プロムナードコンサートNo.377

シベリウス:レンミンカイネンの帰郷 op.22-4

 フィンランドの大作曲家ジャン・シベリウス(1865〜1957)は若い頃から民族的題材による作品を手掛けている。その霊感の源泉はフィンランドの壮大な伝承叙事詩『カレヴァラ』で、彼はこの叙事詩に民族精神の本質を見出していた。1892年完成の声楽付きの交響的作品《クレルヴォ》はその最初の大きな結実だが、引き続いて彼は1893年に『カレヴァラ』によるオペラを企画する。しかし構想を進めるにつれて自分がオペラに不向きであることを痛感することになり、書き始めていたオペラの前奏曲を交響詩に変更して1893年に完成させた。これが有名な「トゥオネラの白鳥」である。

 そして2年後の1895年、さらに『カレヴァラ』の中に出てくる向こう見ずの英雄レンミンカイネンの物語による3つの交響詩を作曲し、これらに「トゥオネラの白鳥」を加えて4作からなる連作交響詩とした。すなわち「レンミンカイネンとサーリの乙女」「トゥオネラのレンミンカイネン」「トゥオネラの白鳥」「レンミンカイネンの帰郷」からなるいわゆる《4つの伝説》(別名《レンミンカイネン組曲》)である(曲順についてシベリウスは晩年に第2曲と第3曲を入れ替えた)。全体の構成や各曲間の動機の緻密な関連など、壮大な交響曲のような纏(まと)まりを持つ連作だが、出版が個別になされたこともあって、4曲一緒に演奏される機会は多くない。

 本日演奏されるのは4曲中最後に置かれた「レンミンカイネンの帰郷」。レンミンカイネンは、北の国ポホヨラの娘の愛を得るためにトゥオネラ川の白鳥を射るという課題を与えられるが、待ち伏せしていた仇に殺され、黄泉の国トゥオネラに運ばれて身体をばらばらにされる。レンミンカイネンの母親は、特製の熊手で切断された息子の遺体をかき集め、神への祈りと特別の薬で息子を蘇生させる。こうして生き返ったレンミンカイネンが故郷へ向かう情景を音化したのがこの交響詩である。作曲は1895年だが、97年に大幅に改訂され、1900年にも手直しされている。

 曲はアレグロ・コン・フオーコ(ポーコ・ア・ポーコ・ピウ・エネルジコ)。この“熱っぽいアレグロで(少しずつ勢いを増して)”という表記にこの曲の性格が示されていよう。すなわち、情熱に満ちた前進的動きで進み、その中で勢いをさらに高めて輝かしい終結に至る曲で、初期の作だけにロマン的な傾向を残しつつも、旋律的な主題をあまり用いず、音型的な動きのうちに断片的な細かい動機を点滅させていく点に、後年のシベリウスに連なる手法がみられる。

(寺西基之)

作曲年代 1895年 改訂/1897年、1900年
初  演 1896年4月13日 ヘルシンキ 作曲者指揮
楽器編成 ピッコロ2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、トライアングル、タンブリン、グロッケンシュピール、大太鼓、シンバル、弦楽5部

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番 ト長調 op.58

 この協奏曲は1803年頃からスケッチがなされ、1805年から翌年にかけて作曲されたもので、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770〜1827)の中期の“傑作の森”と呼ばれる作品群中の1曲である。この協奏曲の作曲中には、1804年の交響曲第3番《英雄》やピアノ・ソナタ《ワルトシュタイン》、1805年のピアノ・ソナタ《熱情》、1806年のヴァイオリン協奏曲や3曲セットの弦楽四重奏曲《ラズモフスキー》などの大作が次々と生み出される一方で、交響曲第5番《運命》や第6番《田園》のスケッチや作曲も進められていた。ベートーヴェンはこれらの創作を通して、1曲ごとに従来の古典的な様式を超えた新しい表現を開拓している。

 このピアノ協奏曲第4番も、従来の協奏曲にはない新しい試み——例えば第1楽章がいきなり独奏ピアノで開始される点や第2楽章と終楽章を連続させている点など——が随所に窺われる意欲作である。全体にリリカルな性格を持っている点は、前作の劇的緊張に満ちたピアノ協奏曲第3番とは対照的だ。

 非公開の初演は1807年3月にウィーンのロプコヴィッツ侯爵邸で行われたと考えられている。また1808年12月22日ウィーンで、交響曲第5番や第6番の初演とともに彼自身の独奏で演奏されたという記録が残されているが、それ以前にすでに公開初演がなされていたかは明らかではない。

 第1楽章 アレグロ・モデラート ト長調 協奏風ソナタ形式をとっているが、管弦楽提示部の冒頭にまずピアノが第1主題を示す点が新機軸である。全体の流動的ともいえる調的な扱いも大胆で、それによって独特の叙情的な色合いが生み出されている。

 第2楽章 アンダンテ・コン・モート ホ短調 通常の歌謡的な緩徐楽章とは趣が異なり、鋭い付点リズムを特徴とする叙唱風の劇的な弦合奏と瞑想的なピアノとが交互に対話風に現れるという、意味ありげな間奏曲風の音楽で、短いながらも緊張感に満ちている。そのまま次の楽章に続く。

 第3楽章 ロンド/ヴィヴァーチェ ト長調 行進曲風の主題によって晴れやかな展開が繰り広げられていくロンド・フィナーレである。

(寺西基之)

作曲年代 1805〜06年
初  演 私的初演/1807年3月 ウィーン ロプコヴィッツ侯爵邸
公開初演/1808年12月22日 ウィーン アン・デア・ウィーン劇場
いずれも作曲者独奏
楽器編成 フルート、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦楽5部、独奏ピアノ

シベリウス: 交響曲第1番 ホ短調 op.39

 ジャン・シベリウス(1865〜1957)は若い時から、声楽入りのカンタータ風の大作《クレルヴォ》、組曲《カレリア》、《4つの伝説》(《レンミンカイネン》組曲)など、母国フィンランドの民族的題材に基づく標題的な管弦楽作品を世に出し、国民的な芸術家としての名声を確立する。そうした民族主義的な創作活動ゆえに1897年には政府からの年金を受けるまでになった彼は、1898年4月ベルリンにおいて交響曲第1番に着手した。これは彼にとっては(少なくとも表立っては)標題となる題材に基づかない純粋な交響曲への初めての挑戦という点で大きな意味を持っていた。

 もともと若い時期のシベリウスは大の酒好きであるとともに、浪費癖も相当なものだった。その傾向は、国民的芸術家としての地位を確立してから一層、期待が大きなプレッシャーとなって、拍車がかかっていたようだ。その彼が交響曲第1番に取り組むにあたって、集中して仕事に励むべく禁酒を決意したことは、彼が初めての交響曲の創作をいかに重視していたかを窺わせるものだろう。

 結局はこの禁酒の誓いが守られたのはほんの1ヵ月ほどに過ぎなかったが、ベルリンで書き始められた交響曲第1番は、帰国後にロヨ、ヘルシンキ、ケラヴァなどフィンランドの各地で少しずつ書き進められ、1899年初めに完成をみることとなる。シベリウスが最初の交響曲を作曲するにあたって特に範としたのは、チャイコフスキーの交響曲だった。絶対音楽としての伝統的な純交響曲の形を取りながらもそこに標題的要素を感じさせる民族表現を強烈に打ち出したチャイコフスキーの交響曲のあり方が、シベリウスのこの作品に発展的に受け継がれていることは明らかで、交響曲第1番は、彼がそれまでに民族的な標題作品で示してきた特質に通じるような交響詩的性格を持つものとなっている。

 特にこの頃は、フィンランドを支配していたロシアの弾圧が強化され、フィンランドの自治が奪われていった時期だった。そうした中、交響曲第1番に引き続いて書かれたのが有名な交響詩《フィンランディア》で、そこでは愛国主義的な抵抗精神が烈しく表現されているが、同じ精神は交響曲第1番にもはっきり感じられるといえよう。

 初演は1899年4月26日、ヘルシンキで開催されたシベリウスの自作演奏会において、彼自身の指揮によって行われ、大成功を収めたが、翌年彼は曲に改訂を施して決定稿を作っている。

 第1楽章 アンダンテ、マ・ノン・トロッポ〜アレグロ・エネルジコ ティンパニの弱いトレモロの上にクラリネットが物悲しいモノローグを綴る短くも印象的な序奏(2分の2拍子)に始まる。ソナタ形式の主部は4分の6拍子、第2ヴァイオリンの刻みの上に第1ヴァイオリンが雄大な自然を感じさせる主題を示し、ヴィオラとチェロがただちにそれを追って模倣する。この主題がボロディンの交響曲第1番の第1楽章の主題と酷似していることはしばしば指摘されているところだが、楽章全体は激しい起伏のうちにいかにも北欧の自然を感じさせるような、ほの暗く幻想的な雰囲気に満ちた発展を見せていく。最後に劇的な盛り上がりを示した後、2つのピッツィカートの和音で閉じられる。

 第2楽章 アンダンテ(マ・ノン・トロッポ・レント) 変ホ長調 2分の2拍子 静謐かつ明澄な美しさを持った主題で始まる緩徐楽章。3つの主題を中心としたラプソディックな展開のうちに次第に音楽は厳しさと激しさを加えて、劇的なクライマックスを築く。フィンランドの厳しい状況がそこに映し出されているのだろうか。最後は再び穏やかな気分に戻る。

 第3楽章 スケルツォ/アレグロ ハ長調 4分の3拍子 土俗的な野趣味に富んだ力強いスケルツォで、ティンパニの活躍が際立っている。途中のカノン風の対位法的な動きも目立つ。対照的にトリオ(レント〔マ・ノン・トロッポ〕)は牧歌風。

 第4楽章 フィナーレ(クワジ・ウナ・ファンタジア)/アンダンテ〜アレグロ・モルト “クワジ・ウナ・ファンタジア(幻想曲風に)”という表記どおり、幻想的な交響詩を思わせるフィナーレ。序奏は2分の2拍子で、第1楽章序奏のモノローグの旋律がここでは弦によって何か切実に訴えかけるように悲劇的に示される。主部は4分の2拍子、落ち着きのない第1主題が暗く激しい高まりを示した後、平和への憧れを込めた大らかな第2主題(アンダンテ・アッサイ、4分の4拍子)がヴァイオリンのG線で歌われる。

 その後激しい闘争が繰り広げられ、劇的な盛り上がりを作るが、やがて勝利を宣言するかのように第2主題が高らかに再現される。しかし曲は勝利では終わらない。現実を思い起こすように再び悲劇的な気分が立ち込め、最後は第1楽章の終結と同様、2つのピッツィカートの和音でもって曲は断ち切られる。

(寺西基之)

作曲年代 1898〜99年
初  演 1899年4月26日 ヘルシンキ 作曲者指揮
楽器編成 フルート2(第1・第2はピッコロ持替)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、大太鼓、シンバル、トライアングル、ハープ、弦楽5部