第835回 定期演奏会Bシリーズ

ブリテン:歌劇『ピーター・グライムズ』より「パッサカリア」op.33b

 20世紀イギリスを代表する作曲家ベンジャミン・ブリテン(1913~76)は15作にのぼる歌劇を作曲した。『ピーター・グライムズ』はそのうちでも最も人気のある名作で、世界中の歌劇場で上演されている。

 イギリス東海岸の小さな村に住む漁師ピーターは頑固で粗暴な性格で、村人たちとの付き合いもほとんどなく、孤独に暮らしている。あるとき、ピーターのもとにいた徒弟の少年が2人、相次いで事故死する。虐待と殺人を疑われたピーターは錯乱状態になり、もはや居場所のない村を出て、暗い海にひとり漕ぎ出す……。詩人ジョージ・クラッブ(1754~1832)の物語詩『町(The Borough)』(1810年)の一部に基づいて書かれたこの歌劇の台本は上記のような内容だ。

 オペラは、プロローグと全3幕からなり、各幕はさらに2場ずつに分かれている。そしてこの全部で7つの場面は、管弦楽が演奏する間奏曲で接続されている。ときどき演奏される「4つの海の間奏曲」op.33a(大野和士&都響は2016年6月にとり上げた)は、これらの間奏曲から選ばれたものである。「パッサカリア」op.33bは、上記op.33aとは別に単独で出版されたもので、第2幕第1場と第2場をつなぐ間奏曲。日曜の朝、少年を漁に連れ出そうとしたピーターは、「日曜なのに」と村人から非難され、その場から逃げた少年を追って自分の家へ向かう(第1場)。ピーターは忍び泣く少年に漁の仕度をさせ、崖伝いに海へ降りるよう命じるが、少年は足を滑らせて落下してしまう(第2場)。悲劇が進行し、錯綜していく心理を反映した緻密な曲である。

 パッサカリアはバロック時代によく使われた音楽形式で、バス声部で短い旋律が何度も繰り返され、上の声部で変奏が行われるというものだ。J.S.バッハなどの作品が有名だが、ブリテンもこの形式を愛用した作曲家で、『ピーター・グライムズ』のほか、いくつもの歌劇や器楽作品でこの形式を用いている。この「パッサカリア」では、低弦のピッツィカートで提示される7音のバス主題が繰り返される上に、ヴィオラ独奏を筆頭にさまざまな楽器が重なり、変奏を繰り広げていく。なお、パッサカリアは伝統的には3拍子の荘重な楽曲として書かれることが多いが、この曲は4分の4拍子で、主題は11拍(2小節+3拍)から成り、独特の効果を上げている。

(増田良介)

作曲年代 1944~45年
初  演 オペラ全曲/1945年6月7日 ロンドン
サドラーズ・ウェルズ劇場 レジナルド・グッドール指揮
楽器編成 フルート2(第2はピッコロ持替)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、小太鼓、大太鼓、シンバル、ゴング、テナードラム、タムタム、タンブリン、ハープ、チェレスタ、弦楽5部

細川俊夫:弦楽四重奏とオーケストラのためのフルス(河)- 私はあなたに流れ込む河になる -(2014)(日本初演)

 東洋の道教(タオイズム)の考え方では、世界の根底には、気(宇宙の根源を生み出すエネルギー)が流れており、その流れの変化が天地宇宙を形作ると捉えられている。その流れは重なり合って「陰陽」をなし、その陰陽の2つの気が交わって万物を生じさせる。光と影、寒と暖、高と低、天と地、男と女のような相反する原理が、お互いを殺し合うことなく補い合い、宇宙をうみだしていく(そこには男女の交合のようなエクスタシーがある)。

 私は音楽を、世界の奥に流れる気の河(音の河)と捉え、それを陰陽の原理によって生成させたい。西洋音楽の音を素材として構築するという考え方ではなくて、世界の奥に流れている気の流れを聴きだし、それを陰陽の宇宙観によって紡ぎだす作業が作曲という行為である。

 1つの音(es音)の世界を聴きだすことから始まったこの《フルス》は、その一音に含まれる光と影を少しずつ拡大していく。そのes音が、esとdの2つの音に分離し、さらにそれがより大きな音程の差をもつ音響に展開していくが、根本的にはそれは冒頭のes音に孕まれていた音響と捉えている。

 弦楽四重奏が人、そしてオーケストラはその人の内と外に拡がる自然、宇宙と捉えられている。弦楽四重奏のうちに孕まれた陰陽世界が、オーケストラにも反映され、その様々な流れの出会い、衝突、交合が河の流れのように変容していく。

 副題の「私はあなたに流れ込む河になる」は、私の存在が音となり、より大きなものに向かって流れ込む様を想像して、この作曲を始めたことによる。

 アルディッティ・カルテットという特別に力強い「気」を感じさせる演奏家たちに触発され、彼らの40周年のお祝いとして作曲し、この作品を彼らに捧げる。この作品の前に彼らのために書いた弦楽四重奏のための小品《遠い小さな河》がこの作品の原型となっている。

(細川俊夫)

作曲年代 2014年
初  演 世界初演/2014年10月24日 ケルン・フィルハーモニー
アルディッティ弦楽四重奏団 ペーター・ルンデル指揮 ケルンWDR交響楽団
日本初演/2017年6月30日 東京オペラシティ コンサートホール
アルディッティ弦楽四重奏団 大野和士指揮 東京都交響楽団(本公演)
楽器編成 フルート2(第2はピッコロ、アルトフルート持替)、オーボエ2(第2はイングリッシュホルン持替)、クラリネット2(第2はバスクラリネット持替)、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、トロンボーン、タムタム、大太鼓、小太鼓、風鈴、トライアングル、ボンゴ、弦楽5部、弦楽四重奏

スクリャービン:交響曲第3番 op.43《神聖な詩》

 近代ロシア音楽を代表する作曲家のひとり、アレクサンドル・スクリャービン(1872~1915)は、その短い生涯の中で、ショパン風のピアノ曲を書いていた初期のロマンティックな作風から、神秘主義的な思想の強い影響を受けた個性的な作風へと大きな変貌を遂げた作曲家だ。そして、その作風の重要な転換点となった作品が、この交響曲第3番だったと言われている。

 この曲を作曲していた時代、スクリャービンは、スイスへの移住、ヴェーラ夫人(1875~1920)との離別、そして新しいパートナーであるタチャーナ(1883~1922)との同居など、重要な生活の変化をいくつも経験している。また、彼が哲学者フリードリヒ・ニーチェ(1844~1900)らの影響を強く受けた自己流の思想を作り上げていったのもこの頃だ。この曲の初演にスクリャービンが寄せた文章によると、《神聖な詩》は、伝説や神秘から自由になり、汎神主義を通過し、最終的にその自由と宇宙との合一を確認する人間精神の成長を表しているという。

 全曲は、序奏のあとに急-緩-急の3つの楽章が続く構成となっている。なお、楽章間に休みはなく、すべて続けて演奏される。また、いくつかの主題は複数の楽章にわたって用いられ、全曲を統一する役割を果たしている。

 序奏 レント 2分の3拍子 16小節の短い序奏。「神々しく、壮大に」という指示がある。まず、トロンボーンなどの低音楽器に力強い音型が提示され、トランペットが短6度上昇する音型で応える。この2つは交響曲全体のモットーとして随所に現れる重要な音型である。特に第1楽章では、序奏の音型が随所に現れるだけでなく、この序奏がほぼそのままの形で、提示部、展開部、再現部、そして楽章全体の終わりに現れ、それぞれの部分を締めくくる標識となっている。

 第1楽章「闘争」 アレグロ 4分の3拍子 ソナタ形式。全曲のほぼ半分を占める長大な楽章である。「神秘的に、悲劇的に」と記されたハ短調の第1主題には、序奏の音型が組み込まれている。「神秘的に、ロマンティックに、伝説のように」と指示のある第2主題は、低弦のピッツィカートなどを伴奏に木管が歌うゆったりした主題で、増5度の下降で始まる。提示部の終わりでは序奏の音型が力強く回帰する。
 展開部では、第1ヴァイオリンが第1主題を弾き始めるが、すぐにオーボエが第2主題を重ね、序奏の音型も加わって展開していく。途中に現れる夢見るような旋律(ヴァイオリン・ソロが弾く箇所がわかりやすい)は、第2楽章の主題の先取りである。再び序奏が戻り、展開部が終わる。
 再現部では、第1主題には他の弦がからみ、第2主題は鳥の声のようなフルートが飾っているので、いずれも提示部とは表情が異なっている。再現部もまた序奏の回帰で閉じられる。
 その後はコーダとなる。第2主題がけだるく繰り返され、序奏のトランペット音型、第1主題冒頭、フルートの鳥の声などが再登場するこの部分はとても長く、第2展開部と言ってもよいほどの規模をもっている。序奏が4度目の回帰を果たし、第1楽章が終わる。

 第2楽章「官能の悦び」 レント 4分の3拍子  A-B-A-コーダの形式。「崇高に」という指示のある、フルート2本が吹く甘美な主要主題は、第1楽章の展開部ですでに出てきたものだ。やがて弦に別の主題が現れ、これが繰り返されるうち、金管が荒々しく咆哮して中間部へ入る。弦と金管との応答が続いたあと、「清澄に」という指示があり、森のざわめきのような弦を背景に木管の鳥がさえずりはじめる。この夢見るような雰囲気の中で、ヴァイオリン・ソロが主部の主題が再び歌い始める。

 第3楽章「神聖な遊戯」 アレグロ 4分の4拍子 ソナタ形式。「熱烈な悦びをもって」と書かれた、トランペットの飛び跳ねるような第1主題で始まるが、これは序奏のトランペット音型に基づいている。第2主題はチェロとフルートが歌う流麗な主題で、「歓喜と恍惚をもって」と記されている。この楽章にも大規模なコーダがあり、第1・第2楽章の第1主題、および序奏の音型が再登場して高揚し、長大な主和音で全曲を閉じる。

(増田良介)

作曲年代 1902~04年
初  演 1905年5月29日 パリ アルトゥール・ニキシュ指揮 ラムルー管弦楽団
楽器編成 ピッコロ、フルート3、オーボエ3、イングリッシュホルン、クラリネット3、バスクラリネット、ファゴット3、コントラファゴット、ホルン8、トランペット5、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、シンバル、タムタム、グロッケンシュピール、トライアングル、大太鼓、ハープ2、弦楽5部

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