第852回/第853回 定期演奏会

マーラー:交響曲第3番 ニ短調

 グスタフ・マーラー(1860~1911)の第3交響曲は異様な構成の作品である。冒頭楽章と終楽章はどちらも演奏時間30分前後、優にヨーゼフ・ハイドン(1732~1809)の交響曲一つ分くらいの長さがある。その間には2つのスケルツォ楽章(第2・第3楽章)、そして2つのリート楽章(第4・第5楽章)が挟まる。

 ハンガリーの哲学者ジェルジ・ルカーチ(1885~1971)は近代小説のことを、「神なき世界の叙事詩」と呼んだ。古代のギリシャ悲劇は、世界の最も本質的な法則を抽出しようとする。それに対してホメロス(古代ギリシャの吟遊詩人)らの叙事詩は、世界のすべてを描き尽くそうとする。だが近代において世界はもはや、神が司つかさどられる調和したそれではない。既に壊れている世界を、それでもなお統一的なものとして提示するには、その矛盾に満ちた森羅万象を網羅し尽くし、内部に無数の矛盾と亀裂を抱え込みつつも、それらを「一つの」世界とする以外にやり方はない。マーラーはこの第3交響曲を「世界がそこに投影される巨大な交響曲」と語った。それはまさに、ルカーチのいう近代の叙事詩であり、マーラーが大好きだったジャン・パウル(1763~1825)的な意味での近代小説である。

 折に触れてマーラーは、この交響曲の構成を比喩的に説明している。例えば第1楽章は「夏が行進してやってくる」、第2楽章は「草原の花々が私に語ること」、第3楽章は「森の獣が私に語ること」、第4楽章は「夜が私に語ること」、第5楽章は「天使が私に語ること」、第6楽章は「愛が私に語ること」。そして当初の構想では、このうえにさらに第7楽章として、「天国の生活」または「こどもが私に語ること」が来る予定だった。とはいえ、さすがのマーラーも第7楽章まで一つの交響曲に含めることは最終的に断念し、それを第4交響曲として分けて作曲することとなる。

 いずれにせよマーラーが意図したのは、「一段ずつ上り詰めていく発展のすべての段階を含み」、「自然の無生物状態から始まり、ついに神の愛へ高まっていく」一つの巨大な叙事的プロセスを描くことであった。

 第1楽章はマーラーの作品中でも最も謎に満ちた音楽である。尋常ではない巨大オーケストラが、ここでは巨大な1つのブラスバンドに変貌させられる。一応ソナタ形式を守ってはいるが、それはまるで3つの行進曲がばらばらに並べられているように響くだろう。冒頭の8本のホルンが吹き鳴らすテーマは、デフォルメされ肥大化した、田舎の郵便馬車のメロディの幻覚か。それに続くのは、例えば第5交響曲でもなじみの、絶望的な葬送行進曲。そこに遠くから響くかわいらしい鼓笛隊のマーチが重なってくる。そして楽章の最後は、マーラーの第1交響曲のフィナーレがそうであったように、全オーケストラが笑いの発作にとりつかれたような、突然の呵呵大笑がすべての矛盾を吹き飛ばす。

 既に述べたように第3交響曲では、スケルツォ楽章が二重化されている。まずメヌエットと題された第2楽章は、少しロココ風の甘ったるいサロン音楽。続く第3楽章のは村祭りの場面にいきなりワープしたような、粗野な舞曲。そこにシュールレアリズム映画のように、途中で唐突にポストホルンのメロディが重ねあわされる。後の第6交響曲でカウベルの響きがモンタージュされる場面の先取りだ。  なお第3楽章のメロディは、歌曲「夏の交代」を流用したもの。原曲は『少年の不思議な角笛』によっており、「かっこうは池に落ちて死んでしまった、でも代わりにうぐいすが歌ってくれるさ」といった、野卑でグロテスクなユーモアが印象的である。

 リート楽章もまた二重化されている。しかも第4楽章はフリードリヒ・ニーチェ(1844~1900)の詩を用い、それに対して同じく『少年の不思議な角笛』の詩による第5楽章は、民話的なキリスト教世界を描く。キリスト教を否定する世紀末の大都会のインテリに支持されたニーチェ。そして民衆説話的なものに変形された、アルカイック(古風、素朴)なキリスト教の記憶の古層。スケルツォ楽章がそうだったように、リート楽章もまた2つの「世界」に分裂している。

 こうしたありとあらゆる矛盾は、終楽章に至ってようやく1つの響きの中へ統一される。このコラール的な楽章でマーラーが意図していたのは神の愛であり、それも第2交響曲《復活》のような「裁く神」ではなく、万物に宿り、万物に命を吹き込む、汎神論的な神の姿である。第1および第2交響曲が「ヒーロー型/運命型」の交響曲だったとすれば、この第3交響曲でマーラーは初めて、後の第9交響曲へと通じるような「帰依するフィナーレ」で曲を閉じた。これはマーラーの全作品の中でも屈指の感動的な楽章である。

 なお作曲は1892~96年、特に1895/96年の夏の休暇中に行われ、1896年にアルトゥール・ニキシュ(1855~1922)指揮のベルリン・フィルが第2楽章を、1897年にフェリックス・ワインガルトナー(1863~1942)指揮のベルリン宮廷カペレが第2・3・6楽章を演奏。全曲の初演は1902年6月9日に作曲者の指揮によって、クレーフェルトの第38回トーンキュンストラー祭において行われた。

(岡田暁生)

第1部 第1楽章 力強く。決然と
第2部 第2楽章 メヌエットのテンポで。とても中庸に
  第3楽章 気楽に。スケルツァンド。あわてずに
  第4楽章 きわめてゆるやかに。神秘的に
  第5楽章 活発な速度で、表情は大胆に
  第6楽章 ゆるやかに。平静に。気持ちをこめて
作曲年代 1892~96年
初  演 1902年6月9日 クレーフェルト 作曲者指揮
楽器編成 フルート4(第1~4はピッコロ持替)、オーボエ4(第4はイングリッシュホルン持替)、小クラリネット、クラリネット4(第3はバスクラリネット持替、第4は小クラリネット持替)、ファゴット4(第4はコントラファゴット持替)、ホルン8、トランペット4、トロンボーン4、テューバ、ティンパニ2組、大太鼓、小太鼓、シンバル、トライアングル、タムタム、グロッケンシュピール、チャイム、ササラ、タンブリン、舞台裏にポストホルン、ハープ2、弦楽5部、アルト独唱、児童合唱、女声合唱

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