第857回 定期演奏会Bシリーズ

モーツァルト:歌劇『フィガロの結婚』序曲 K.492

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756〜91)のオペラ『フィガロの結婚』は1786年に初演された。オペラの原作は、当時のフランスで物議を醸していた劇作家カロン・ド・ボーマルシェ(1732〜99)の筆になる。頑迷で好色な領主に、使用人たちが知恵を駆使して立ち向かうという挑戦的な筋書きは、フランスはもちろん、モーツァルトのホームグラウンドであるオーストリアでも、権力者である貴族たちの感情を逆なでした。それでも、オーストリアの都ウィーンの宮廷で詩人として働いていたロレンツォ・ダ・ポンテ(1749〜1838)が、頓智を働かせてオペラ用に台本を仕上げ、さらに時の皇帝ヨーゼフ2世(1741〜90)を説き伏せたおかげで、ようやく作品の上演が許される。

 というわけで、そのようなオペラのためにモーツァルトが仕立てた序曲も、きわめて機智に富んだものとなっている。一聴したところ、オペラ上演の中心であった宮廷劇場に集う貴人好みの華麗さや愉悦に満ちているものの、耳を傾けてみると一筋縄ではゆかない。

 たとえば序曲の冒頭、身分制社会の中を巧みに立ち回る使用人の姿と重なり合うかのようにファゴットと弦楽器が細かな動きを見せるが、フレーズのまとまりは1小節+2小節+4小節=7小節という変則的なものとなっている(普通耳に心地よいまとまりは、2小節+2小節=4小節といった具合に、偶数、しかも偶数×偶数の倍数である場合が多い)。しかもこの動きに乗って有名なテーマが登場するものの、これもテーマと呼ぶにはあまりにも動きや表情の変化が激しい。 貴族社会の伝統に従うようでいながら、新たな時代の作法をしたたかに身につけていたモーツァルトと同時代人たち。そんな面々の生き方が映し出されたかのような一曲だ。

(小宮正安)

作曲年代 1785〜86年
初  演 オペラ全曲/1786年5月1日 ウィーン 
ブルク劇場 作曲者指揮
楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦楽5部

ヴォルフ=フェラーリ: ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.26

 エルマンノ・ヴォルフ=フェラーリ(1876〜1948)は、『4人の頑固者』(1906)、『スザンナの秘密』(1909)、『イル・カンピエッロ』(1936)などのイタリア・オペラで知られる作曲家である。一般にはオペラ『マドンナの宝石』(1911)の「間奏曲」でおなじみといえよう。

 彼はヴェネツィア生まれのイタリア人だが、父親はドイツ人で、音楽教育もドイツで受けている。また彼のオペラがイタリアよりもドイツで評価されたこともあり、作曲家として名をなしてからはほとんどミュンヘンを本拠とした。

 器楽ジャンルの作品も手掛け、特に初期と後期に集中して書かれている。本日のヴァイオリン協奏曲は後期の所産で、彼の器楽作品の中では最も演奏される機会が多い。徹底してロマン派的な特質を示している点に彼の美学が窺える。

 この曲が書かれた背景にはアメリカの若き女性ヴァイオリニスト、ギラ・バスタボ(1916〜2002/Guila Bustabo)の存在があった。バスタボは欧米で注目されていた才媛で、アメリカ人ながらナチ政権下のドイツに留まっていた。彼女はヴォルフ=フェラーリのオペラ『愚かな娘』(1939)に感動し、その一節をヴァイオリン用に編曲してくれるよう彼に手紙で依頼する。

 しかし彼はそれを断り、代わりに本格的な協奏曲を作曲することを提案、1943年ミュンヘン近郊の自宅に彼女を招き、また手紙でもやり取りしながら、彼女の意見を取り入れて作曲を進め、同年夏にこれを完成させる。40歳年下の彼女に彼は深い愛情を抱いていたといわれ、この曲の甘美でどこか切ないカンタービレにはそれが反映されているかのようだ。初演は1944年1月7日ミュンヘンでバスタボの独奏、オズヴァルト・カバスタ(1896〜1946)の指揮でなされた。

 なおバスタボは、戦時中にこのカバスタやヴィレム・メンゲルベルク(1871〜1951)といったナチ協力者と共演したことで(後者との共演によるブルッフやベートーヴェンの録音もある)、戦後長らくアメリカの音楽界から疎外され、ヨーロッパで演奏と教育に従事したが、躁鬱病を患って1970年に帰国、アラバマ交響楽団の楽員を務めるかたわら、ソロ活動も行った。1971年にはミュンヘンにおいてルドルフ・ケンペ(1910〜76)の指揮でヴォルフ=フェラーリの協奏曲を再演、その名演の録音も遺されている。

 第1楽章 ファンタジア ニ長調 まずモルト・トランクイロ(クワジ・アダージョ)で独奏が夢見るような主題を奏する。この主題を中心にテンポの頻繁な変化を伴いつつ様々な楽想が出現、やがて変ロ短調の第2主題も独奏に出るが、緊密なソナタ形式を形作るより、場面の変化と独奏の技巧の披露に主眼を置いている点がオペラ作家らしい。

 第2楽章 ロマンツァ アダージョ 嬰へ長調(調号はホ長調) たゆたうような付点リズムの伴奏上に独奏が憧れに満ちた旋律を歌う落ち着いた主部と、変化のある中間部(変ホ短調)からなる。

 第3楽章 インプロッヴィーゾ・エ・ロンド・フィナーレ(即興とロンド・フィナーレ) まずアジタート・コン・パッシオーネ、ロ短調、ギャロップ風の付点リズムの伴奏上に独奏が第1楽章第2主題を激しく奏して始まり、熱情的かつ即興風に進む。後半のロンド・フィナーレはアレグロ、ポイ・センプレ・ピウ・アニマンド、ニ長調、民俗舞曲風の快活な主題とエピソードの交替のうちに独奏の鮮やかな妙技が繰り広げられ、最後近く長大なカデンツァが置かれる。

(寺西基之)

作曲年代 1943年
初  演 1944年1月7日 ミュンヘン
ギラ・バスタボ(ヴァイオリン) オズヴァルト・カバスタ指揮
楽器編成 フルート2(第2はピッコロ持替)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、ティンパニ、大太鼓、シンバル、トライアングル、ハープ、弦楽5部、独奏ヴァイオリン

R.シュトラウス: 交響的幻想曲《イタリアより》op.16

 現代の聴き手がリヒャルト・シュトラウス(1864〜1949)に抱くイメージとして真っ先に浮かぶのは、交響詩やオペラなどで、与えられた標題を当意即妙に描くことを得意とした作曲家である、というあたりだろう。もちろん間違いではないのだが、シュトラウスがワーグナー、リストに連なる、「新しいドイツ」時代を代表するような作品を世に問うことで活躍し始めるのは1890年代に入ってからのこと。1880年代においては、むしろ古典派寄りで、室内楽・交響曲の作曲を本領としたブラームスに影響を受け、数々の作品を生み出していたことは、もっと知られてよい。

 もちろん、ホルン協奏曲第1番(1883)、ヴァイオリン・ソナタ(1888)など、この時期に作られ、現代においても演奏頻度の高い器楽作品は数多い。その一方で、習作的な色合いが強いとはいえ、交響曲ニ短調(1880)、交響曲ヘ短調(1884)といった作品を演奏会場で耳にする機会はほとんどないのが現状でもある。

 マイニンゲン宮廷管弦楽団の指揮者にハンス・フォン・ビューロー(1830〜94)の推挙によって就任・活動した1885年には、ブラームスが同地で交響曲第4番を初演し、シュトラウスもその演奏に立ち会っている。翌1886年、シュトラウスは早くもマイニンゲンの職を辞し、4月17日から5月25日までイタリアを旅している。イタリア各地を巡った際に書きとめた楽想を新しい作品へと活かすにあたり、シュトラウスが範としたのはやはりベートーヴェンであった。ピアノ・ソナタ ロ短調(1882)では、交響曲第5番の4音モティーフを換骨奪胎して作品に取り入れたが、新しい交響的作品を作るにあたっては交響曲第6番《田園》に注目したと思われる。

 ベートーヴェンの田園交響曲を下敷きにしつつも、リスト、ワーグナーの語法を採り入れながら作曲を進めたことで、シュトラウスは過去から未来へのバトンを次世代へと引き継ぐ方法論をみずからのうちに確立した。従来の交響曲と見なして演奏できるような、若き日のシュトラウスによる独特のバランス感覚が保たれているわけで、絶対音楽から標題音楽へ、交響曲から交響詩へと進んでいく作曲家・シュトラウスが歩む過程において、本作は前者の要素により大きな比重を置いている。

 この堅固な音楽作りが、第4曲で用いられた「フニクリ・フニクラ」(後述)のように、一歩間違えればキッチュな響きに堕してしまいがちな危険を回避し、むしろ音楽全体の強力な推進力へと転化させる力を生んでいる。伝統に立脚した楽曲様式の枠内で描写的な標題を表現する「交響詩」という武器を得て、シュトラウスは1890年代のドイツで作曲家としての名声を確立することになる。

 1886年の間に《イタリアより》の作曲を終えたシュトラウスは、翌1887年3月2日にミュンヘンで、みずからの指揮によって初演を果たした。この作品に「大管弦楽のための交響的幻想曲(ト長調)Sinfonische Fantasie (G-Dur) für großes Orchester」という副題が添えられたのも、交響曲でありつつも、かならずしもその在り方にあてはまらない自由な形式を与えたことの宣言であった。

交響曲ならば、冒頭楽章に大々的なソナタ形式を置くのが通例だが、本作の第1曲「カンパーニャにて」はかなり自由な三部形式であり、音楽的にはむしろ第2曲への序奏的な役割を果たしている。古代ローマの別荘地として発展し、すでに廃墟となっていたカンパーニャの様子は、冒頭のト長調・空虚5度で示される(この開始部が、すでにワーグナー『ラインの黄金』の冒頭部を思わせる)。

 トランペットの主題に導かれた堂々たるハ長調で始まる第2曲「ローマの廃墟にて」では、主要な主題だけでも4種が用いられ、従来のソナタ形式の枠組みにとどまることなく、より複雑な書法に挑戦している。

 第3曲「ソレントの海岸にて」では、その情景を思わせる第1主題に対比させるかのように、ドイツの民謡的な主題が第2主題に選ばれ、望郷の念が示されている、といわれている(楽曲形式的にはソナタ形式だが、再現部がかなり短くコーダを兼ねているので、A−B−Bの展開−A〔コーダ〕ともとれる)。

 第4曲「ナポリのひとの生活」では、イタリア旅行の6年前に作曲された、ルイージ・デンツァ(1846〜1922)によるヴェスヴィオ火山登山電車のコマーシャル・ソング「フニクリ・フニクラ」を、シュトラウスが以前から同地に存在する民謡だと勘違いして自作に採り入れてしまい、トラブルになったという逸話が有名となった。ソナタ形式の大詰めに置かれた、シュトラウス特有の遊び心に満ちた総休止と最後の3つの和音を聴けば、聴き手を愉しませるための「エンターテインメント」としての音楽語法を、シュトラウスが若い頃から身につけていたことを窺わせる。

(広瀬大介)

作曲年代 1886年
初  演 1887年3月2日 ミュンヘン 作曲者指揮
楽器編成 ピッコロ、フルート2、オーボエ2(第2はイングリッシュホルン持替)、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、小太鼓、トライアングル、タンブリン、シンバル、ハープ、弦楽5部