第833回 定期演奏会Aシリーズ

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 op.73《皇帝》

 《皇帝》という言葉はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)自身に由来するものではなく、後世の人間が与えた愛称だが、晴れやかにして雄渾で、構えも大きい音楽のたたずまいは、他のいかなるピアノ協奏曲をさしおいても、この作品へ与えられるにふさわしい。着手を見たのは1809年前半と推察されているが、当時のウィーンはナポレオン軍の侵攻にさらされて大混乱に陥っていた。7月にベートーヴェンがライプツィヒの楽譜商ヘルテルへ送った手紙の中で「作曲の筆など進みません。聞こえるのは大砲と太鼓の音ばかり……。ありとあらゆる惨事が人々にふりかかっています」と記しているとおりである。ちなみに彼の恩師にあたるヨーゼフ・ハイドン(1732~1809)が、砲撃にさらされる街の中で息をひきとったのは5月31日のことだった。

 フランス軍との講和が成立した秋以降になると、ベートーヴェンも平静を取り戻して仕事机に向かい、年内もしくは翌年の春ごろに《皇帝》が完成に至る。こうした経緯からもたらされた、外敵の脅威をはねのけんとする内的衝動が作品の性格に影響を及ぼしているとするのはあながち不当な見方ではないだろう。変ホ長調という調性も(一度はナポレオンに捧げる意図を持って書かれた《英雄》交響曲と同じだ)、覇気と充足感を伴うヒロイックなイメージを喚起してやまない。

 ベートーヴェンは通し番号で全5曲のピアノ協奏曲を残したが、そのうち彼が自分でソロを弾いて初演しなかったのは、この第5番のみである。耳の病による難聴の進行により、独奏者としての出演が無理になっていたのが理由のひとつ。そしてこれを最後として、彼はピアノばかりか他の楽器のための協奏曲にも二度と手を染めることはなかった。ソリストとオーケストラが一体となって“シンフォニック”な世界をおりなす楽曲構成法は既にピアノ協奏曲第3番や第4番でも追求されていたことだが、その方向性を突き詰めた《皇帝》によって、ベートーヴェンはコンチェルトという形式にひとつの到達点を刻んだといえるだろう。

 第1楽章(アレグロ)は、全管弦楽によるフォルテシモの和音と、独奏ピアノが弾くアルペッジョと音階走句からなる華麗なパッセージの交替によって始まる。第4番でも冒頭にピアノのソロを配するという斬新な手法をとっていたベートーヴェンだが、これはさらに大胆な着想だ。続く楽章主部でも、ソリストの技巧を発露させる楽句が常に音楽の有機的展開と結びついている点が大きな特色。第2主題部で活躍する2本のホルンをはじめとして、オーケストラも聴きどころ満載である。なお、通常ならコーダに入る前の箇所で独奏楽器のみによるカデンツァが演奏されるところだが、「カデンツァは不要。先へ進むこと」とわざわざベートーヴェンは書きつけ、曲の進行を中断させたくないという意志を強固に表明している。

 ロ長調の第2楽章(アダージョ・ウン・ポーコ・モッソ)は憧れと慰めに満ちたひと時。第1楽章の主音の“変ホ”を“嬰ニ”と読み替えれば、そこから長3度下の調性へ転じたことになり、こうした3度の関係性を対比感も豊かに生かす手法をベートーヴェンは好んで用いた。中間部で装飾性に富む楽句を弾き連ねたピアノがやがて主題を回帰させ、それを木管楽器が受け継ぐくだりはことさらに印象深い。

 第3楽章(ロンド/アレグロ)は、第2楽章のコーダでピアノがそのテーマを暗示する部分から切れ目なく流れ込む形で始まる。ダイナミックな主要主題と、リズムのあしらいに妙のある副主題部が交錯しながら進み、その過程を彩る転調も絶妙。コーダに先立つ箇所で、息を少しずつ鎮めていくピアノとティンパニが交わす対話もベートーヴェンらしい筆使いだ。

(木幡一誠)

作曲年代 1809(~1810)年
初  演 1811年11月28日 ライプツィヒ
ヨハン・フリードリヒ・シュナイダー独奏 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦楽5部、独奏ピアノ

シューマン:交響曲第2番 ハ長調 op.61

 ローベルト・シューマン(1810~56)は1844年末にライプツィヒからドレスデンへ移住した。転居にはその少し前からの精神的不調を治す目的があった。実際、症状はやがて好転し、創作意欲も少しずつ戻って交響曲の構想をするまでになる。しかし、それでもまだ不安定な状態にあった彼は、創造上の霊感を受けながらも〔1845年9月のフェリックス・メンデルスゾーン(1809~47)宛の手紙で「頭にはティンパニとトランペットが大きく響いている」と述べている〕、本格的な作曲には取り掛かれなかった。

 1845年12月初めにシューベルトのハ長調交響曲の再演を聴いたことも一つのきっかけとなって、そうした霊感が一挙に形になるかのように、年末までに全楽章のスケッチを書き上げる。しかしそこからまたオーケストレーションに苦労し、やっと1846年10月に交響曲第2番は完成、推敲を経て11月5日にメンデルスゾーンの指揮で初演され、その後の改訂を経て決定稿ができあがった。

 こうした不安定な状態との闘いと苦悩の末に完成されたこの作品について、シューマン自身「私はこの曲を半ば病いの状態で書いた。作品を聴けばそのことは明らかだろう。やっと終楽章で自分を取り戻し始めた感じになり、実際作品が完成したあと元気を回復した」と述べている。

 たしかに最初の3つの楽章には、そうした苦悩のあとを読み取ることができよう。第1楽章にしても、明るいはずの長調をとりながらそこにはどこか錯綜した響きがつきまとい、あたかも明るさを求めてもがいているかのように、晴れわたることがない。そうした苦悩に満ちた最初の3つの楽章からふっきれたような終楽章へ至る構図のうちに、自身の内面感情の闘いを表した、いかにもロマン主義者シューマンらしい交響曲である。

 第1楽章 ソステヌート・アッサイ~アレグロ・マ・ノン・トロッポ 序奏冒頭のファンファーレは曲全体に重要な役割を果たすモットー動機である。主部は活気はあるが、落ち着かない動きが感情の葛藤を映し出す。

 第2楽章 スケルツォ/アレグロ・ヴィヴァーチェ やはり落ち着きのない無窮動風の動きが支配するスケルツォ。

 第3楽章 アダージョ・エスプレッシーヴォ ハ短調の暗い叙情に支配された緩徐楽章。その主要主題はJ.S.バッハの《音楽の捧げ物》のトリオ・ソナタから取られている。

 第4楽章 アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ 勝利感溢れる第1主題と、第3楽章の主題に基づく第2主題とによってソナタ形式の手順で進行していくが、展開部の途中で新しい大らかな主題(ベートーヴェンの歌曲集《はるかな恋人に》第6曲「受けたまえこの歌を」に基づくとの説が有力)が示されるや、ソナタ形式としての進行は打ち切られ、以後はこの新主題を中心に明るく高揚、曲頭のモットー動機とも結び付きながら勝利を謳歌してゆく。

(寺西基之)

作曲年代 1845~46年
初  演 1846年11月5日 ライプツィヒ
フェリックス・メンデルスゾーン指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦楽5部

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