都響スペシャル【アラン・ギルバート首席客演指揮者就任披露公演】

シューベルト:交響曲第2番 変ロ長調 D125

 フランツ・シューベルト(1797~1828)が17歳から18歳の時期に作られた作品。当時の彼は、少年時代から在籍していた寄宿制神学校(コンヴィクト)をやめ、教師をしていた父親の下に帰るという転換期の中にあった。さらにこの間には、《糸を紡ぐグレートヒェン》《魔王》《野ばら》といった歌曲が幾つも誕生している。彼がいよいよ本格的に音楽活動を開始した、まさにそのスタートにあたる時期である。

 そのような状況の中で生まれた交響曲第2番は、件の寄宿制神学校の校長に献呈されている。シューベルトの交響曲第1番(1813年完成)自体、寄宿制神学校のオーケストラに私的初演を行ってもらったという説(確たる記録はなし)が一般的だ。ただし交響曲第2番については彼が学校をやめた後であるため、実際に私的初演が行われたか否かについて詳細は分からないものの、献呈先を見るに、母校のオーケストラによる私的初演が念頭に置かれていたのは間違いない。

 なお寄宿制学校のオーケストラといっても、軽く見てはいけない。生徒を中心としたメンバーがかなりの腕前を具えていたことは、当交響曲を聴いてもよく分かる。そうでなくても当時のウィーンには、職業音楽家顔負けの腕前と音楽性を具えた音楽愛好家が数多存在しており、シューベルトが手がけた交響曲自体、そうした人々による演奏を考慮して書かれている。

 第1楽章(ラルゴ~アレグロ・ヴィヴァーチェ)は、モーツァルトの交響曲第39番の冒頭を彷彿させる輝かしい序奏に続き、ソナタ形式に基づく主部が始まる。この主部、親しみやすい快活な旋律に比して、中身は意外なまでに複雑だ。ベートーヴェンの《プロメテウスの創造物》序曲のごとくヴァイオリンが目まぐるしく動くだけでなく、それに合わせてヴィオラと低弦がリズムの掛け合いを見せたり、木管楽器が短い音型をかぶせたりときわめて情報量が多く、演奏者の技量が問われる。小節数が614にものぼるため、楽章全体をだれずに聴かせる音楽性も必要だ。

 第2楽章(アンダンテ)は、ベートーヴェンが交響曲第3番《英雄》の第4楽章でも採用した変奏曲。とはいっても、ベートーヴェンのようなヒロイックな音楽ではなく、歌曲を思わせる主題をもとに5つの変奏が穏やかかつ儚く生まれては消えてゆく。

 第3楽章(メヌエット/アレグロ・ヴィヴァーチェ)は「メヌエット」と記載されているが、速度指定はかなり速い。メヌエットにしては珍しく、短調で書かれている点も独特だ。

 第4楽章(プレスト・ヴィヴァーチェ)も第1楽章と同様ソナタ形式に基づき、膨大な小節数(727)となっている。「ヤンタタ」という短いギャロップ風リズムが1小節としてカウントされているためだが、シューベルト独自のミニマルなリズムの集積、最終的な解決の出口を探そうとして探しあぐねる姿勢が、愉悦の楽想の中に見え隠れしている。

(小宮正安)

作曲年代 1814年12月10日~1815年3月24日
初  演 1877年10月20日 ロンドン
アウグスト・マンス指揮 クリスタル・パレス管弦楽団
楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦楽5部




マーラー:交響曲第1番 ニ長調《巨人》(クービク新校訂全集版/2014年)

 グスタフ・マーラー(1860~1911)の交響曲第1番は初期の作ながら彼の交響曲中特に人気も演奏頻度も高い。通常演奏されるのは決定稿だが、この作品はそこに至るまで紆余曲折があり、本日は決定稿以前の稿に基づく新校訂版(2014年)で演奏される。

 この作品の初稿の完成は1888年3月29日だが、構想は1884年頃に遡る。構想から完成に至る時期のマーラーは指揮者として各地の劇場のポストを転々としていた。若き彼の指揮の才腕は広く認められていたが、ユダヤ人という出自や自己主張の強い性格から嫌がらせや劇場当局との衝突が絶えず、ひとつのポストに留まることができなかったのである。初稿の完成時にはライプツィヒ市立劇場次席指揮者の地位にあったが、ここでも首席楽長アルトゥール・ニキシュ(1855~1922)との確執やこの交響曲の創作のために職務を怠ったことで、作品完成の約2ヵ月後に辞職に追い込まれている。

 1888年10月ブダペスト王立歌劇場音楽監督の地位を得たマーラーは、翌1889年の11月20日ブダペストでこの初稿を自らの指揮で初演する。全体は5楽章からなっていたが、交響曲ではなく「2部からなる交響詩」と銘打たれた。ただ交響詩といっても標題は付されていなかった。

 1891年マーラーはブダペストを辞し、ハンブルク市立劇場の第一指揮者に就任したが、1893年になってこの作品の改訂作業に乗り出す。改訂は大々的で、特に終楽章は構成上の大きな変更がなされた。この改訂稿の初演は同年10月27日ハンブルクにてマーラーの指揮で行われたが、その際全体の曲題は初稿初演の時と違う「交響曲形式による音詩《巨人》」とされ、全体を2部に分けた各部分に以下のような題が付けられた。

第1部 青春の日々より~花の、果実の、そして茨の絵
 第1楽章 春、そして終わりなし
 第2楽章 花の章
 第3楽章 帆をいっぱいに孕ませて(スケルツォ)
第2部 人間喜劇
 第4楽章 難破(カロ風の葬送行進曲)
 第5楽章 地獄から

 曲題の “巨人” や各部・楽章の題はジャン・パウル(1763~1825)の小説から採られた一方、 “花の章” はマーラーが1884年にドイツの詩人兼小説家ヨーゼフ・ヴィクトル・フォン・シェッフェル(1826~86)の叙事詩「ゼッキンゲンのラッパ吹き」の付随音楽として書いた音楽であり、第4楽章にはフランスの版画家ジャック・カロ(1592~1635)の風刺画への言及もあるなど、様々な文学や絵画との関連がこの改訂稿の題から窺える。

 しかしこれらの題はあとから当てはめたと考えたほうがよいようだ。もともと初稿からマーラーがこの作品で描きたかったのは英雄的な若者の苦闘や希望で、それに相応しい題を交響詩らしくこの段階で付加したと思われる。そうした若者像は指揮者として苦闘していた彼自身に重なるもので、さらにそこに自らの失恋や恋の悩みが反映されていることは、歌手ヨハンナ・リヒター(1858~1943/生没年は異説あり)に対する自身の失恋に基づく歌曲集《さすらう若人の歌》や、故郷イグラウでの恋愛体験と関わる歌曲《ハンスとグレーテ》などが曲中に引用されていることに示唆されている。

 さらに1894年6月3日ヴァイマルでこの作品はやはりマーラー自身の指揮で再演されるが、この時またも大きな改訂の手が加えられた。彼が当時のヴァイマルの楽長リヒャルト・シュトラウス(1864~1949)宛の手紙で記しているところによれば、この改訂によって「全体に輪郭がはっきりし透明度が増した」ものとなった。

 しかし改訂はこれで終わらない。マーラーはさらに作品に手を加えていき、最終的に《巨人》という題を取り払ったばかりか、当初の第2楽章「花の章」を削除、1896年3月16日ベルリンで4楽章の “交響曲” として初演した。こうして一般的に演奏されている決定稿としての交響曲第1番が出来上がったのである(その後も細部の手直しが加えられている)。

 本日取り上げられるラインホルト・クービクによる新校訂版(2014年5月トーマス・ヘンゲルブロック指揮NDRエルプフィル〔北ドイツ放送響〕により初演)は “1893年ハンブルク稿” という触れ込みのようだが、スコア(貸譜)にはそのような表記は見られず、実際前述の1893年10月に初演された稿(一般にハンブルク稿といわれてきたもの。ここでは仮にハンブルク第1稿としておく)でなく、その後の改訂が取り入れられている(ただ校訂報告やスコアのコメントがないので詳細は不明)。

 いわゆるハンブルク第1稿と当版を比べると、例えば編成が3管から4管に拡大され、ホルンも4本から7本に増やされており、曲題は「交響曲形式の2部の音詩《巨人》」となっているものの、各部・各楽章の題は(「花の章」の題も含め)削除されている。

 第1楽章冒頭をみても、ハンブルク第1稿では弦のフラジオレットの指示はないが、当版ではのちの決定稿同様にその指示が入っている。また9小節目に現れる狩の音型は、ハンブルク第1稿では舞台上のホルン、当版では舞台裏のホルン、決定稿ではクラリネットという具合に改訂の度に変更されている。第4楽章(決定稿では第3楽章)の冒頭も、ハンブルク第1稿は独奏チェロと独奏コントラバスのユニゾンだったのだが、当版は独奏コントラバスのみとなり、この形は決定稿に受け継がれる。

 このように楽器法をはじめ強弱法、細部の音型など、当版はハンブルク第1稿とも決定稿とも違う点が無数にある。ただ全体的には決定稿にかなり近づいたものとなっており、上述のヴァイマルでの演奏の際の修正などが反映されていると思われる。

第1部
 第1楽章 遅くひきずるように~冒頭非常に穏やかに 自然の目覚めを表す序奏の後、自由なソナタ形式による生き生きした主部となるが、その軽快な第1主題は歌曲集《さすらう若人の歌》の第2曲「朝の野辺を歩けば」の旋律による。
 第2楽章 アンダンテ・コン・モート 当初 “花の章” と銘打たれていた楽章で、弦のトレモロ上で奏されるトランペットの主題に始まる伸びやかな叙情楽章。決定稿では削除された。
 第3楽章 力強く動的に(遅いワルツのテンポで) レントラー風のスケルツォ楽章。
第2部
 第4楽章 厳粛かつ荘重に、ひきずることなく 独奏コントラバスの導く俗謡のカノンで開始されるが、これは動物の葬列を描いたカロの戯画にヒントを得ており、葬送行進曲の中に陳腐な楽想が挟まれる点にアイロニーが感じられる。中間部は一転、《さすらう若人の歌》第4曲「2つの青い瞳」の引用が憧憬の気分を生み出す。
 第5楽章 嵐のように動的に 青春の苦闘と憧憬とが交錯しながら起伏ある劇的な展開が繰り広げられ、最後に輝かしい勝利に至る。コーダでのホルンの凱歌(決定稿では楽譜に立奏を求める注記があるが、当版ではまだベルアップのみの指示に留まっている)には決定稿にはないティンパニの力強いリズムが伴っているのが印象的だ。

(寺西基之)

作曲年代 初稿/1884~88年 改訂/1893~96年
初  演 初稿 1889年11月20日 ブダペスト
改訂稿 1893年10月27日 ハンブルク
再改訂稿 1894年6月3日 ヴァイマル
決定稿 1896年3月16日 ベルリン
いずれも作曲者指揮
楽器編成 フルート4(第2~4はピッコロ持替)、オーボエ4(第3はイングリッシュホルン持替)、クラリネット3(第3は小クラリネット持替)、小クラリネット(バスクラリネット持替)、ファゴット3(第3はコントラファゴット持替)、ホルン7、トランペット4、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、大太鼓、シンバル、トライアングル、タムタム、ハープ2、弦楽5部