プロムナードコンサートNo.373

ゲーゼ:交響曲第4番 変ロ長調 op.20

 デンマークの作曲家ニルス・ゲーゼ(1817~90)は、指揮者、ヴァイオリニスト、教育者としてもすぐれた業績を残し、「北欧音楽の父」と称えられている。今年(2017年)は生誕200年にあたる。

 民族音楽を取り入れた交響曲第1番(1842年)はコペンハーゲンで演奏されなかったため、彼は楽譜をフェリックス・メンデルスゾーン(1809~47)へ送る。感銘を受けたメンデルスゾーンは1843年3月にライプツィヒで同曲を演奏、大成功を収めた(曲目と演奏年には異説もある)。この成功でゲーゼの環境は一変する。同年ライプツィヒへ赴き、10月に自らの指揮で交響曲第1番を再演。メンデルスゾーンのもとでゲヴァントハウス管弦楽団の副指揮者を務め、ライプツィヒ音楽院でも教職を得た。

 1848年にデンマークとプロイセンとの間で戦争が勃発したのを機にゲーゼは帰国。ライプツィヒに居た期間は短かったが、彼はこの街でロベルト・シューマン(1810~56)に影響を受けながら自身の創作を見つめなおすことになる。シューマンは彼の可能性にいち早く注目する一方、「民族主義的な音楽の一面性」に注意するよう促した。ゲーゼも日記にこう綴っている。「(現在の作風は)すぐ擦り減ってしまうに違いない。単調で、おそらくどれも同じような音楽になってしまうだろう」(1843年)

 次第に彼は北欧的な要素から距離をとるようになる。メンデルスゾーンやシューマンを手本に様式性を追求し、交響曲第4番が一つの到達点となった。以前に比べて編成や長さが簡潔になり、楽想の身振りもコンパクトになっている。生涯に8つの交響曲を書いたゲーゼはしかし、本作を折り返し地点に民族主義的な作風へ戻っていく。普遍と特殊をゆれ動きながら、芸術音楽と自国文化の融合を模索していったのである。

 第1楽章 アンダンティーノ~アレグロ・ヴィヴァーチェ・エ・グラツィオーソ 短い序奏をもつソナタ形式。第1ヴァイオリンとフルートが提示する優美な第1主題と、チェロとホルンによる上昇音型の第2主題が対照される。特にシューマンへの接近が感じられる楽章。

 第2楽章 アンダンテ・コン・モート 三部形式。主部に登場する2つの主題が中間部で展開される。抒情的な旋律美が際立つ。

 第3楽章 スケルツォ/アレグロ、マ・ノン・トロッポ・エ・トランクィラメンテ トリオを2つ有するスケルツォ。メンデルスゾーンが得意とした「妖精のスケルツォ」を思わせる優雅な楽想が魅力。

 第4楽章 フィナーレ/アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ ソナタ形式。流れるような第1主題で始まり、第2主題は短調でつぶやくように歌われる。明晰な様式感が特徴。

(鉢村 優)

作曲年代 1849~50年
初  演 1850年11月16日 作曲者指揮 コペンハーゲン音楽協会管弦楽団
楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、ティンパニ、弦楽5部

R.シュトラウス:ホルン協奏曲第1番 変ホ長調 op.11

 リヒャルト・シュトラウス(1864~1949)はミュンヘン出身。高名なホルン奏者フランツ・シュトラウス(1822~1905)の息子として生まれ、幼い頃からホルンに親しんで育った。6歳で作曲を始めた天才少年は、やがて19世紀ヨーロッパ音楽を締めくくる大作曲家に成長する。巨大な楽器編成と複雑な書法が彼の代名詞になるが、初期はモーツァルトを彷彿とさせる簡明で典雅な作風だった。それは保守的な父フランツの教育の賜物。リヒャルトは後に「私は16歳まで古典音楽の中だけで育った。(そのことを)私は感謝している」と語ったが、ワーグナーら革新派の作品を勉強することを禁じられていたのである。

 本作は父の60歳を祝って作曲された。18歳になり既に「父の言いつけに背いて」新しい音楽に夢中になっていたリヒャルトは、一見保守的だが野心的なホルン協奏曲を書いた。随所に凝らされた工夫は、後の自在な管弦楽法を予感させる。切れ目なく演奏される全3楽章で、ソナタ形式の楽章は一つもない。ホルン協奏曲に典型的な変ホ長調である。

 第1楽章 アレグロ 独奏ホルンが朗々とファンファーレ風の主題を吹き鳴らして始まる。3つのエピソードをもつ自由なロンド形式。

 第2楽章 アンダンテ 三部形式。主部は19世紀では滅多に用例のない変イ短調(♭7つ)で、主題は第1楽章第1エピソードに由来。独特のくすんだ浮遊感が演出されている。ホ長調(♯4つ)に転じる中間部は、木管の6連符による伴奏音型が印象的。

 第3楽章 ロンド/アレグロ 快活で力強いロンド。第1楽章第3エピソードに登場した素材をロンド主題に用いることで全曲の統一感を強調し、第2楽章の破調(飛躍)を巧みにカバーしている。

(鉢村 優)

作曲年代 1882~83年
初  演 1885年3月4日 マイニンゲン グスタフ・ラインホス(ホルン)
ハンス・フォン・ビューロー指揮 マイニンゲン宮廷管弦楽団
楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦楽5部、独奏ホルン

ムソルグスキー(ラヴェル編曲):組曲《展覧会の絵》

 原曲はロシア民族主義を追求した作曲家グループ“力強い仲間たち(五人組)”のひとりモデスト・ムソルグスキー(1839~81)が、1874年に作曲したピアノ曲である。西欧的伝統にこだわらない斬新な語法でもって民族的作風を求めた彼の個性が端的に現れた組曲で、ロシアの美術家ヴィクトル・ガルトマン(1834~73)の絵から霊感を得た作品だ。ガルトマンは1873年に急死し、ムソルグスキーは1874年に開かれた彼の回顧展に出品された絵画やスケッチに触発されて、同年このピアノ組曲を作り上げた。

 ロシアの国土や生活を主な題材にした画家ガルトマンは、ロシア芸術の発展という点でムソルグスキーと志を同じくし、たとえ外国に題材をとった場合でも(ムソルグスキーが組曲で取り上げた絵の幾つかもその例)、それをロシアの民衆に重ね合わせて表現するなど、根っからの民族主義者だった。

 そうしたガルトマンの絵に触発されただけに(ただし元になった絵が判明していないものもある)、この組曲で打ち出された民族表現は強烈で、例えば第1曲「グノームス」で表現される侏儒(しゅじゅ)(=こびと)のぎこちない動きや叫びは虐げられたロシア民衆の姿に重なり、ポーランドの牛車を描いたという第4曲「ブィドロ」でもムソルグスキーは農民の苦役に焦点を当てている。一方で第9曲「鶏の足の上に立つ小屋」はロシア民話の世界を迫真的に音化し、終曲「キエフの大門」ではロシア聖歌の引用や鐘の響きの模写により輝かしくロシアを賛美する。

 粗削りともいえる力感溢れる表現法、原色的効果、民謡やロシア語の抑揚に関連する旋律法やリズム法など、ムソルグスキー特有の民族的語法が存分に発揮されたこの組曲は、同志だった故人に捧げるにまことにふさわしい作品だ。

 この友人へのオマージュが、およそ半世紀後の1922年に管弦楽曲として生まれ変わるとはまさか彼も考えてなかったろう。その立役者は、組曲が成立した頃にこの世に生を受けた2人の音楽家、ロシア出身のコントラバスの名手で名指揮者として知られたセルゲイ・クーセヴィツキー(1874~1951)と、フランスの作曲家モーリス・ラヴェル(1875~1937)だった。クーセヴィツキーは当時パリで指揮者として主宰していた演奏会のために、《展覧会の絵》の管弦楽編曲をラヴェルに依頼したのである。

 当時このピアノ組曲は有名といえるほどではなく、出版譜としてはニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844~1908)がムソルグスキーの原曲に手を加えた版が流布していた。善意ゆえではあるが、アカデミックな観点から原曲の大胆な民族的オリジナリティを常套的なものに直してしまったこの版を元にラヴェルは編曲を施したわけで、そこにさらにラヴェルならではの洗練されたセンスによるオーケストレーションと改変が加わって、ラヴェル版《展覧会の絵》は原曲の武骨なロシア的ダイナミズムとはやや趣の異なる、近代オーケストラの機能を存分に生かした色彩感溢れるものとなった。

 しかしそれによってムソルグスキーのこの曲は広く知られるようになり、原曲ピアノ版のオリジナルの形での出版(パーヴェル・ラム校訂/1931年)にも繋がることとなる。その後ラヴェル版以外にも、よりムソルグスキーの民族的個性を重視した幾つかの管弦楽編曲版が試みられてきたが、それでもラヴェル版の優位は変わらない。ラヴェル版がいかに管弦楽の効果を充分に発揮したものであるかの証明といえよう。

 曲は展覧会場を歩く様子を描く「プロムナード」で始まる。旋法的語法、5拍子と6拍子の混交、単音で力強く開始され和音の動きが応える応唱風の出だしともども、ロシアを印象づける循環主題である。第1曲「グノームス」は前述のように侏儒が不器用に動く様を表現する。再び「プロムナード」を挟んで、第2曲「古城」は中世の吟遊詩人の物悲しい歌(アルトサクソフォン)。またも「プロムナード」が置かれた後、第3曲「テュイルリー」ではパリの公園での子供たちの口喧嘩の情景が軽快に描かれる。第4曲「ブィドロ」については前述した。ただ牛車が遠くから近づくような弱音での開始はラヴェルが元にしたリムスキー=コルサコフ改変版に基づくもので、ムソルグスキーの原曲はいかにも苦役を表すように強音で始められている。この第4曲の悲劇性を引きずるような、短調の悲しげな調べに変容した「プロムナード」を挟んだ後、一転軽快な第5曲「殻をつけた雛の踊り」が気分の変化を作り出す。

 第6曲「ザムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」は金持ちのユダヤ人(弦と木管の重々しいユニゾン)と貧しいユダヤ人(弱音器付きのトランペット)を描いた2枚の絵による音楽。第7曲「リモージュの市場」で描かれるのは活気ある市場での女たちのお喋り。第8曲「カタコンベ、ローマ人の墓地」は暗い地下の墓地を描き、“死者とともに死せる言葉で”と記されたプロムナード主題へ続く。第9曲「鶏の足の上に立つ小屋」では臼に乗って荒々しく進むロシアの魔女ババ・ヤガーが迫真的に表現される。そして最後は、ガルトマンがキエフ街門のために画いた設計図に基づく終曲「キエフの大門」の壮麗な響きで全曲が閉じられる。

(寺西基之)

作曲年代 原曲/1874年 ラヴェルの編曲/1922年
初  演 ラヴェル版/1922年10月19日 パリ・オペラ座
セルゲイ・クーセヴィツキー指揮
楽器編成 フルート3(第2、第3はピッコロ持替)、オーボエ3(第3はイングリッシュホルン持替)、クラリネット2、バスクラリネット、アルトサクソフォン、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、大太鼓、シンバル、トライアングル、小太鼓、シロフォン、鞭、チャイム、ガラガラ、タムタム、グロッケンシュピール、ハープ、チェレスタ、弦楽5部

文章・写真等の無断転載を禁じます。