プロムナードコンサートNo.376

メンデルスゾーン:序曲《フィンガルの洞窟》op.26

 裕福な銀行経営者の長男として、ドイツのハンブルクに生まれたフェリックス・メンデルスゾーン(1809~47)。自宅のサロンに芸術家や学者が日常的に出入りする環境のもとで深い教養を身につけながら育ち、音楽の分野では神童の才を認められた。そんな彼を“我々の世のモーツァルト”と呼んだのは誰あろう、ローベルト・シューマン(1810~56)である。

 1829年の4月、メンデルスゾーンはイギリスに初訪問を果たした。彼の名が既に“若き大家”として知れわたっていたロンドンでは、自作を交えた演奏会を指揮して大喝采を受ける。

 7月中旬にロンドンを離れた後、彼は友人とスコットランド旅行に出かけた。同地方の西海岸沖に広がるヘブリディーズ諸島の玄関口となるマル島まで足をのばしたのが8月7日。その夜、姉ファニー(1805~47)宛にしたためた手紙には「僕がどれほど感銘を受けているか、頭に浮かんだものをお目にかけましょう」という言葉とともに、現在の《フィンガルの洞窟》の冒頭部分にあたる楽想が書き記されている(通説とは異なり、洞窟そのものを見る前に楽想を得ていたらしい)。マル島から約10キロ西方のスタファ島で、フィンガルの洞窟として名高き景勝地に降り立ったのは翌日のことである。高さ十数メートルの壁を埋め尽くす六角柱状の玄武岩。洞窟内にこだまする波や風の音……。

 こうした印象も霊感の源泉としながら、翌年の秋以降にメンデルスゾーンは演奏会用序曲の筆を進めていく。作品は1830年12月16日に完成したが、その後の改訂を経て初演を迎える過程でタイトルは二転三転。1835年の出版時には《ヘブリディーズ諸島(Die Hebriden)》に落ち着き、しかしそれはなぜかパート譜にのみ印刷され、スコアは《フィンガルの洞窟(Fingals-Hohle)》と題名を掲げていた。後者が通称として用いられることも多く、日本では古くからその形で定着を見ている。

 ソナタ形式で書かれた曲は、序奏などを伴わずにいきなり第1主題から始まる。そのどこか荒涼とした空気感に対して、温もりを備えた動機群に導かれる第2主題が実に鮮やかなコントラストをおりなす。そしてほぼ全曲を一貫して、旋律声部の背後で長い持続音や起伏の細かい伴奏音形が鳴り響き、それが潮風や波のうねりを連想させずにはおかない。メンデルスゾーンの作風に批判的だったリヒャルト・ワーグナー(1813~83)ですら、「音による風景画として第一級」と讃辞を呈したほどである。

(木幡一誠)

作曲年代 1830年 1832年改訂
初  演 1832年5月14日 ロンドン
楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦楽5部

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 op.104 B.191

 アントニン・ドヴォルザーク(1841~1904)は50歳を過ぎた1892年秋から2年半あまり、ニューヨークの私立ナショナル音楽院の院長と作曲科教授に就任し、その間に交響曲第9番《新世界より》、弦楽四重奏曲第12番《アメリカ》、そしてこのチェロ協奏曲を矢継ぎ早に創作している。彼はニューヨーク東17番通りに住み、多忙な仕事の合間を縫ってしばしば港や駅を訪れ、船や機関車を見に行っていた。しかしそうした“最先端のシティ・ライフ”を楽しむかに見えた日常生活も、チェコへの郷愁が募りホームシックに苛まれていた。

 とはいえ環境の変化から生まれたノスタルジックな心境が創作への原動力のひとつとなっている。これらの名作に現れる抒情的な楽想などには、故郷を想い焦がれる彼の赤裸々な胸の内が吐露されているといっても過言ではないだろう。一方、黒人霊歌やアメリカ・インディアンの民謡など“新たな音楽との遭遇”も特筆すべきで、その特長や要素を巧みに取り入れながら作品に反映させていったドヴォルザークの筆法は、さらなる音楽の独自性と魅力へと直結し開花している。

 チェロ協奏曲はそうした“アメリカでの所産”の最後にあたるもの。創作の間接的な要因としては献呈者でもある同郷のチェリスト、ハヌシュ・ヴィハーン(1855~1920/渡米前にボヘミア地方を共に演奏旅行した)との思い出が影響しているとされる。創意豊かな旋律はいうまでもないが、アメリカの民族音楽に感化された影響も彼が愛したボヘミアの民族音楽同様、直接引用したりすることはなく、あくまで“民謡の精神的影響”のもとに生成されているところに真価がある。加えて熟達した管弦楽書法と密接に結びついた表現と構成が、圧倒的な説得力を生んでいる。

 第1楽章 アレグロ ロ短調 ソナタ形式。いきなり暗鬱なクラリネットの旋律で開始される第1主題。それと対照的にのどかなホルンによる第2主題が登場したのち、朗々とカデンツァ風に独奏チェロが登場する。展開部は短めで再現部は第2主題で始まり、やがて第1主題も現れ華やかな独奏の展開を交えて雄大なコーダで締めくくられる。

 第2楽章 アダージョ・マ・ノン・トロッポ ト長調 三部形式。ボヘミアへのノスタルジーが込められた抒情的な緩徐楽章。牧歌的な旋律主題がクラリネットにより始められる。中間部はト短調による哀愁に満ちた情熱的な楽想が展開される。

 第3楽章 アレグロ・モデラート ロ短調 自由なロンド形式。高揚感に溢れる溌剌としたロンド主題が印象的。歌謡的で優しい楽想や民謡風の楽想を交互に差し挟みながら、終盤では第1楽章第1主題を回想して最後は力強く終わる。

(齋藤弘美)

作曲年代 1894~95年 1895~96年改訂
初  演 1896年3月19日 ロンドン
レオ・スターン独奏 作曲者指揮
楽器編成 フルート2(第2はピッコロ持替)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン3、トランペット2、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、トライアングル、弦楽5部、独奏チェロ

シューマン:交響曲第3番 変ホ長調 op.97《ライン》

 1840年のクララ(1819~96)との結婚以後、幸福な日々を送っていたローベルト・シューマン(1810~56)だったが、もともと神経が敏感であった彼は次第に精神的に不安定になる。1844年には一時ひどい鬱状態に陥ったこともあって、この年の終わりにそれまで本拠としていたライプツィヒからドレスデンに移住した。ここで心機一転した彼は、対位法の研究に熱心に取り組むなど、創作意欲を回復する。名作・ピアノ協奏曲が成立したのもまさにこのドレスデンにおいてであり、心身ともに波はあったものの、このドレスデン時代はシューマンの作風に新境地をもたらすこととなった。

 そうした中、シューマンは1849年11月に友人である作曲家・指揮者のフェルディナント・ヒラー(1811~85)から手紙を受け取った。自分の後任としてデュッセルドルフ市の音楽監督に推薦したいという内容だった。オーケストラを管理統率しなくてはならないという点に不安を感じたシューマンはしばらく回答を保留するが、ちょうどどこかのポストを得たいと考えていた矢先のことだったし、また非常に良い条件が提示されたこともあって、結局これを受諾することにし、1850年9月デュッセルドルフ市音楽監督に就任する。着任当初の彼は積極的に仕事に取り組み、また一方で自分のオーケストラを得たことやライン河に臨むこの町での生活といった環境の変化は、彼の創作力も刺激することとなった。

 特に着任後ほどなくすぐ南のケルンを訪れたことはシューマンに大きな創作の霊感を与えることとなった。これが直接のきっかけとなって、11月初めから1ヵ月あまりのうちに彼は新しい交響曲を書き上げる。それが、シューマン自身「ライン地方の生活の情景」と呼び、「民衆的な要素に支配されている」と述べたという交響曲第3番である。

 とはいってもこれは決してラインの情景を描写的に扱った作品ではなく、ライン地方での新しい生活に喜びを見いだした当時のシューマンの心の表現としての交響曲として捉えるべきだろう(ちなみに《ライン》という題そのものは彼自身によって付けられたものでない)。新天地で気分を一新したシューマンの創造力の高まりが現れ出た明朗な気分溢れる傑作である。

 なお当初は4楽章構成の作品として書き進められたようだが、ほぼ全体が出来上がりつつあった段階で、ケルンのドームにおいて大司教ヨハネス・フォン・ガイセル(1796~1864)の枢機卿昇任式が執り行われたことを聞いたシューマンは、厳粛な儀式を思わせる楽章を第4楽章として追加した。こうして結局5つの楽章を持った破格の構成による交響曲として完成されたのである。初演は1851年2月6日デュッセルドルフにおいてシューマン自らの指揮によって行われている。

 第1楽章 生き生きと 変ホ長調 4分の3拍子。ヘミオラのリズムによった力感溢れる第1主題によって開始される。ト短調で出る第2主題が幾分メランコリックな気分を醸すが、全体的には勢いに満ちて運ばれる堂々たるソナタ形式楽章である。

 第2楽章 スケルツォ/とても中庸に ハ長調 4分の3拍子。スケルツォと銘打たれているが、ヴィオラ、チェロ、ファゴットによって示される親しみやすい主要主題はレントラー風の性格のもの。その点に前述のようなシューマンの言う民衆的な要素が感じられるが、きわめてポエティックな趣がそこに漂うところが彼らしいといえよう。

 第3楽章 急がずに 変イ長調 4分の4拍子。穏やかさのうちにロマン的な憧憬の気分を湛えた楽章。クラリネットとファゴットが奏する主要主題は、付点リズムと跳躍進行の多い起伏に富んだ旋律でありながら性格的には牧歌的な叙情に満ちている。続いて第1ヴァイオリンに出る軽やかで幸福そうな楽想は以後この楽章を通じて執拗に現れる。中間部でファゴットとヴィオラに出る主題は、主部主題と違って順次進行によるなだらかなもの。

 第4楽章 荘厳に 変ホ短調(調号は変ホ長調) 4分の4拍子。上述したようにケルンの大聖堂で行われた大司教の枢機卿昇任式に関連するというコラール風の主題によった荘重な緩徐楽章で、シューマン自身自筆譜に「荘厳な儀式の性格で」と記した。前の楽章までは用いられなかったトロンボーンの響きがこの楽章の厳かさを強めている。

 第5楽章 生き生きと 変ホ長調 2分の2拍子。明るい躍動感に溢れるソナタ形式のフィナーレで、シューマンの言う民衆的な喜ばしさを感じさせるが、リズム的には彼らしく錯綜したところが多い。展開部ではホルンの新しい楽想が高揚感をもたらし、またコーダでは第4楽章の厳粛な主題が壮麗で明るい性格のものに変容されて出現して最後のクライマックスを導く。

(寺西基之)

作曲年代 1850年
初  演 1851年2月6日 デュッセルドルフ
作曲者指揮
楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦楽5部

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