第856回 定期演奏会Aシリーズ

ドヴォルザーク: 序曲《謝肉祭》op. 92 B.169

 50歳を過ぎ既に国際的な名声を確立していたアントニン・ドヴォルザーク(1841〜1904)は、よく知られているように、新設の音楽院の院長に就任するため1892年の秋にアメリカへ渡ったが、その直前に3つの序曲を作曲した。それは演奏会用序曲《自然と人生と愛》と題され、3部作としての一体的な構想のもとに書かれたものだった。だが最終的には3曲が独立した作品として出版され、それぞれ《自然のなかで》《謝肉祭》《オセロ》というタイトルを与えられた。

 つまり《謝肉祭》は、当初の作曲者の構想に従えば、この3部作の第2番、あるいは第2部ということになる。もっとも今日では、《自然のなかで》や《オセロ》が演奏されることはあまりなく、この《謝肉祭》のみが圧倒的に親しまれているようだ。ただこれはこの3曲に共通していることだが、いかにも標題音楽的なタイトルを付けられているものの、例えばリストの交響詩のごとく、特定のストーリーや情景を描写したものではなく、あくまで全体的なイメージをゆるやかに喚起するために使用されていると思われる。

 さて序曲《謝肉祭》は、アレグロ、イ長調、2分の2拍子、自由なソナタ形式。熱狂的とも言える華々しさを持つ第1主題で開始され、一瞬にして聴き手を謝肉祭の賑わいや興奮の中へ投げ込んでくれる。第2主題も高揚した気分を引き継いだまま堂々と奏される。その後ヴァイオリンにはメランコリックな美しい副次的旋律も歌われる。 拍子が変わり音楽が落ち着くと、イングリッシュホルン、フルート、オーボエ、クラリネット、ヴァイオリンの各ソロによる室内楽的で静かな部分となる。ここでクラリネットが奏する旋律は、3部作の横串的素材とでも言うべきものであり、その他のソロで聴かれるものは、そこから派生したと考えられる。しかしその静けさは長く続かず、音楽は最初の拍子とテンポに戻り、活気と緊張を増していく。やや自由な形式ではあるが、ここが提示部と展開部の境界と考えられる。

 展開部は第1主題と第2主題によって念入りに書き込まれ、高潮の頂点で再現部に突入する。ここで聴かれるのはほとんどが第1主題であり、あの副次的な美しい旋律はもちろん、第2主題すらリズムの断片しか登場しない。そして極めてリズミックで精力的な音楽が続き、速度を上げてコーダに達し終結する。

 全体にこの作曲家としては異例なほど打楽器の活用が華々しく、金管楽器やハープの効果的な使用も顕著である。

(石原立教)

作曲年代 1891年
初  演 (3部作全曲)1892年4月28日 プラハ
作曲者指揮 プラハ国民劇場管弦楽団
楽器編成 ピッコロ、フルート2、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、トライアングル、タンブリン、シンバル、ハープ、弦楽5部

グラズノフ: ヴァイオリン協奏曲 イ短調 op.82

 アレクサンドル・グラズノフ(1865〜1936)は「力強い仲間(ロシア五人組)」やチャイコフスキー(1840〜93)などの流れをうけついだ作曲家で、ソ連時代となってからはレニングラード音楽院の教授に就任した。この時の教え子にはショスタコーヴィチ(1906〜75)がいる。

 グラズノフは8つの交響曲(第9番は未完)や、《ライモンダ》《四季》を含む3つのバレエ音楽、4つの協奏曲、7つの弦楽四重奏曲などを残している。この中で今日もっともよく演奏されるのは、このヴァイオリン協奏曲、そして《ライモンダ》(1898年初演)である。いくつかの交響曲は最近、日本でも実演が増えた。 このヴァイオリン協奏曲は1904年にサンクトペテルブルクで創作され、翌年にサンクトペテルブルク音楽院大ホールで初演された。このときヴァイオリン・ソロを担当したのは大ヴァイオリニストのレオポルド・アウアー(1845〜1930)、指揮は作曲者自身。作品はアウアーに献呈されている。

 全体は続けて演奏され、表面上は単一楽章のようになっている。日本ではこれまで一般に、2楽章構成の曲と見ることが多く、以前に発行されていた古い楽譜(ヴァイオリン/ピアノ版)は実際にそのように印刷区分されていた。またこれを引きずる形で、CDなどでは自由に(時にかなり誤って)トラック処理されているものが多かった。しかしそもそもこの曲のオリジナル版権を所有しているベリャエフ版のスコアには楽章区分がなく、作曲者は単一楽章の曲と考えていたように見える。さすがに近年の楽曲分析や海外の文献では、曲全体を単一楽章構成と見なすものが大半になってきた。ヴァイオリニスト側も、そのように考えて演奏する人がわりあい普通のようである。

 曲の前半はモデラートで始まる3部形式(アンダンテの中間部をもつ)。全曲の中間地点(前記ベリャエフ版では、全66ページ中の32〜33ページ)にはカデンツァ(作曲者自作。多くのヴァイオリニストはこれをそのまま演奏する)があり、ここがブリッジとなる。

 そして後半(アレグロ)はロシアの民族色を濃厚に打ち出したフィナーレと見なすことができる。ここはトランペット2本が8小節の勇壮な主題を導いて開始される。このフィナーレ部分に来ると、ソロはハーモニクス(倍音の原理を利用した弦楽器の高音)や左手のピツィカートなどを駆使した各種動機を次々に繰り出して野性味を盛り上げる。

 なおコーダの直前に、ソロがグロッケンシュピールとハープ、フルートに合わせて16小節にわたって重音のピツィカートを奏する有名な個所がある〔楽譜には“ギターのように(quasi guitarra)”とある〕。実はこれは、ギターというより、ロシアの民族楽器バラライカの模倣であるといわれる。実演の場合は視覚的にも大変おもしろい部分だが、音量的にはソロとトゥッティとのバランスが難しい。

(渡辺和彦)

作曲年代 1904年(完成)
初  演 1905年3月4日(ロシア旧暦2月19日) サンクトペテルブルク
レオポルド・アウアー(ヴァイオリン) 作曲者指揮
楽器編成 フルート3(第3はピッコロ持替)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、トライアングル、グロッケンシュピール、シンバル、ハープ、弦楽5部、独奏ヴァイオリン

ドヴォルザーク: 交響曲第7番 ニ短調 op.70 B.141

 アントニン・ドヴォルザーク(1841〜1904)はベドルジヒ・スメタナ(1824〜84)とともに、チェコ(ボヘミア)の民族楽派の代表的作曲家である。しかし先輩のスメタナがオペラや交響詩など標題音楽のジャンルを中心に民族主義的な音楽のあり方を求めていったのに対して、ドヴォルザークは幅広いジャンルを手掛けている点が特徴的だ。中でもとりわけドヴォルザークが力をいれたのは、交響曲や室内楽曲など古典様式のジャンルであった。

 実際彼は、19世紀後半の大作曲家の中でもドイツのヨハネス・ブラームス(1833〜97)とともに、伝統様式をとりわけ重視した作曲家であり、それは交響曲を9曲、弦楽四重奏曲に至っては14曲(断章的なものを除く)も残していることに表れていよう。こうした伝統ジャンルの中にボヘミアの民族的要素を盛り込むことで、彼は自らの国民的様式を発展させていったのである。

 初期の交響曲では、伝統的な交響曲様式のうちにリストやワーグナーらの革新的な音楽の影響も窺わせつつ、そこに民族的な色合いを浮かび上がらせるような作風を試みた彼は、中期の交響曲では旋律やリズムに民謡や民俗舞曲の語法をよりはっきりした形で取り入れることで民族主義的な色彩を前面に打ち出した。だが後期交響曲の第1作と位置付けられる本日の第7番ではさらに彼の新しい境地が示されている。

 この第7番は1884年にロンドンを訪れ好評を博したドヴォルザークが、次のロンドン訪問のための交響曲として書いたものとされるが、尊敬する親友ブラームスの交響曲第3番を聴いて感銘を受けたことも作曲の大きな動機だった。実際、渋いロマン的性格のうちに豊かな感情を湛えたその内容と堅固な論理構成の中の綿密な展開法はブラームスを想起させよう。

 だからといって民族的性格が後退しているわけでは全くない。これが書かれた頃、ドヴォルザークは外国でも広く認められる一方で、当時の民族主義運動の盛り上がりに共感して愛国心をさらに高め、民族的な闘争の中で音楽家は何をなすべきかを真剣に考えていた。交響曲第7番はそうした激しい民族的な主張を、それ以前の交響曲のように直截に民俗的楽想を用いるのではなく、より内面化された形で表現しているのである。

 すなわち、ロマン的な交響曲様式と民族表現とが内的に融合されているのであり、全体を支配する暗い情感と内に秘めた情熱から生まれるロマン的な民族感情や、民族主義的な抵抗精神を感じさせる悲劇的なドラマ性は、ドヴォルザークの他の交響曲にはない特徴である。この少し前の1883年に書かれた管弦楽のための愛国的な序曲《フス教徒》に連なる特質が、この第7番では円熟期の確かな筆遣いと音楽的深みのもとに表し出されている。作曲は1884年末から1885年3月にかけてなされ、初演は1885年4月22日にロンドンにてドヴォルザーク自身の指揮で行われて大成功を収めた。

 第1楽章 アレグロ・マエストーソ ニ短調 暗くうごめくような第1主題に始まるソナタ形式。第2主題は憧憬的な気分を持つが、全体は悲劇的な色彩が強く、作曲者自身の内面感情と民族的な情熱が交錯する。

 第2楽章 ポーコ・アダージョ ヘ長調 叙情的な穏やかさが支配的だが、その中にも痛切な感情を滲ませた美しい緩徐楽章である。

 第3楽章 スケルツォ/ヴィヴァーチェ ニ短調 ボヘミアの民俗舞曲フリアントの特徴を持ったスケルツォ楽章。

 第4楽章 フィナーレ/アレグロ ニ短調 ドラマティックな展開で運ばれる闘争的なソナタ形式のフィナーレで、ブラームスの交響曲第3番のフィナーレの影響が窺える。最後は明るいニ長調のうちに結ばれる。

(寺西基之)

作曲年代 1884〜85年
初  演 1885年4月22日 ロンドン 作曲者指揮
楽器編成 フルート2(第2はピッコロ持替)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦楽5部