プロムナードコンサートNo.374

ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲 op.56a

 まだ無名だったヨハネス・ブラームス(1833~97)が、突如世に出ることになったのは、ローベルト・シューマン(1810~56)のおかげである。20歳になったばかりの青年が書きためていた、ピアノ・ソナタ、歌曲、弦楽四重奏曲、等々。それらにシューマンは心から感嘆し、1853年、『新音楽新報』に寄せた「新しき道」というエッセイで、新人の登場を寿いだのだった。

 その中にこんな一節がある。「彼がその魔法の杖をひと振りして、合唱曲やオーケストラ曲といった規模の大きな作品においても力を発揮するようになれば、さらに素晴らしい精神世界の秘密を見せてくれるだろう」

 恩人からの、これは事実上の命令であるが、ブラームスは管弦楽法を、あせらず、周到に身につけていった。ピアノ協奏曲第1番(1859年初演/以下同)を手はじめに、セレナーデ第1番(1860年)、《ドイツ・レクイエム》(1869年全曲初演)――ここでブラームスの名声が一気に高まる――ときて、これから聴く熟達の《ハイドンの主題による変奏曲》(1873年)へと至る。この3年後には、いよいよ最初の交響曲が完成をみるという寸法だ。

 「ハイドンの主題」を、ブラームスは、ウィーン・フィルハーモニー協会の史料館員でハイドンの伝記を準備中だったカール・フェルディナント・ポール(1819~87)のコレクションから知った。《ディヴェルティメント集》第6番の第2楽章「聖アントーニの賛美歌」とされたものから採られており、ブラームス作品の冒頭(主題呈示)の楽器法も、原曲のそれをおおむね模している。だが、現在の研究によれば、この「原曲」がハイドン作ではないことはほぼ問違いなさそうだ。ハイドンの弟子の創作か、副題が示唆するように、元はなにかの賛美歌であろうという。

 とはいえ、ブラームスがハイドンに尊崇と感嘆の念を寄せていたことに変わりはない。このことは、「主題+8つの変奏+フィナーレ」から成る当作品を考えるにあたっても重要だ。というのも、ハイドン的なアイディアが惜しみなく援用されているからで、長調と短調を交替させながら変奏を進めるのもそうなら、歯切れのよいスケルツォ・タイプの2種(第5、第6変奏)を対照させるのもそう。ちなみに、第5変奏はきっちり合わせて演奏するのはまことに至難、一貫して弱音を保たねばならぬ第8変奏など、オーケストラの技量がモロに試される変奏も多い。

 フィナーレは、同じ旋律をバス声部が延々と繰り返す上で変奏を展開する、シャコンヌ形式。トライアングルも加わり、燦然と締めくくられる。

(舩木篤也)

作曲年代 1873年夏
初  演 1873年11月2日 ウィーン 作曲者指揮 ウィーン宮廷歌劇場管弦楽団
楽器編成 ピッコロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット2、ティンパニ、トライアングル、弦楽5部

チャイコフスキー:ロココ風の主題による変奏曲 op.33

 ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840~93)は1866年から78年までモスクワ音楽院で教鞭をとった。ここでの同僚のひとりにドイツから教えに来ていた名チェロ奏者ヴィルヘルム・フィッツェンハーゲン(1848~90)がいた。チェロ独奏と管弦楽のための《ロココ風の主題による変奏曲》はこのドイツ人チェリストのために書かれた協奏作品で、1876年末から77年初めにかけて作曲された。当然ながらフィッツェンハーゲンに助言を求めながら書き進められたと思われ、初演は1877年11月にフィッツェンハーゲンの独奏、ニコライ・ルビンシテインの指揮でなされた。

 しかしながらフィッツェンハーゲンは演奏家としての視点から曲をより演奏効果の高いものとすべくチャイコフスキーの承認のないままに改訂を施し、変奏の順番も変更、さらに原曲の第8変奏を削除し、その形でピアノ・スコアを1878年に出版してしまう。彼はこの自らの改訂版で各地でこの曲を演奏し、それが好評を得たために、管弦楽用の総譜も結局この形で1889年に出されることになった。

 チャイコフスキーにとってこのフィッツェンハーゲンによる改訂版は全く不本意なものだったのだが、以後この曲はこの改訂版で広まり、作曲者オリジナルによる版も1956年に出されたものの、原典重視の今日に至ってもいまだフィッツェンハーゲン版での演奏が主流(本日もこの版が用いられる)となっている。

 曲は、“ロココ風”(かどうかは意見が分かれよう)の優美な主題をもとに、古典的な2管編成のオーケストラをバックとしたチェロ独奏が、そのカンタービレと技巧とを効果的に生かした変奏を繰り広げる。

 本日取り上げられるフィッツェンハーゲン版では
  序奏 モデラート・クアジ・アンダンテ
  主題 モデラート・センプリーチェ
  第1変奏 テンポ・デッラ・テーマ
  第2変奏 テンポ・デッラ・テーマ
  第3変奏 アンダンテ・ソステヌート
  第4変奏 アンダンテ・グラツィオーソ
  第5変奏 アレグロ・モデラート
  第6変奏 アンダンテ
  第7変奏 アレグロ・ヴィーヴォ
という構成になっているが、チャイコフスキーのオリジナルは(フィッツェンハーゲン版の番号でいうと)第1、2、6、7、4、5、3の順で並べられており、さらに最後にもう一つの変奏(アレグロ・モデラート、コン・アニマ)が置かれている。

(寺西基之)

作曲年代 1876~77年
初  演 1877年11月30日(ロシア旧暦18日)(異説あり) モスクワ
ヴィルヘルム・フィッツェンハーゲン独奏 ニコライ・ルビンシテイン指揮
楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、弦楽5部、チェロ独奏

エルガー:創作主題による変奏曲《エニグマ》op.36

 ヘンリー・パーセル(1659~95)の夭逝後、ヨーロッパ大陸でも知られるような作曲家を欠いた英国は、ドイツ人から「音楽無き国」と揶揄される状態にあった。これを打破したのがエドワード・エルガー(1857~1934)である。チャーミングな小品《愛の挨拶》や行進曲《威風堂々》第1番で知られるが、オペラを除くあらゆるジャンルで名作を残し、その出世作が《エニグマ変奏曲》であった。初演の大成功はエルガーを地方作曲家から国民的作曲家の地位へと押し上げたのみならず、英国音楽の復興を告げる烽火となった。

 《エニグマ変奏曲》は、エルガーが妻と友人たちの印象を主題と14の変奏で描いた、いわば「音楽による交友録」である。原題はたんに「創作主題による変奏曲」であり、エニグマ(謎)という名称は「この曲には小さな謎と、曲全体に隠された大きな謎がある」との謎かけを好んだエルガーの発言に由来する。「小さな謎」とは各変奏に記されたアルファベットのイニシャルやニックネームで、大半は判明している。しかし、「大きな謎」については、「きらきら星」「蛍の光」「モーツァルトの交響曲」「ルール・ブリタニア」などが何らかの形で曲の構造に隠されているなど諸説あるが、いまだに解明されていない。

 まず、メランコリックな主題がおずおずと提示される。

 それに続く憂いと優しさが入り混じった第1変奏「C.A.E.」は愛妻のキャロライン・アリス・エルガー。9歳年長の姉さん女房で、不遇時代のエルガーをよく支え、かの佳曲《愛の挨拶》も彼女に捧げられている。

 せわしない第2変奏「H.D.S-P.」は室内楽仲間でピアノを担当したヒュー・デーヴィッド・ステュアート=パウエル。ヴァイオリンによる16分音符の細かい動きはピアノ演奏前の指慣らしを模したものである。

 第3変奏「R.B.T.」はアマチュア劇団で老人役を演じるリチャード・バクスター・タウンゼント。ファゴットは彼の低い声を表している。

 第4変奏「W.M.B.」では活気あふれる田舎の名士ウィリアム・ミース・ベイカーがバタンとドアを閉めて出ていく。精力的なトゥッティが駆け抜ける、30秒ほどの短い変奏。

 沈鬱に始まる第5変奏「R.P.A.」では思慮深いインテリ、リチャード・ペンローズ・アーノルドが真面目な会話の合間にユーモラスな話を挿しはさむ。

 第6変奏「Ysobel」はイザベル・フィットン。彼女はアマチュアのヴィオラ奏者だったので、この変奏ではヴィオラ独奏が活躍する。

 第7変奏「Troyte」はエルガーのピアノの生徒で建築家のアーサー・トロイト・グリフィス。常に物差しを携帯して歩き回り、古い建物をみつけるとサイズを測り始める風変わりな人物。ティンパニが先導する急速なプレスト。

 第8変奏「W.N.」のウィニフレッド・ノーブリーは18世紀に建てられた典雅な家に住む婦人で、ウースター・フィルハーモニー協会の事務局に務めていた。クラリネット二重奏で始まる優美な変奏。

 単独で演奏されることも多い有名な第9変奏「Nimrod」は、親友オーギュスト・ヨハネス・イェーガーのこと。ニムロッド(Nimrod)は旧約聖書に出てくる狩の名人で、イェーガー(Jaeger)はドイツ語で「狩人」を意味する。そのため「ニムロッド」は彼の愛称だった。イェーガーは帰化ドイツ人でロンドンの音楽出版社ノヴェロの社員。エルガーの最良の理解者で、その的確な助言なしにはエルガーの名作の多くは生まれなかった。荘重な調べはイェーガーが愛好していたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番《悲愴》の緩徐楽章を下敷きにしている。

 舞曲風の第10変奏「Dorabella」(間奏曲)はエルガー夫妻が可愛がっていた牧師の娘ドーラ・ペニー。彼女はエルガーの弾く旋律に合わせて即興で優美な踊りを披露することがあった。愛称はモーツァルトのオペラ『コシ・ファン・トゥッテ』に登場するドラベッラに由来する。

 あわただしい第11変奏「G.R.S.」ではヘリフォード大聖堂のオルガニスト、ジョージ・ロバートソン・シンクレアの愛犬のブルドッグ、ダンが水中に落ちて必死に犬かきをする。エルガーは大の愛犬家で、水から上がったダンが、「ワン!」と喜ばしげにひと吠えして、体から水を払う様子を愛情こめて描写している。

 第12変奏「B.G.N.」のベイジル・G. ネヴィンソンはチェロ奏者で、第2変奏のステュアート=パウエルと同じくエルガーの室内楽仲間だった。ゆえにこの変奏は独奏チェロが深々とした音色を奏して始まる。

 第13変奏「***」(ロマンツァ)のタイトルには単にアステリスクが3つ並んでいる。総督として任地に赴く兄に従ってオーストラリアへ向かう貴族令嬢レディ・メアリー・ライゴンと言われていたが、近年ではニュージーランドに移住し再び会うことのなかった初恋の女性ヘレン・ウィーバーという説が有力である。ティンパニが客船のエンジン音を模したトレモロを弱音で叩き続ける上を、クラリネットの独奏が滑り込み、メンデルスゾーンの序曲《静かな海と楽しい航海》第2主題(チェロが提示する)のメロディを寂しげに奏して船旅と別離を示唆する。

 第14変奏「E.D.U.」(フィナーレ)では、長い雌伏の時代を経て、いよいよ世に出ようとする威風堂々のエルガーの姿が浮かんでくる。「エドゥ」とは妻アリスがエルガーを呼んでいたドイツ語風の愛称で、オルガンを含むフル・オーケストラの威力が全開となる壮麗な終曲である。

 

(等松春夫)

作曲年代 1898~99年
初  演 1899年6月19日 ロンドン ハンス・リヒター指揮 管弦楽団
楽器編成 フルート2(第2はピッコロ持替)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、大太鼓、小太鼓、シンバル、トライアングル、オルガン、弦楽5部

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