第832回 定期演奏会Cシリーズ

エルガー:ヴァイオリン協奏曲 ロ短調 op.61

 エドワード・エルガー(1857~1934)唯一のヴァイオリン協奏曲は、オーケストラの規模の大きさ、演奏時間の長さ、独奏者に要求される技量の高さでベートーヴェンやブラームスの協奏曲に比肩する大曲である。超絶技巧の誇示よりもオーケストラと独奏楽器の親密な対話がこの曲の本質であり、「ヴァイオリン独奏付の交響曲」とも言えよう。事実、交響曲第1番(1908年)と第2番(1911年)の間に書かれたこの曲は、エルガーの創作の最円熟期に属する。

 オーストリア出身の大ヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラー(1875~1962)はエルガーを「現存する最高の作曲家」と評し、自分のために協奏曲を書いてくれることを期待していると再三、新聞や雑誌のインタビューで語っていた。これを知って感動したエルガーはクライスラーと会見し、1909年から10年にかけてクライスラー本人や友人でロンドン交響楽団のリーダー(コンサートマスター)であったウィリアム・リード(1876~1942)の助言を得ながらヴァイオリン協奏曲の作曲に打ち込んだ。

 無名時代のエルガーはヴァイオリンの教師として糊口をしのぎ、一時はヴィルトーソ・ヴァイオリニストになることを夢見て、ロンドンでハンガリー出身の著名なヴァイオリニスト、アドルフ・ポリツァー(1832~1900)に師事したが、結局ソリストの道は断念した。しかしその後もこの楽器へのこだわりは強く、クライスラーとの出会いがエルガーの協奏曲の創作欲に火をつけたのである。

 ヴァイオリン協奏曲にはまた、エルガーのもっとも個人的な強い想いも込められていた。この曲のスコアの表紙には「Aqui está encerrada el alma de....(. ここには.....の魂が封じ込められている)」というスペイン語の短い一文が記されている。5つの伏せ字に誰の名前が入るかについては、エルガーの愛妻アリス(1848~1920)、初恋のひとヘレン・ウィーバー(1860~1927)、エルガー夫妻が親しくしていた米国婦人ジュリア・ワージントン(1856~1913)、フリッツ・クライスラーなど何人もの候補がある。

 しかし、伏せ字はアリス・スチュワート=ワートリー(1862~1936)という才色兼備の女性をさす可能性が高い。9歳年長の夫人と同名のアリスを区別して、エルガーは5歳年少の彼女を「ウィンドフラワー(アネモネ)」の愛称で呼んでいた。「オフィーリア」などで知られるラファエル前派の画家ジョン・エヴァレット・ミレー(1829~96)の娘で、保守党議員の男爵の後妻であった。エルガー夫妻とスチュワート=ワートリー夫妻の交流の中で、ウィンドフラワーのアリスはエルガーの音楽の最高の理解者となっていく。

 ヴァイオリン協奏曲の作曲中にエルガーとウィンドフラワーの間には頻繁な手紙のやりとりがあり、その中でエルガーがこの曲を「貴女の協奏曲」や「われわれの協奏曲」と呼んでいることからも、彼女がこの曲のミューズであることはほぼ間違いない。しかし、ふたりの間に恋愛感情があったかは定かではない。ウィンドフラワーはエルガー夫人アリス公認のミューズであり、愛妻家のエルガーが道を踏み外した形跡もないが、この曲にはやるせないまでの憧れの想いが充ち溢れている。ちなみに1934年エルガーの葬儀における弔辞で「イングランドの音楽におけるシェイクスピア」と作曲者を讃えたのはウィンドフラワーのアリスであった。

 初演は作品を献呈したクライスラーが行ったが録音はなく、1932年にエルガー自身の指揮でこの曲が録音されたときには弱冠16歳のユーディ・メニューイン(1916~99)が独奏者に起用された。

 第1楽章 アレグロ ソナタ形式。オーケストラによる重々しい威厳のある提示部で始まり、6つの関連した主題が次々と紹介される。第2提示部で第1主題が途中までオーケストラで奏されると、続きを引き取るように「ノビルメンテ」(高貴に)と指定された独奏ヴァイオリンが参入する。独奏ヴァイオリンが残りの5つの主題を次々に弾いていく中、特にいとおしむように歌われるのはエルガーが「ウィンドフラワー」と名付けた第2主題である。緻密な展開部を経て、堂々たるトゥッティで締め括られる。

 第2楽章 アンダンテ 三部形式。オーケストラによる瞑想的な短い前奏に続き、独奏ヴァイオリンが静々と歌う。中間部では独奏ヴァイオリンの後を追って、木管がつぶやく。

 第3楽章 アレグロ・モルト ソナタ形式。演奏時間の4割がカデンツァという異形の楽章である。ゆらぐような弦楽器と上昇する独奏ヴァイオリンの掛け合いで始まる。トゥッティで登場する活発な第1主題と独奏ヴァイオリンが提示する優美な第2主題から成る。充実した主部の高潮がおさまると、霧雨のようなピチカート・トレモロを背景にして独奏ヴァイオリンが長大なカデンツァを奏し、先行する楽章の諸主題を次々と回想していく。

 この箇所をエルガーは「エオリアン・ハープの響きのように」演奏するようにと指示している。これはギリシャ神話の風の神アイオリスに由来し、自然の風を受けて鳴る楽器である。ピチカート・トレモロとはエルガーが考案した新技法であり、複数の指の柔らかい部分で弦をはじくトレモロは、ざわざわとそよぐ風を想起させる。この曲のミューズとなった佳人の愛称「ウィンドフラワー=風の花」につながる、憧れとノスタルジーに満ちたカデンツァである。

 それが終わると再び第1楽章冒頭の主題がオーケストラで奏されるが、長調に転じて独奏ヴァイオリンと競争するようにして輝かしいコーダとなる。

(等松春夫)

作曲年代 1908~10年
初  演 1910年11月10日 ロンドン フリッツ・クライスラー独奏
作曲者指揮 ロイヤル・フィルハーモニック協会の管弦楽団(実体はロンドン交響楽団)
楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、弦楽5部

ヴォーン・ウィリアムズ:南極交響曲(交響曲第7番)

 地球上に残された最後の秘境、南極大陸。20世紀初め各国は威信をかけて南極点への一番乗りに鎬(しのぎ)を削った。1911年から12年にかけて、英国のスコット隊、ノルウェーのアムンセン隊、日本の白瀬隊がほぼ同時期に南極点征服に挑んだ。結局、南極点初到達の栄冠はアムンセン隊に輝き、白瀬隊は壮図半ばで引き返すも全員が生還した。それに対し、スコット隊はアムンセン隊に次いで南極点到達に成功はしたものの、帰途に猛吹雪に巻きこまれて全滅の悲運に遭う。

 1948年に公開されたジョン・ミルズ主演の英国映画『南極のスコット』は、ロバート・スコット海軍大佐(1868~1912)率いる英国隊のこの悲劇を描いた作品である。音楽を担当したのはレイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(1872~1958/以下RVW と略)であったが、実は作曲した音楽の半分しか映画には使用されなかった。映画は1949年にプラハ映画祭で音楽賞を受賞し、これに励まされたRVW は、未使用だったものも含め映画のために書いた音楽を素材に1949年から52年にかけて《南極交響曲》を作曲し、後に交響曲第7番とした。

 多彩な打楽器、オルガン、ウィンドマシーン、さらにヴォカリーズのソプラノ独唱と女声合唱を加えた5楽章から成る大作で、「自然の猛威に対峙する人間」を描いた長大な事実上の連作交響詩という点で、リヒャルト・シュトラウス(1864~1949)の《アルプス交響曲》と双璧である。しかし、たんなる自然描写ではなく、神々に挑戦したプロメテウスのごとく、圧倒的な存在に挑む人間の不屈の精神をも表現している。なお、各楽章の冒頭には「エピグラフ(題辞)」として詩、旧約聖書の詩編、スコットの日記からの引用が掲げられており、演奏に際して朗読されることもある。

 第1楽章 前奏曲 アンダンテ・マエストーソ 陰鬱な響きで始まり、寒々としたオーケストラの調べの上にウィンドマシーンとヴォカリーズのソプラノ独唱、さらには女声合唱が重なり、神秘的なオーロラや氷山が現出する。やがて金管によるファンファーレが高らかに響き、遠征の開始を告げる決然としたコーダとなる。

 第2楽章 スケルツォ モデラート スコット隊を乗せたテラ・ノヴァ号は南氷洋を進み、クジラに遭遇する。南極大陸に上陸して基地の設営に奮闘する隊員たちの活気と、それを物珍しげに眺めに来るペンギンたちのユーモラスな姿が、チェレスタやグロッケンシュピールを交えて描かれる。

 第3楽章 風景 レント 全曲中もっとも長い楽章で、重たいソリを引きずりながら氷原を進む一行の苦闘が続く。幻想的なオーロラの輝き。クライマックスではオルガンの荘厳な調べと金管の重奏によって大自然の脅威に直面した人間の感動と無力感が描かれる。切れ目なしに第4楽章へ続く。

 第4楽章 間奏曲 アンダンテ・ソステヌート ハープとオーボエに導かれ、独奏ヴァイオリンを伴うオーケストラによる牧歌的な旋律がスコットたちのしばしの休息を描く。コーダの前で第1楽章冒頭の主題が回想され、最終段階に達した南極点征服への新たな決意を思わせる。

 第5楽章 エピローグ アラ・マルチア・モデラート(ノン・トロッポ・アレグロ) トランペットのファンファーレに続いて、第1楽章冒頭の主題が木管を中心に戻り、ティンパニをはじめとする打楽器が白い死の世界を暗示する。衰弱した一隊員は、仲間の足手纏(まとい)になることを嫌い、自らテントを出て猛吹雪の中に消えていく。哀切極まるファゴットのソロが死を覚悟した人間の苦しみと、それを傍観せざるを得ない仲間たちの苦悩を描き出す。非命に斃(たお)れたスコットらの不撓(ふとう)不屈の精神を讃えるかのような悲壮なファンファーレと行進曲が静まると、第1楽章冒頭の凝縮された再現を迎える。女声合唱とソプラノ独唱のヴォカリーズ、そしてウィンドマシーンの吹雪による挽歌が全曲を結ぶ。

(等松春夫)

作曲年代 1949~52年(映画音楽は1947年に完成)
初  演 1953年1月14日 マンチェスター ジョン・バルビローリ指揮
ハレ管弦楽団・女声合唱団 マーガレット・リッチー独唱
楽器編成 フルート3(第3はピッコロ持替)、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、シロフォン、ヴィブラフォン、小太鼓、テナードラム、グロッケンシュピール、ウィンドマシーン、シンバル、ゴング、大太鼓、トライアングル、サスペンデッドシンバル、鐘、ハープ、ピアノ、チェレスタ、オルガン、弦楽5部、ソプラノ独唱、女声三部合唱

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