(1861~1941)が1913 年に英語で発表した『園丁 (gardiner)』という詩集のドイツ語訳から採られているが、ツェムリンスキーによる取捨選択の方法が、非常に意味深長だ。

 『園丁』は計85 の詩から成っており、王子と王女の悲恋を通じ、愛する人との別れ、あるいは人生の儚さへの想いといったものが、インドのベンガル地方の悠久の自然を背景に紡がれてゆく。こうした意味においては、ツェムリンスキーが《抒情交響曲》を書くにあたって規範とした、グスタフ・マーラー(1860 ~1911)の交響曲《大地の歌》と共通するものだろう。《大地の歌》は古の中国の詩、《抒情交響曲》は同時代のインドの詩という違いこそあれ、東洋の作品であり、それらは様々な点において行き詰まっていた20 世紀初頭の西洋社会の価値観に風穴を開ける思想を具えていると見なされていた(また両者ともに、大管弦楽伴奏付きの独唱曲といった体裁をとりながら、あえて「交響曲」という呼び名が用いられている点も、西洋文化の産物の一つである交響曲を袋小路から救い出そう、という姿勢の表れに他ならない)。

 ただしツェムリンスキーは、『園丁』所収の詩からあえて7つだけを選び取り、もともとそれらが配置されていた順番も変えてしまった。結果、当作品のストーリー展開は、男女の想いのすれ違いを経て、1人取り残されてしまった男性の悲嘆といった、ツェムリンスキーの作品ではお馴染みのものと化している(ツェムリンスキーは、ウィーン社交界の若き才媛であったアルマ・シントラー〔1879 ~1964〕を熱愛していたのだが、彼女が彼を捨ててマーラーの妻となってしまったことから、この失恋の痛みを一生涯負い続け、その体験をことあるごとに自らの作品に投影させていった)。

 なおこうした「オリジナルの価値の転倒」は、オーケストレーションにも見られよう。マーラーばりの大編成のオーケストラを用いながら、マーラーが行った以上に、大管弦楽によるマッシヴな響きより、多様な楽器の織りなす精妙な響きや絡み合い――それは例えばシュレーカーの室内交響曲と同じ方向性を目指したものといえよう――が意識されているからだ。ベートーヴェン以降のスタンダードなオーケストレーションにおいては、特殊な楽器とされてきたハルモニウムやチェレスタが、要所々々で決めの響きをきかせるのもその一つ。

 というわけで《抒情交響曲》は、タイトルからしてロマン派の残照を宿しながらも、それを内部から少しずつ崩し、新時代の地平を切り開いていったツェムリンスキーの立ち位置を如実に物語っている。

 作品は切れ目なく続く7つの楽章から成っている。

 (1)バリトン独唱が恋の情熱と傷みを激しく歌い上げる第1楽章「不安な私は」、ソプラノ独唱が王女の心のときめきを不安げな表情とともに描く第2楽章「お母様、若い王子様は」

 (2)一転して静かな曲想の中にバリトン独唱が恋人へ寄せる遥かな想いを歌う第3楽章「お前は夕べの雲」(※)、それに応えるかのようにソプラノ独唱が愛しい男性への思慕をつづる第4楽章「話して下さい、愛しい方」

 (3)恋の痛みに耐えきれなくなった男性の想い(バリトン独唱)が爆発する第5楽章「お前の縛めから解いてくれ」、そのような男性に対し女性(ソプラノ独唱)が別れを告げる第6楽章「最後の歌を歌い終えて」

 (4)バリトンが、1人残された男性の孤独と、失った恋人への追想を纏綿(てんめん)と語る第7楽章「穏やかに、わが心よ」

 ……といった具合に、全体は4つの部分に基づいている、つまりは伝統的な交響曲の構成を踏まえているともいえよう。

 いずれにしても、すれ違う男女の心の機微を描くのは独唱だけではない。それ以上に雄弁に彼らの心境を表現してみせるのがオーケストラであり、交響詩やオペラで作曲家としてのキャリアを積んできたツェムリンスキーの腕が冴える。彼が、歌曲ともカンタータともいえるこの作品を、あえて「交響曲」と呼んだ所以がここにある。

(小宮正安)

アルバン・ベルク(1885 ~ 1935)は1925 ~ 26年に弦楽四重奏のための《抒情組曲》を書き、ツェムリンスキーに捧げた。この作品は《抒情交響曲》からタイトルを取っており、第4楽章には《抒情交響曲》第3楽章(「お前は夕べの雲」と歌われる部分)の引用がある。しかもベルクの没後、《抒情組曲》はハンナ・フックス=ロベッティン(1896 ~ 1964)との道ならぬ恋が主題となっていたことが判明。音楽史における“満たされぬ恋の痛み”の系譜はベルクによって受け継がれた。

作曲年代 1922~23年
初  演 1924年6月4日 プラハ 作曲者指揮 プラハ新ドイツ劇場管弦楽団
楽器編成 フルート4(第3、第4はピッコロ持替)、オーボエ3(第3はイングリッシュホルン持替)、クラリネット3(第3は小クラリネット持替)、バスクラリネット、ファゴット3(第3はコントラファゴット持替)、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、大太鼓、小太鼓、シンバル、トライアングル、タムタム、タンブリン、シロフォン、ハープ、チェレスタ、ハルモニウム、弦楽5部、独唱(ソプラノ、バリトン)