第858回 定期演奏会Aシリーズ

シューベルト: 交響曲第3番 ニ長調 D200

 ウィーンの寄宿制神学校(コンヴィクト)で音楽の才能を伸ばしていたフランツ・ペーター・シューベルト(1797〜1828)に、1813年から14年にかけて、転機が訪れる。変声期を迎え、学校の合唱児童の役割を果たせなくなったこと、また兵役を逃れる目的もあって、父親フランツ・テオドール・シューベルト(1763〜1830)が教鞭をとる学校で、教師として働き始めた。そのかたわら、寄宿制神学校時代から教えを受けていたアントーニオ・サリエリ(1750〜1825)のもとでさらなる個人指導を受け、数々の曲を作る……。

 これは、当時ウィーンでよく見られた「音楽愛好家」の典型的な活動のスタイルだった。音楽を純粋に愛するがために、それで生業を立てず、しかし音楽の腕前は人後に落ちないという存在。交響曲第3番も、もともとは音楽愛好家から成るオーケストラのために書かれたものである。なお、彼らが集った内輪での初演(公開初演は作曲者の死後はるか経ってからになる)の際にはシューベルトもヴィオラ奏者として参加したようだ。

 この交響曲は、音楽愛好家の住まいに構えられたサロンで演奏されることを念頭に置いていたためだろう。いわば室内楽の延長ともいえる小ぶりの楽器編成となっており、内容そのものも室内楽的な親密さと緻密さに貫かれている。第1楽章を書き始めたものの、おそらくは五線譜が足りなくなってしまったためしばらく作業が中断してしまった、という事情も、いかにも愛好家の仕事の状況にふさわしい。

 ただし、当時の音楽愛好家がいかに一流の腕前を具えていたか……さらにはその一員だったシューベルトが、やがては職業音楽家への道を進むほどにいかに豊かな才能を具えていたか……については、この作品を聴けばよく分かる。第1楽章(アダージョ・マエストーソ〜アレグロ・コン・ブリオ)は序奏付きのソナタ形式だが、重々しい序奏に続いて現れる主部の軽やかさが特徴だ。しかもクラリネットが演奏する第1主題の旋律は、後の交響曲第7番《未完成》第2楽章第2主題の後半部分との類似がよく指摘されるように、単なる軽さや明るさにとどまらない、痛切な憧れを密かに宿している。

 第2楽章(アレグレット)は、シューベルトが手本としたウィーン古典派の交響曲の影響を受けた緩徐楽章。それに続く第3楽章(メヌエット/ヴィヴァーチェ)は、やはりウィーン古典派の伝統を継いで「メヌエット」と表記されているものの、内容的には、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770〜1827)が得意としたような、より速いテンポのスケルツォに近く、トリオ(中間部)にはオーストリアの民族舞踊であるレントラーが顔を出すという独自性に溢れている。

 そして第4楽章(プレスト・ヴィヴァーチェ)は、イタリアの民族舞踊であるタランテッラのリズムに基づくソナタ形式だが、第2主題は「旋律」というより「動機」と呼んだ方がよいようなごく短いフレーズが、弦楽器と管楽器に交互に現れる。これもまたシューベルトの進取の気性であり、またそれに応えるだけの力を当時の音楽愛好家が持っていた証に他ならない。

(小宮正安)

作曲年代 1815年5月24日〜7月19日
初  演 公開初演(第4楽章のみ)/1860年12月2日 ウィーン
 ヨハン・ヘルベック指揮 ウィーン楽友協会会員から成る管弦楽団
公開初演(全曲)/1881年2月19日 ロンドン
 アウグスト・マンス指揮 クリスタル・パレス管弦楽団
楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦楽5部

矢代秋雄:チェロ協奏曲

 美術の研究・評論家として初めて文化功労者に選ばれた矢代幸雄の第一子として、矢代秋雄(1929〜76)は東京に生まれた。母がアマチュアピアニストだったため幼少の頃からピアノに親しみ、小学校入学前から既に作曲を試みていたというのだから相当な早熟である。ドイツ系の流れを汲む作曲家・諸井三郎に10歳から師事。諸井は歌曲やオペラに軸足を置いた山田耕筰らに反発し、ソナタを中心とした器楽のための作品を探求した。セザール・フランクを理想形として崇める姿勢は、矢代にもそのまま受け継がれている。しかし、東京音楽学校(現:東京藝術大学音楽学部)を志望したため、その後は主にフランス系の橋本國彦、池内友次郎に師事。同校研究科修了後はパリ国立高等音楽院へ留学し、トニー・オーバンのレッスンを受けながら、オリヴィエ・メシアンのクラスを聴講していたという。

 日本に戻ってきてからは東京藝大で後進の指導にあたり、池辺晋一郎、野平一郎、西村朗をはじめ、現在全国各地の音楽大学で教授を務めている人材を数多く育成。作曲家としてはその完璧主義ゆえに極端な寡作として知られ、帰国後から46歳で急逝するまでの間に管弦楽作品は、チェロ協奏曲を含め3作(交響曲、ピアノ協奏曲)しか完成していない。

 本作は単一楽章と銘打たれてはいるものの、実質的には4つの切れ目なく演奏されるセクションで構成されている。

 カデンツァではじまる第1部では、作品全体を統一する3つのモティーフが提示される。すべての根源となる「第1モティーフ」(冒頭でチェロが奏でるレ−ファ♯−ファ−レの4音)と、その第1を変形させた「第2モティーフ」は共に、上行してから下行する音型。「第3モティーフ」は4回同じ音を続けてから下行する音型で、ベートーヴェンの交響曲第5番の冒頭モティーフを想起させる。そして各セクションのクライマックスで登場し、シグナルのような役割を果たす。これらの3つの音型は第1部のラストで、ティンパニ、ホルン、フルートへと波及していく。

 ホルンとフルート以外の管楽器が加わり出すところからが第2部となり、チェロは「第2モティーフ」をもとに旋律を発展させていく。背景のオーケストラも少しずつ密度を濃くしていき、遂にオーケストラの総奏とチェロが「第1モティーフ」で拮抗するまでに至ったところで沈静化。

 アルトフルートが穏やかに「第1モティーフ」を吹くところからが第3部となる。ここは緩徐楽章に相当するセクションだ。

 そして急激にテンポが速くなる箇所から最後の第4部へとなだれ込み、いくつもの新しい音型が登場したかのように聴こえるが、実はほぼ全てが「第1モティーフ」を変化させたもの。全体のクライマックスにたどり着いたところでテンポが再び落ち着き、チェロのカデンツァへ。続いて作品冒頭が回顧され、全曲を閉じる。

(小室敬幸)

作曲年代 1959年夏〜1960年5月1日
初  演 放送初演/1960年8月14日
舞台初演/1960年9月19日 ワルシャワ
いずれも堤剛(チェロ) 岩城宏之指揮 NHK交響楽団
楽器編成 フルート2(第1はアルトフルート持替)、オーボエ、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、大太鼓、シンバル、タムタム、ヴィブラフォン、ハープ、チェレスタ、弦楽5部、独奏チェロ

ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調 op.67《運命》

 西洋音楽史上、様々なジャンルで革新的作品を発表したルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770〜1827)だが、とりわけ交響曲の分野で彼が打ち立てた功績は大きい。もともと交響曲はオペラや芝居の序曲から派生し、第1楽章や最終楽章は演奏会の開幕や終了を告げる役割を担っていた(また他の楽章についても演奏会の要所々々で取り上げられ、交響曲が現在のように全曲まとめて演奏されるというケースはかなり珍しかった)。

 ところが、彼はそうしたあり方を一変させてしまった。特に交響曲第5番は、そうしたベートーヴェンの交響曲の特徴が明確に刻印された作品に他ならない。

 まずこの曲については何よりも、「暗から明へ」あるいは「闘争を経て勝利に至る」という、ベートーヴェンの作品を語る際よく用いられる表現が典型的にあてはまる。ベートーヴェンは若き日に勃発したフランス革命(1789年)に熱狂し、フランス革命の体現者としての錦の御旗を掲げたナポレオン・ボナパルト(1769〜1821)に一時心酔した経験の持ち主だ。結局のところこのナポレオン崇拝は、ナポレオン本人の名誉欲や侵略者としての姿勢を目の当たりにしたことで消え去ってしまうのだが、だからこそベートーヴェンは音楽の中に純粋な革命思想の実現を試みようとした。

 そうしたベートーヴェンの姿勢に共鳴したのが、市民階級である。それまで王侯貴族をはじめとする特権階級の支配下に甘んじてきた彼らは、フランス革命が大きなきっかけとなり、みずからの社会的地位向上のために立ち上がる。その際、市民階級の崇拝の的となったのがベートーヴェンに他ならなかった。たとえ現実政治の世界では、ナポレオンのような人物に裏切られることがあっても、殊音楽の世界においてそれはない。

 さらに、耳の病をはじめとする様々な困難と闘いながら歩んでゆこうとするベートーヴェンの生き方そのものも、裸一貫の状態から身を起こし社会的進出を何とか遂げようとしている市民たちにとっては、みずからの規範として仰ぐにふさわしいものだった。

 というわけで交響曲第5番も、ベートーヴェンの、あるいは当時の彼をとりまく市民階級の理想が溢れんばかりに詰まっているといえる。つまりはオーケストラというメディアを用い、演奏会の場において多くの聴衆と感動を分け合うマニフェストであって、それゆえ元来の交響曲が担っていたいささかお気楽な立ち位置とはまったく異なっていった内容と化した。とりわけそれが典型的に表れているのが、従来であればバラバラに演奏されてもおかしくなった第3楽章と第4楽章を切れ目なしに繋ぎ、暗から明への一大転換を成し遂げてみせた点だろう。

 初演こそ、当時の演奏会の常として新作ばかりを並べた長大なプログラムのために練習時間が足りず失敗に終わったが、評価はすぐに高まっていった。またそれほどまでに、当時の演奏会の担い手となっていった市民の心の琴線に触れる作品だったのであり、やがて《運命》というニックネームが付けられていったのも頷ける。

(小宮正安)

 第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ

 第2楽章 アンダンテ・コン・モート

 第3楽章 アレグロ

 第4楽章 アレグロ

作曲年代 1807〜08年
初  演 1808年12月22日 ウィーン 作曲者指揮
楽器編成 ピッコロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン2、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦楽5部