第831回 定期演奏会Bシリーズ

バターワース:青柳の堤

 ジョージ・バターワース(1885~1916)は青年期に第1次世界大戦に遭遇した、いわゆる「失われた世代」に属する作曲家である。事実、出征したバターワースは1916年夏のソンム会戦で31歳の若さで戦死した。

 法律家の父と元ソプラノ歌手の母との間にロンドンのパディントンで生まれたバターワースは、当時の上流中産階級の子弟の例にもれず、名門パブリック・スクールのイートン校からオックスフォード大学へ進み、父親からは法律家の道に進むことを期待されていた。しかし、大学時代にレイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(1872~1958/以下RVWと略)の知己を得て本格的に音楽の道に転じた。著名な民謡研究家のセシル・シャープ(1859~1924)、RVW、ギュスターヴ・ホルスト(1874~1934)らと共に民謡の収集保存と研究に勤しみ、イングランド民謡のイディオムを作曲に活かすことに熱心であった。

 また、バターワースはモリス・ダンスという14世紀に起源を有するイングランドの伝統舞踊の名手でもあった。若干の歌曲、小オーケストラのための《2つの牧歌》、《青柳の堤》、《シュロップシャーの若者》程度しか作品が残っておらず、戦争による夭折が惜しまれてならない。

 《青柳の堤》ではバターワースが収集した2曲の民謡の旋律が使用されている。冒頭の旋律は「青柳の堤」というバラードである。やがてバターワース自身が作った旋律がホルンに現れ、テンポを上げて「青柳の堤」が展開される。続く後半では「緑の茂み」という民謡の旋律をオーボエ、ついでフルートとハープが奏する。牧歌的な曲調だが、素材となったバラードは船乗りに恋した農村の娘が駆け落ちして赤ん坊を産み、死を遂げる切ない物語である。

 イングランド北西部の町ウェストカービーでの初演から3週間後のロンドン初演(3月20日)は、バターワースが自作を聴いた最後の機会となった。

(等松春夫)

作曲年代 1913年
初  演 1914年2月27日 ウェストカービー エイドリアン・ボールト指揮
ハレ管弦楽団とリヴァプール・フィルハーモニック管弦楽団の選抜メンバー
楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット、ハープ、弦楽5部

ティペット:ピアノ協奏曲(1955)

 マイケル・ティペット(1905~98)はウィリアム・ウォルトン(1902~83)とほぼ同じ、ベンジャミン・ブリテン(1913~76)よりもやや前の世代の英国の作曲家である。3歳年長のウォルトンと8歳年少のブリテンが早熟の天才とすれば、ティペットは大器晩成であった。

 1998年に93歳で没したティペットはレイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(1872~1958)に代わる英国音楽界の「老大人」と崇められたが、晩年まで清冽かつ実験精神に溢れていた作風からはむしろ「永遠の青年」と呼ぶにふさわしい。4つの交響曲、各種の協奏曲、室内楽、器楽曲、5つのオペラ、多数の声楽曲があり、中でも反戦メッセージを込めたオラトリオ《我らの時代の子》(1942)と、モーツァルトの『魔笛』を下敷きにした寓話オペラ『真夏の結婚』(1955)がよく知られている。

 1950年、英国公演に来たドイツの名ピアニスト、ヴァルター・ギーゼキング(1895~1956)が弾くベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番のリハーサルを聴いて感銘を受けたティペットは、ピアノ協奏曲作曲への意欲を掻き立てられた。折よく1953年にバーミンガム市交響楽団のための新作を委嘱され、これがティペット唯一のピアノ協奏曲となった。全曲の半分を占める長めの第1楽章、短い緩徐楽章と終楽章はベートーヴェンの協奏曲第4番に範をとっている。また音楽的素材には同時期のオペラ『真夏の結婚』と共通するものが多い。全曲にわたってピアノはあまり前面に出ることなく、管弦楽との一体感が強い。

 第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ 自由なソナタ形式。冒頭の第1主題はピアノと第1フルートの二重奏のように始まる。管弦楽によるクライマックスを経て、第2フルートが吹く凝ったリズムによる同音反復(第1主題が並走)が第2主題。色彩豊かな展開部を経て、チェレスタの神秘的な響きが再現部を導く。カデンツァにチェレスタが参加するのが興味深い。

 第2楽章 モルト・レント・エ・トランクィロ ほぼ3つの部分から成る。ファゴットとホルンによる短い序奏に続く第1部は、フルートとクラリネットによるカノン。第2部でカノンは第3と第4ホルン、そしてオーボエとファゴットに引き継がれ、ピアノはここまで一貫して装飾的な音型を奏でる。第3部では、この楽章で初めてヴァイオリンとヴィオラが参入、ピアノと情熱的な対話を交わす。

 第3楽章 ヴィヴァーチェ 変則的なロンドで、図式を示すとA-B-A-C-A-D-A-Bとなる。Aは生気に満ちた管弦楽のトゥッティでシンコペーションが効果的。Bでピアノが入りジャズ的な躍動を示す。Cでは金管が息の長い旋律を豪快に吹き、Dは一転してピアノを中心とした静謐な場面となる。最後のBはコーダを兼ね、ハ長調の明るい響きで全曲を閉じる。

(等松春夫)

作曲年代 1953~55年
初  演 1956年10月30日 バーミンガム ルイス・ケントナー独奏
ルドルフ・シュヴァルツ指揮 バーミンガム市交響楽団
楽器編成 フルート2(第2はピッコロ持替)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、チェレスタ、弦楽5部、独奏ピアノ

ヴォーン・ウィリアムズ:ロンドン交響曲(交響曲第2番)(1920年版)

 レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(1872~1958/以下RVWと略)は1910年に《海の交響曲》(後に交響曲第1番の番号を付される)を完成させた。しかし、独唱や合唱を伴う《海の交響曲》は、交響曲というよりも実態は大規模なオラトリオであった。

 その意味で、純粋器楽作品としてのRVWの最初の交響曲は、後に交響曲第2番とされた《ロンドン交響曲》である。民謡研究を共に行い、「音楽における英国的なもの」を探求する同志でもあった年少の親友ジョージ・バターワース(1885~1916)の熱心な働きかけが作曲を進める動機となった。全曲いたるところに郷土色豊かな民謡調の旋律がちりばめられているのは、英国全土から人々が流れ込むのが帝都ロンドンである、とのRVWのユーモアであろう。

 RVW自身はロンドンの出身ではないが、成人してからの大部分の時間をロンドンで過ごし、ロンドンっ子であると自任していた。《ロンドン交響曲》はエドワード時代(1901~1910)の大都会ロンドンが見せるさまざまな相貌とそれから喚起される想いを音楽化したものである。

 1910年にロンドンを訪問したRVWと同世代の日本のジャーナリスト、長谷川如是閑(にょぜかん)(1875~1969)は随筆『倫敦(ロンドン)!倫敦(ロンドン)?』(1912年刊)において「倫敦の霧の裡(うち)には、楽人(がくじん)の空想から発するハーモニーとメロディーとを有(も )って空に漂っている」(霧のエンバンクメント)、「人及び物から発し得る限りの音響が押し合いヘシ合う街頭の雑音も、ビッグ・ベンの声と共に和諧(ハーモニー)なき諧音(ハーモニー)を以て絶えざる楽を奏する倫敦コンサートに化するのである」(美妙なるビッグ・ベン)と記しているが、まさにこれがRVWの描いたロンドンであった。

 しかし後年、RVWは作品が情景描写の標題音楽のように語られることを好まず、むしろ「ロンドンっ子が書いた交響曲」(A symphony by a Londoner)と考えてほしいと述べている。

 第1楽章 レント~アレグロ・リゾルート ソナタ形式。序奏では弦楽器が弱音で朝靄にかすむテムズ川を描き、やがて川に臨む国会議事堂の時計塔ビッグ・ベンの時報の鐘がハープで奏される。音楽は一転してトゥッティのアレグロとなり、大都会ロンドンの喧騒に満ちた一日が始まる。展開部後半のノスタルジックな弦楽八重奏とハープの対話を経て、再現部は静かに始まり、やがてfffの終結に至る。

 第2楽章 レント RVWが「ブルームズベリー広場の11月の午後」と表現した鬱然として夢幻的な緩徐楽章。ヴィオラ独奏で始まる中間部では木管楽器の鳥のさえずりと、弦楽器の対話が続く。ブルームズベリー広場は、大英博物館やロンドン大学本部のある閑静な文教地区である。

 第3楽章 スケルツォ(夜想曲)/アレグロ・ヴィヴァーチェ RVWが「ウェストミンスターの河岸にて」と呼んだスケルツォで、2つのトリオをもつ。北岸の繁華街ストランドのざわめきと、南岸に広がる工場地帯の喧騒がテムズ川の水上で響きあう。

 第4楽章 アンダンテ・コン・モート~マエストーソ・アラ・マルチア(クアジ・レント)~エピローグ/アンダンテ・ソステヌート 荘重な序奏に続き、RVWが「貧者の行進」と語った労働歌風で行進曲調の音楽が不穏な空気を醸し出す。殷賑(いんしん)を極める大英帝国の首都も一歩裏に入れば貧富の差と社会不安が渦巻き、労働者と警官隊の衝突もしばしばあった。音楽が潮を引くように静まると再び第1楽章のビッグ・ベンの時報の鐘がハープで密やかに奏される。

 続く幻想的な「エピローグ」はH.G.ウェルズ(1866~1946)の小説『トーノ・バンゲイ』に触発されたとRVW自身が語っている。小説の終わりでは、資本主義社会の浮沈をつぶさに経験した主人公が海軍技師となり、新型駆逐艦の試運転のためテムズ川を下りながらつぶやく。

 「英蘭王国(イングランド)や大英帝国や、古い昔の矜(ほこ)りと古い信仰が滑るように過ぎていき、水平線下に消えていく。河は流れ去り、倫敦(ロンドン)は消え、英蘭(イングランド)は消えていく」

 朝靄のテムズに始まったRVWの《ロンドン交響曲》もまた、夕暮れのテムズに溶け入るように終わる。

 RVWは曲の改訂を重ね(細かく数えると6つの稿がある)、本日演奏されるのは、1920年版(1225小節)である。これは1913年の初稿(1322小節)と、最終稿とされる1933年版(1177小節)の中間にあたる。初稿に比べると、1920年版と1933年版は第2楽章と第4楽章が大幅に短縮された。交響曲としての形式感では1933年版の完成度が高いが、翳りのある味わい深いパッセージが多い初稿と、初稿のニュアンスをかなり残した1920年版も捨てがたい。

 マーティン・ブラビンズは1933年版の第4楽章で削除された部分が音楽的にあまりにも素晴らしいことと、第2楽章と第4楽章のバランスが良くなることを主な理由として1920年版を使用する。なおこの1920年版は、作曲の契機を作り、戦死したロンドン生まれの親友バターワースに献げられた。

(等松春夫)

作曲年代 1912~13年
初  演 1914年3月27日 ロンドン
ジェフリー・トイ指揮 クイーンズ・ホール管弦楽団
楽器編成 フルート3(第2、第3はピッコロ持替)、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット2、コルネット2、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、グロッケンシュピール、タムタム、小太鼓、トライアングル、スレイベル、シンバル、大太鼓、サスペンデッドシンバル、ハープ2、弦楽5部

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