都響・調布シリーズNo.19

グリンカ:歌劇『ルスランとリュドミラ』序曲

 ミハイル・グリンカ(1804~57)の歌劇『皇帝に捧げる命』は1836年に初演され、ロシア初の本格的オペラとして大成功を収めた。その後、彼は2作目の歌劇の題材として、アレクサンドル・プーシキン(1799~1837)が1820年に書いた民話的な詩『ルスランとリュドミラ』を採り上げることを決心した。

 当初は原作者本人に台本を書いてもらうつもりであったが、プーシキンは1837年2月に、自らの妻をめぐる決闘の際に受けた傷がもとで急逝してしまった。仕方なしにグリンカは、台本を待たずに先に全体のプランと各場面の詳細を固め、作曲を開始する。その後、数人の台本作者がグリンカの旋律に詩をあてはめるなどして台本を作り、歌劇は完成に至った。

 物語は、キエフ大公国のリュドミラ姫が、婚礼の宴のさなかに魔術師チェルノモールに連れ去られ、花婿である騎士ルスランが様々な冒険を重ねた末に、白魔術師フィンの力を借りて姫を取り戻すというもの。ニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844~1908)のいくつかの歌劇や、セルゲイ・プロコフィエフ(1891~1953)の『三つのオレンジへの恋』といったメルヘン・オペラの草分けと言える。

 序曲は第5幕フィナーレの素材に基づき、初演のリハーサルと並行して作曲された。短い序奏に続いてあらわれる急速で華麗な第1主題と、流麗に歌われる第2主題とによるシンプルなソナタ形式をとる。

(相場ひろ)

作曲年代 1837年~1842年12月
初  演 オペラ全曲/1842年12月9日(ロシア旧暦11月27日) サンクトペテルブルク
楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦楽5部

ロドリーゴ:アランフェス協奏曲(ハープ版)

 20世紀スペインの作曲家ホアキン・ロドリーゴ(1901~99)は、幼時に視力を失ったが、早くから楽才を発揮、バレンシア音楽院で作曲とピアノを学び、1927年からはパリのエコール・ノルマルでポール・デュカス(1865~1935)に師事した。1936年のスペイン内戦勃発後しばらくドイツやフランスで過ごすが、1939年に帰国、以後マドリードを本拠に作曲活動を行った。

 彼の作品中最もポピュラーな《アランフェス協奏曲》は、スペイン内戦時に着想され、1939年に完成されたギター協奏曲である。初演は1940年にバルセロナで行われ、続いてマドリード初演もなされたが、いずれも大成功で、ロドリーゴの名は世に広く知られることになった。初演のソロはスペインの名ギター奏者レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ(1896~1981)で、ロドリーゴは作曲にあたって彼から多くの助言を得ている。

 “アランフェス”とはスペイン中部マドリード州の南方の名所で、16世紀にフェリペ2世が王宮の建設を命じ、18世紀から王家の離宮の所在地として栄えた。ロドリーゴはこの協奏曲で貴族性と民衆性とが融け合っていた18世紀スペイン宮廷を映し出したと述べている。スペイン内戦という祖国の危機の中にあって、スペインの古き良き時代へ思いを馳せながら作曲が進められたものだろう。明快な形式と親しみやすい楽想がギターの特性に結び付いた魅力的な作品だ。

 なお本日演奏されるのは、ギターと同じ撥弦楽器であるハープに独奏を置き換えた版。これは、ハープの名手ニカノール・サバレタ(1907~93)との関わりの中で編まれたものである。

 第1楽章 アレグロ・コン・スピーリト ニ長調 序奏付きソナタ形式。序奏でハープがスペイン風の複合リズム(8分の6拍子の中に4分の3拍子の動きを挟む)で和音をかき鳴らし、主部の第1主題もこのリズム上にオーボエと第1ヴァイオリンによって明るく示される。

 第2楽章 アダージョ ロ短調 幻想的な緩徐楽章で、イングリッシュホルンが歌い出す哀愁溢れる主要主題は様々な編曲でも有名。この旋律についてのちにロドリーゴは、アランフェスを訪れた際、初めての子を流産した女性に心痛めて書いたと述べたという。この主題が変奏的に回帰する間に2つのエピソードが挟まれ、途中劇的な盛り上がりも示すが、最後はまた静かな叙情のうちに消えていく。

 第3楽章 アレグロ・ジェンティーレ ニ長調 4分の2拍子と4分の3拍子の頻繁な交替が変化に満ちたリズムの動きを作り出す。ロンド形式で、ハープと管弦楽の活発な掛け合いで明るく運ばれる。

(寺西基之)

作曲年代 1939年
初  演 1940年11月 バルセロナ レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ独奏(ギター独奏版)
楽器編成 フルート2(第2はピッコロ持替)、オーボエ2(第2はイングリッシュホルン持替)、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、弦楽5部、独奏ハープ

チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 op.36

 ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840~93)は19世紀後半のロシアの作曲家の中でも、交響曲をはじめとする西欧の伝統的なジャンルに特にこだわった作曲家だった。そのために彼は、ロシアの国民主義的な作曲家グループ“力強い仲間たち(5人組)”から“西欧派”として非難されたりもしている。しかし改めて指摘するまでもなく、チャイコフスキーの交響曲に脈打っているのはロシアの民族的精神であった。とりわけ第3番までの交響曲において、彼は伝統様式のうちにいかにロシア的な民族表現を打ち出すかについて、様々な独創的試みを行っている。

 そうした民族性の上にさらに自伝的な要素が加わってくるのが、1877年に作曲された交響曲第4番である。チャイコフスキー自身、パトロンで文通相手であったフォン・メック夫人(1831~94)に宛てて、この交響曲に込められた標題的意味を書き送っているが、それによるとこの作品のテーマとなっているのは人生における“運命”である。

 この交響曲が作曲された時期、チャイコフスキーの人生は危機的な状況にあった。すなわち結婚の失敗である。彼は、この曲の作曲に本腰を入れるようになった1877年5月に突然アントニーナ・ミリューコヴァ(1849~1917)という女性から激しく求愛され、彼女に押し切られる形で7月に結婚するが(彼にとっては結婚によって自分の同性愛をカモフラージュしたかったということもあったようだ)、もともと少しの愛も感じてなかった彼女との新しい生活はすぐに破綻してしまった。チャイコフスキーは彼女のもとから逃れ、精神的に相当落ち込んでしまう。第4交響曲の作曲はこうした状況の中で断続的に進められ、最終的には転地療養先のイタリアでようやく書き上げられたのだった。

 この交響曲の標題的テーマとされる“運命”とは、そうした彼自身の体験と結び付いたものであると考えて差し支えないだろう。このように自伝的意味合いを民族的な表現法に重ねる交響曲のあり方は、以後のチャイコフスキーの交響曲にも受け継がれていくことになる。初演は1878年2月にニコライ・ルビンシテインの指揮によってモスクワで行われている。

 第1楽章 アンダンテ・ソステヌート~モデラート・コン・アニマ まずホルンとファゴットのファンファーレ風動機が導く序奏で始まる。この動機は「交響曲全体の萌芽、主楽想で、運命を表す」(作曲者自身によるフォン・メック夫人への解説の内容。以下の「」も同様)。続く主部の第1主題は“ワルツの動きで”と記されながらも、実際はきわめて不安定な憂鬱さに満ちている。それに対し「甘い柔らかな夢」の第2主題が対照されるが、「それはただの夢でしかない。運命は残酷にわれわれを呼び起こす」。人生におけるこうした「悩ましい現実と幸福な夢との交錯」のうちに楽章は劇的な緊張を高めていく。

 第2楽章 アンダンティーノ・イン・モード・ディ・カンツォーナ 物悲しいオーボエの旋律で始まる変ロ短調の緩徐楽章。「この楽章は哀愁を表現している。仕事に疲れ夜半ひとりでいる時の憂鬱な感情である」。中間部ではやや明るい動きに転じるがこれは「過去を思う楽しさ」である。しかしそれも一時の明るさでしかない。

 第3楽章 スケルツォ/ピッツィカート・オスティナート/アレグロ 弦のピッツィカートで奏されるへ長調の軽快な無窮動風のスケルツォは「気粉れなアラベスク、とりとめない空想」。一方、中間部に聞こえてくる民俗風の歌と軍楽隊の調べは「空想の中の酔った農民の歌と軍隊の行進」で、「現実とは何の関係もない」。

 第4楽章 フィナーレ/アレグロ・コン・フオーコ 一転してお祭り騒ぎのようなへ長調のフィナーレで、力強い第1主題、ロシア民謡「野に立つ白樺の木」による第2主題、乱舞する第3主題を巡ってロンド風に展開する。「自分の中に喜びを見いだせないなら……民衆の中に入っていきなさい。彼らは自分を忘れて喜びに身を任せることができるのだ」。果たしてチャイコフスキーは本当に民衆の祭りの中に入り、そこに喜びを見いだすことができたのだろうか。ことさら明るく振る舞おうとしているかのようなこのフィナーレは、作品の持つ本質的な悲劇性を一層際立たせているようでもある。

(寺西基之)

作曲年代 1877年~1878年1月7日(ロシア旧暦1877年12月26日)
初  演 1878年2月22日(ロシア旧暦10日) モスクワ ニコライ・ルビンシテイン指揮
楽器編成 ピッコロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、大太鼓、シンバル、トライアングル、弦楽5部

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