第860回 定期演奏会Bシリーズ

ワーグナー:序曲《ポローニア》

 タイトルとなっている「ポローニア」とは、ラテン語あるいはイタリア語で「ポーランド」という意味。しかもポーランド語では、祖国を去って外国へ移住・亡命することとなったポーランド人も指す。

 当時ポーランドは、ロシア、プロイセン、オーストリアの3大国に分割支配されており、ワルシャワはロシアの支配下にあった。1830 年11 月、ワルシャワ市民はロシアの圧政に対して立ち上がるのだが、翌年武力鎮圧されてしまう(11 月蜂起)。

 いっぽう1831 年、リヒャルト・ワーグナー(1813 ~ 83)はライプツィヒ大学に入学して哲学などを学ぶと同時に、職業音楽家への道を目指し始めていた。そんな彼が知り合うこととなったのが、11 月蜂起の失敗によって祖国から逃げてきた何人ものポーランド人だったのである。それがきっかけとなり、この序曲が生まれた。

 じっさい「アダージョ・ソステヌート」と指定された序奏部からして、4分の4拍子、ハ短調の重々しい楽想を基調とし、悲しみや怒りに満ちている。ただしその狭間に8分の6拍子、ハ長調で、ポーランドの伝統舞踊であるマズルカやクラコヴィアークを彷彿させる部分も明滅するのが特徴。

 主部に入ると一転してハ長調となり、快速テンポ(アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ)の中に「タタータ・タタータ」という音型……これは、ワーグナーの尊敬していたベートーヴェンが、勝利や解放を描く際に用いた音型である……による行進曲風の調べとなる。そこへ、序奏部でも出現したポーランドの民族舞踊風の旋律が加わって、ポーランド人の勝利に対する希望と賛美がこれでもかと謳われてゆく。

 ウェーバーらドイツ・ロマン派からの影響の中に、ワーグナー独自の勇壮さやオーケストレーションが煌めく。情熱に溢れた若き日の彼が残した1 曲である。

(小宮正安)

作曲年代 1832~36年
初  演 1836年3月29日 マクデブルク 作曲者指揮
楽器編成 ピッコロ2、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット4、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、大太鼓、シンバル、テナードラム、小太鼓、トライアングル、弦楽5部




ショパン:ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 op.21

 故郷のワルシャワを去り、音楽家として更なる飛躍を期していた若きフレデリック・ショパン(1810 ~ 49)。1830年に起きた11月蜂起に心を痛ませながらも、1831年6月にはウィーンの名門ケルントナートーア劇場で催された演奏会に出演する。演目には、自作のピアノ協奏曲第1番ホ短調(出版の事情で「第1番」となっているが、本日演奏されるピアノ協奏曲第2番ヘ短調よりも後に作曲された)も含まれていたのだが、この時の楽器配置が面白い。ピアノは舞台の上、オーケストラは舞台の下にそれぞれ置かれていたのである。

 つまり、ピアニストのワンマン・ショウといった様相に他ならない。当時は、超絶技巧のテクニックと超人的なカリスマ性で大向こうを唸らせる「ヴィルトゥオーゾ」と呼ばれる音楽家が人気であり、ショパンもそうした1人と見なされていたということだろう(ただしショパンは、自分がそうしたタイプの存在ではないと痛感しており、劇場やホールの大舞台より、サロンに代表される小さな空間での演奏を好むようになってゆく)。

 興味深いのは、独奏楽器とオーケストラとの丁々発止としたやり取りが期待されてもおかしくない協奏曲ですら、当時はピアノがメイン、オーケストラがサブという作品が少なくなかったことである。ショパンが残した2曲のピアノ協奏曲については、オーケストレーションの貧弱さ、オーケストラの主張の薄さがしばしば指摘されるが、これもあくまで独奏者を引き立たせようとする当時の習慣が影響した結果といえるだろう。じっさいピアノ協奏曲第2番が初演されたのは、ショパンがピアニストとしてプロ・デビューを果たすという、ピアニスト=ショパンを売り出すための演奏会だった(1830年/ワルシャワ)のである。

 さらに当時は、主にサロンにおける演奏を念頭にピアノ協奏曲を編曲し、独奏版、2台ピアノ版、室内楽版に誂えることも盛んに行われた。となると、サロンでの演奏を好んだショパンが、協奏曲を書きながらも室内楽的な響きを志向し、その結果オーケストレーションが薄くなったという可能性も否めない。となると、ふだん協奏曲に期待しがちな「ピアノvsオーケストラ」という関係ではなく、煌めくピアニズムを中心とした室内楽としてこの作品を捉えることで初めて、当協奏曲の新たな魅力を再発見できるかもしれないのだ。

 激しい情念をたぎらせた第1楽章(マエストーソ ヘ短調 ソナタ形式)、ワルシャワ時代の恋人への想いと別離の情を描いたと言われる第2楽章(ラルゲット 変イ長調 3部形式)、ポーランドの民族舞踊であるマズルカと、民族音楽のようなコル・レーニョ(弦楽器が弓の木の部分で弦を叩く奏法)も現れる第3楽章(アレグロ・ヴィヴァーチェ ヘ短調 ロンド形式)と、ショパンならではの曲想が、ショパンならではのピアノとオーケストラの関係の中で展開されてゆく、ショパンならではの協奏曲だ。

(小宮正安)

作曲年代 1829~30年頃
初  演 1830年3月17日 ワルシャワ 作曲者独奏
楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、バストロンボーン、ティンパニ、弦楽5部、独奏ピアノ




ルトスワフスキ:交響曲第3番(1983)

 私の交響曲第3番はシカゴ交響楽団からの委嘱作品である。同楽団からは1972 年に委嘱を受け、その後間もなく私は交響曲のスケッチに着手したのだが、1983 年1月になってようやくスコアを完成させることができた。初演はゲオルグ・ショルティ指揮シカゴ交響楽団により、1983 年9 月29 日にシカゴにて行われた。

 作品は短い導入部、2つの楽章、エピローグ、コーダで構成され、それらが切れ目なく続けて演奏される。第1楽章は3つのエピソードからなる。1つ目のエピソードは速く、2つ目は遅くなり、3つ目はもっとも遅い。基本となるテンポは変わらないが、リズム単位の引き伸ばしによって速度の違いを付けている。それぞれのエピソードの後には、短くゆるやかな間奏が続く。間奏はトッカータ風の主題群に基づいており、歌うような主題とはコントラストをなす。トゥッティの分断を繰り返して、作品全体のクライマックスへと導く。続く最後の楽章(編集部注:エピローグを指すものと解釈できる)は、ゆったりと歌うような主題に基づき、弦楽器群による短くドラマチックなレチタティーヴォが続く。短く非常に速いコーダによって作品は締めくくられる。

(ヴィトルト・ルトスワフスキ/飯田有抄訳)

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Lutosławski: Symphony No.3 (1983)

My Symphony No. 3 was commissioned by the Chicago Symphony Orchestra who as long ago as 1972 had asked me to write a work for them. Shortly after that, I wrote some sketches for the Symphony but only in January 1983 did I complete the score. The Premiere was given by the Chicago Symphony Orchestra conducted by Sir Georg Solti on 29 September 1983 in Chicago.

The work consists of two movements, preceded by a short introduction and followed by an epilogue and a coda. It is played without a break. The first movement comprises three episodes, of which the first is the fastest, the second slower and the third is the slowest. The basic tempo remains the same and the differences of speed are realised by the lengthening of the rhythmical units. Each episode is followed by a short, slow intermezzo. It is based on a group of toccata-like themes contrasting with a rather singing one: a series of differentiated tuttis leads to a climax of the whole work. Then comes the last movement, based on a slow singing theme and a sequence of short dramatic recitatives played by the string group. A short and very fast coda ends the piece.

Witold Lutosławski

(The text is published exactly as spelled in the original source.)


ルトスワフスキ:交響曲第3番(1983)

 ヴィトルト・ルトスワフスキ(1913 ~ 94)が生まれたとき、いまだポーランドはロシアの支配下にあった。翌年に第一次世界大戦(1914 ~ 18)が起こると、続けてロシア革命(1917)、ドイツ革命(1918)が勃発。その流れで設立されたのがポーランド第二共和国であった〔この時、首相に就任したのがショパンの演奏や楽譜の校訂で知られるイグナツィ・ヤン・パデレフスキ(1860 ~ 1941)だ〕。

 当時はカロル・シマノフスキ(1882 ~ 1937)がポーランド音楽を牽引していた時代。ピアノとヴァイオリンを習っていたルトスワフスキ少年も11 歳のときに聴いたシマノフスキの交響曲第3番《夜の歌》(1914 ~ 16)に衝撃を受け、作曲を志したという。

 1937 年にワルシャワ音楽院を修了するも、今度は第二次世界大戦(1939 ~ 45)が起こる。戦中はナチスに、戦後はソ連に支配された環境のなか、ルトスワフスキは作曲家としての第一歩を踏み出さなければならなかった。戦中から苦労して書き続けた交響曲第1番(1941 ~ 47)は社会主義に相応しくないとあっさり批判されてしまうも、ルトスワフスキ作品のなかでは現在も演奏頻度の高い《管弦楽のための協奏曲》(1950 ~ 54)が大きな成功を収めることで評価を勝ち得ていった。

 ソ連の最高指導者スターリンが亡くなってから3年後の1956 年に、後継のフルシチョフがスターリン批判を行い、いわゆる「雪解け」のムードが高まると、同年10 月に現代音楽の音楽祭「ワルシャワの秋」が誕生。西側の前衛的な音楽が盛んに紹介されるようになり、それまでの鬱憤を晴らすかのようにルトスワフスキも最先端の現代音楽の流れへと身を投じた。

 その結果書かれたのが、オクターヴ内の12 の音すべてを同時に鳴らす《葬送音楽》(1954 ~ 58)や、《ヴェネツィアの遊戯》(1960 ~ 61)だ。後者はジョン・ケージ(1912 ~ 92)のチャンス・オペレーション(いわゆる「偶然性の音楽」)との出会いによって生まれたもので、この作品においてアレアトリー技法(いわゆる「管理された偶然性」)を確立。アレアトリー技法は拍子感なしに、似たような音色、似たような音型がずれて反復されることでモアレ状の響きを生み出す手法で、ルトスワフスキの代名詞となった。

 1980 年代が近づくと、徐々に前衛芸術の勢いが低迷。最前線で活躍していた作曲家の多くが、それまでご法度としていた明快な旋律やハーモニーの要素を作品のなかに登場させ始める。ルトスワフスキにとってはオーボエとピアノのための《墓碑銘(エピタフ)》(1979)以降の作品がそれに該当。最後の大作、交響曲第4番(1988 ~ 92)に至るまで、前衛的な作曲技法と古典的な音楽をどう結びつけるかを思案し続けた。

 

 交響曲第3番(1981 ~ 83)は、いわばこのスタイル変遷の過渡期に書かれたもの。戦後に書かれた数々の交響曲のなかで最も演奏機会の多い交響曲のひとつになり得たのは、晩年の諸作があまりに古典回帰に寄り過ぎているが故に批判の対象にもなったため。その点、本作は絶妙なバランス感覚で前衛と古典を結びつけた作品として評価が高い。

 別掲のルトスワフスキ自身の解説(P.19)には、中身が細かいセクションに分かれていると説明されているが、それを楽譜なしに明確に聴き分けることは困難かもしれない。でもご安心いただきたい。本作を鑑賞するうえでは、作品冒頭に登場する「4音連打」ひとつを理解すれば、とりあえず事足りるからだ。この「4音連打」は、ベートーヴェンの交響曲第5番や、チャイコフスキーの交響曲第4番といった作品に登場する、通称「運命のリズム」とほぼ同じもの。明快で脅迫的な響きは、その直後に続く木管楽器を中心にした「アレアトリー技法」による曖昧でモヤモヤした響きとコントラストを生み出すことで、作品の前半の音楽を進めていく。

 「4音連打」が単独で繰り返されるところからが作品の後半部となり、今度はベートーヴェンが交響曲第5番で動機労作を行ったように「4音連打」のリズムへ旋律的な動きを追加。徐々に単純な「4音連打」は姿を消していく。作品の終盤、ルトスワフスキ自身がエピローグと呼ぶセクションに到達すると、はっきりとホ長調的な響きが立ち昇り始める(初演者ショルティは、リハーサルの際に「ブラームスの交響曲のようにロマンティックに!」と指示を飛ばしている)。モアレ状の響きは後退し、明快な旋律線が登場。クライマックスを築き上げる。

(小室敬幸)

作曲年代 1981~83年
初  演 1983年9月29日 シカゴ ゲオルグ・ショルティ指揮 シカゴ交響楽団
楽器編成 フルート3(第2~3はピッコロ持替)、オーボエ3(第3はイングリッシュホルン持替)、クラリネット3(第2は小クラリネット持替、第3はバスクラリネット持替)、ファゴット3(第3はコントラファゴット持替)、ホルン4、トランペット4、トロンボーン4、テューバ、ティンパニ、シロフォン、小太鼓、タンブリン、ボンゴ、グロッケンシュピール、タムタム、大太鼓、チャイム、ヴィブラフォン、マリンバ、テナードラム、ゴング、サスペンデッドシンバル、トムトム、ハープ2、ピアノ(連弾)、チェレスタ、弦楽5部